白川郷の幻想世界に陶酔、日帰りツアーを満喫(120、旅ルポ編)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2023年2月17日】1月14日、悪天の隙を縫って高気圧の晴れ間が覗いた好機を逃さず、岐阜県の世界遺産・白川郷に出かけた。

急勾配の切妻屋根の茅葺き家屋は雪に彩られ、風趣満点。右の民家の屋根裏は3層構造になっている。

実は、昨年12月の誕生日のささやかなプレゼントとして計画していた日帰り旅行だったが、生憎(あいにく)、雨で自主キャンセルを余儀なくされていたのだ。

というわけで、奇跡的に晴天が覗いた当日は、リベンジツアーにもってこい、早起きして意気揚々と市バスで金沢駅に向かった。予約はしておらず、行き当たりばったり、高速バスの一般窓口では切符が買えず、背後に回り込んだ北陸鉄道のオフィスで空きを確認したところ、8時40分発は既に満席、それよりも30分早い8時10分発ならあると言われた。

平日だし、取れると楽観していたのだが、金曜日ということもあったのだろう、予想外に混んでいて、焦った。とにかく、30分早い便になるが、空いていてよかったと即購入、帰りも現地15時10分発を予約購入した。

早めに自室を出て幸い、出発まであまり時間がないので、手洗を済ませ、2番線のバス乗り場に並び、まもなく白川郷・高山行きの高速バスが来て、出発となった。結構混んでいて、台湾や韓国からの旅行者が多い。外国語が飛び交う中に身を小さくして座り、バスは高速道路に乗って1時間30分後に白川郷に辿り着いた。

何日か前に降り積もった雪が残る合掌造りの民家の里は予想以上に素晴らしかった。去年の誕生日の時点では、雪は降っておらず、その後、ネットで雪の白川郷の壮観を見て、どうせなら雪がある日に行きたいと機会を窺っていたので、願望は実現したことになる。いわば、絶好のタイミングだったわけた。

まるで童話の中のような幻想的な世界、固まった雪道に足を踏み出して、素朴な茅葺き屋根が白雪に覆われた美しさに魅了されながら、一帯を夢中で周り、写真を撮った。透明な雪解け水の貯水池が道の合間にいくつもあり、民家の前の柿の木は熟して、雪面に落ちた実が点々と橙に白いカーペットを彩っていた。

展望台から俯瞰(ふかん)した白川郷の全貌。雪が演出効果抜群、別世界のユートピアが眼下に開ける。

軒下の壁には、干し柿がぶら下がり、スコップやバケツ、ホースなど冬の装備、薪の束も顔を覗かせ、格子戸の長窓が穿(うが)たれた民家のいくつかは昔語りに出てくる男名の屋号とともに、泊まってみたくなるような情趣ある民宿として経営されていた。茅葺きの切妻屋根の風情ある集落と、合間を縫う樹氷の宝石のようなきらめき、周りの雪がまだらに貼り付いた山並み、さすがに世界遺産に登録されるだけのことはあると感嘆した。

それから、バスターミナルにあった地図を時折確認しながら、標識に展望台とあった方角へ坂道を登った。高台から見下ろす合掌造り村落が雪を縫ってモザイクのように散在する全景に思わず、感嘆の息が漏れた。山を背後に控えた谷あいに開ける夢のような三角屋根の集落、雪に覆われた木々の樹氷がきらめき、あまりに素晴らしいので、ただただ見惚れ続けた。

展望台から降りて、切妻屋根の民家がそこかしこに見え隠れする里を巡り歩くうちに、博物館として開放された神田家や長瀬家が現れたが、参観せずに(入場料400円)、歩き続けた。途中、休憩所で用足し後、土産物屋も兼ねた茶屋の店先に腰を下ろし、熱い缶コーヒーを買って、持参したゆで卵2個を剥(む)いて腹ごしらえした。欧米からの旅行者グループは、甘酒を飲んで体を温めていた。

防寒は抜かりなかったので、寒さはさほど感ぜず、お天気のよさにも助けられて、3時間ほど夢中で歩き回った。景観が素晴らしいので、疲れを感じない。軽食を済ませた後、見残したところはないかと地図を見ながら巡っていたら、小さなお社(やしろ)の向こうに橋が現れた。橋の下を雪解けの清流が流れ、その向こうには別の合掌造り民家が固まって開けているようだった。

全長107メートル、高さは10メートル以上の小さな吊り橋「であい橋」の向こうにも、合掌造りの民家群があるようだったが、高所恐怖症の私はパスした。

ネットの前知識で、吊り橋を渡るのが怖かったとの旅行者の感想が脳裏に残っていた私は、これがその吊り橋かとちょっと拍子抜け、床がコンクリートでしっかり固められているし、渡るのに問題なさそうだ。実際50メートルほど進んだのだが、生来の高所恐怖症、大事をとって引き返せなくなったら困ると、渡り切るのは断念した。

