不可能な算定から寛大な心に変わる弁護士を描いた「ワース」(362)

【ケイシーの映画冗報=2023年3月2日】2001年9月11日、アメリカ合衆国で未曾有の事件が起きました。ハイジャックされた旅客機が2機、ニューヨークの世界貿易センタービルに突入、110階のビル2棟が崩落し、3000人近くの人々が亡くなりました。

現在、一般公開されている「ワース 命の値段」((C)2020 WILW Holdings LLC.All Rights Reserved.)。アメリカの同時多発テロ事件の7000人の犠牲者と遺族に補償金を分配する大事業を担当したケネス・ファインバーグの実話を、その回想録「What Is Life Worth?(ワット・イズ・ライフ・ワース)」を基に映画化された。

アメリカ政府はこの事件の被害者への救済を決定し、紛争解決を専門とするケネス(通称・ケン)・R・ファインバーグ(Kenneth Roy Feinberg、1945年生まれ)弁護士が救済基金の特別管理人となりました。

本作「ワース 命の値段」(Worth、2019年)で、数千人の遺族との調停というこの難題を、ファインバーグ(演じるのはマイケル・キートン=Michael Keaton)は無報酬で受け、共同経営者のカミール(演じるのはエイミー・ライアン=Amy Ryan)や、事務所のスタッフと取り組んでいきます。2年間で救済対象の80%の同意をめざして、精力的に活動していきますが、その保証金額の算定は困難を極めました。

会社の重役からアルバイトまで、性別も年齢も人種も立場も異なる人々を、これまでのように計算式で割り出すことはほぼ不可能だったのです。対象者のすべてを「公平に算定する」というファインバーグの手法は罵声を浴びました。妻を喪った男性、ウルフ(演じるのはスタンリー・トゥッチ=Stanley Tucci)は、物静かな紳士でしたが、ファインバーグと理性的に戦うと宣言します。

最初は冷静に“数式”に則っていたファインバーグに変化が生じます。最愛の家族を一瞬で奪われた人々の言葉に触れ「完璧は無理だが最善を尽くす」決意を固めたファインバーグは、チームのメンバーとともに、ぎりぎりの努力を続けます。その真摯な姿勢に、かたくなだった遺族たちにも、変化が生じてくるのでした。

本作を鑑賞して、最初に感じたのは、アメリカという国家の多様性です。有能な弁護士として活躍するファインバーグは、恵まれた環境で暮らしていますが、作品内で「ユダヤ人め」と被害者遺族のひとりから罵られます。ファインバーグはユダヤ系の名字なので。かれのオフィスには黒人男性や、インド系の女性スタッフもいます。その女性プリヤ(演じるのはシュノリ・ラーマナータン=Shunori Ramanathan)は、もともと世界貿易センタービルでの勤務が決まっていました。

あの大惨事に直面し、自分が被害者となり、家族が遺族となっていたかもしれないのです。「遺族に寄り添うべきか、仕事としてこなしていくか」、この苦しさも画面から伝わってきます。

劇中でファインバーグが故人の年収から賠償額を算定するシーンがあります。皿洗いのスタッフと大企業の重役とでは収入に格差があるので、それがそのまま反映され、35万ドル(約4500万円)と1420万ドル(約18億円)に広がってしまうのです。

たまたまあの場に居合わせ、遭遇したことだけをフォーカスすると、ひとりの被害者という点では、そうした数字も導きだされてしまいます。監督のサラ・コランジェロ(Sara Colangelo)は、こう語っています。
「命をドルやセントに換算して考えるというのは、どうしても不快感をおぼえます」

私もふくめ、おおくの人々は「なんでもカネで」という価値観を忌避してしまうのは仕方のないことでしょう。法律にしたがって和解を成立させてきたファインバーグが当初、「数字による公平な算定」で賠償額をもとめたことは、間違ってはいないはずです。「全員を納得させる回答」は現実的にありえないのですから。

この問題を冷静に考えてきたファインバーグが、被害者の家族と触れ合うことで、その誤謬に気付く過程を、演じるマイケル・キートンがちょっとしたしぐさや表情で巧みに演じています。

コメディアンとしてキャリアをスタートさせたキートンは、「バットマン」(Batman、1989年)でスーパーヒーローとなり、25年後にはその作品を下敷きにしてヒーロー作品をネガティブに描いた「バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance)、2014年)でアカデミー主演男優賞にノミネートされました。個人的には天才犯罪者を演じた「絶体×絶命」(Desperate Measures、1998年)がキートンのベストだと感じています。

本作のような実在の人物を演じた「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」(The
Founder、2016年)でも、悩みながらも貪欲にハンバーガーのチェーンを拡大する実業家を人間味ゆたかに演じていました。

コランジェロ監督はこうも語っています。
「私にとってこの作品は、一人の男がそれまでの自分を捨てて寛大な心を手に入れるまでの道のりを描くものです」(いずれもパンフレットより)

次回は「フェイブルマンズ」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

編集注:ウイキペディアによると、「アメリカ同時多発テロ事件(September 11 attacks)」は、2001年9月11日(火)の朝にイスラム過激派テロ組織アルカイダによって行われたアメリカ合衆国に対する4つのテロ攻撃をさす。

一連のテロ攻撃により、2977人が死亡し(ほかにテロ実行犯19人)、2万5000人以上が負傷し、少なくとも100億ドル(約1兆3000億円)のインフラ被害・物的損害に加えて、長期にわたる健康被害が発生した。この事件を契機としてアフガニスタン紛争 (2001年から2021年)が勃発し、世界中でテロ対策が強化された。

2001年9月11日火曜日の朝、アメリカ北東部の空港、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、ニュージャージー州ニューアークを発った、カリフォルニア州に向けた4機の旅客機がアルカイダのテロリスト合計19人にハイジャックされた。

そのうち「アメリカン航空11便」(ボーイング767-200ER型機、乗客81人、乗員11人)と「ユナイテッド航空175便」(ボーイング767-200ER型機、乗客56人、乗員9人)の2機はロウアー・マンハッタンのワールドトレードセンターへと向かい、8時46分(日本時間で21時46分)にアメリカン航空11便がノース・タワー(北棟、110階建)に、9時3分(日本時間で22時3分)にユナイテッド航空175便がサウス・タワー(南棟、110階建)にそれぞれ突入した。

南棟は突入から56分後、北棟は1時間42分後に崩壊し、破片とそれに伴う火災は、47階建ての7ワールドトレードセンタータワーを含むワールドトレードセンターの他のすべての建物の一部または完全な崩壊を引き起こしただけでなく、周囲にある他の10の大規模構造物に大きな損害を与えた。

3機目の「アメリカン航空77便」(ボーイング757-200型機、乗客58人、乗員6人)はバージニア州アーリントン郡のペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)に激突し、建物の西側が部分的に崩壊した。4機目の「ユナイテッド航空93便」(ボーイング757-200型機、乗客37、乗員7人)はワシントンD.C.に向かって飛行していたが、途中で進路を南に変え、乗員乗客がハイジャック犯の拘束を試みた結果、ペンシルバニア州ストーニークリーク郡区の野原に墜落した。

ワールドトレードセンター跡地の清掃は2002年5月に完了し、ペンタゴンは1年以内に修復された。1ワールドトレードセンターの建設は2006年11月に始まり、2014年11月にオープンした。ニューヨーク市の911メモリアル&ミュージアム、バージニア州アーリントン郡のペンタゴンメモリアル、ペンシルバニア州の