私の後方で、アジアからの若い女性ツーリストが、怖くて渡れない、ごめんと金切り声をあげながらしり込みしていた。やはり、吊り橋が怖くて渡れない人もいるのだと、身につまされた。

しかし、白川郷の吊り橋はまだ、難易度の低い方である。インド北東部の山間のヨガのふるさととして名高いリシケシ(Rishikesh)の巨大な吊り橋は本当に怖い。私は下を見ずに、前だけ見てずんずん進んだが、ゆらゆら揺れるので足がガクガクして生きた心地がしなかった。帰りは、舟で渡岸したくらいで、1度渡っただけで恐怖満点、2度スリルを味わう余裕はとてもなかった。

あれに比べれば、こちらはこぢんまりとした橋だし、床が頑丈なので、楽勝と思ったが、過去の恐怖体験が災いし、渡るのを渋らせた。歳を重ねると、若い頃のような無鉄砲さは影を潜め、無理のない範囲で我が身を労(いたわ)る自己防衛意識が先に立つ。おかげで彼岸の集落は見逃したが、4時間近くかけて堪能したことに満足し、バスターミナルに戻った。

出発までにかなりあったので、1時間以上早い13時50分発の金沢駅行きに変更してもらい、時間までの30分はターミナル周辺を散策、庄川にかかった大橋を渡ったり、周りに開ける雪山の景観を楽しみ、戻ってきた。

それにしても、金沢から高速バスで片道1時間30分で別世界のパラレルワールドに飛べるのだから、往復3600円はお安いもの、超お薦めの日帰りツアー、金沢に来られたら、こんな近くにある世界遺産を見逃す手はない、必見スポットである。

☆ディテール・メモ 「合掌造り」とは

又首(さす)構造(2本の丸太を棟で交差させ、梁の両端に差し込んだ和風トラス構造)の切妻屋根の茅葺(かやぶ)き家屋で、屋根は雪下ろしの軽減のため急勾配(45度から60度)、名前の由来は三角に掌を合わせたような形から来ており、各地によって造りに多少の違いがあり、世界遺産には他に富山県の五箇山も登録されている。

1階は囲炉裏のある居間、屋根裏は2層から4層構造になっており、昔養蚕に使われていた。茅葺きの葺き替えは30年から40年に1度だが、補修作業は年に1、2度必要で、村人の協同作業、「結(ゆい)」のもとに行なわれる。

※一言 博物館として開放されている合掌造り民家の中は探検しなかったが、外を巡るだけで無我夢中、地図もほとんど見ずに、やみくもに白の迷路をうろついたが、4時間あれば、ひと渡り見て回れる。絵本の中に出てくる御伽噺(おとぎばなし)のような世界を堪能させてもらった感じで興奮が治まらなかった。雪が幻想世界を醸し出すのにひと役買ったことはいうまでもない。雪がなかったら、ここまで感動したか。

振り返るに、日本の世界遺産巡りは昨秋の比叡山延暦寺と姫路城に続き、3カ所目(若い頃の富士山を含めると4カ所)。インドでは6カ所(アーグラー城塞=Agra Fort、タージ・マハル=Taj Mahal、アジャンタ・エローラ石窟群=Ajanta& Ellora Caves、コナラークの太陽神殿=Sun Temple、Konarak、マハーバリプラムの建造群=Group of Monuments at Mahabalipuram)、ほかにトルコの奇岩カッパドキア・トロイ遺跡(Rock Site of Cappadocia and Troy Ruins)やフランスのベルサイユ宮殿(Palais de Versailles)、イタリアのポンペイ遺跡(Archaeological Areas of Pompei)等々、各国の世界遺産も10数カ所見学したが、なんと世界には1154カ所(日本の25含む)もあるそうで、日本制覇を目指した方がまだしも現実的かもしれない。

次の世界遺産は広島の原爆ドームと厳島神社だ。去年、映画「この世界の片隅に」を観たことから、広島への関心が高まった。近いうちに行ってみたいが、その前にスペイン・バルセロナ(Barcelona)のサグラダファミリア大聖堂(Sagrada Familia)を制覇しなければと、来たる水際対策撤廃の好機を窺っている私である。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子の「Rapper Big Deal」はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2023年2月10日現在、世界の感染者数は6億7227万3155人、死亡者数が684万8747人、回復者は未公表。インドは感染者数が4468万4973人、死亡者数が53万0748人、回復者が未公表で、アメリカに次いで2位になっています。

ちなみにアメリカの感染者数は1億0273万7726人、死亡者数が111万3236人(回復者は未公表)、日本は感染者数が3286万8798人、死亡者数が6万9970人、回復者が2162万0048人(ダイヤモンド・プリンセス号を含む)。編集注は筆者と関係ありません)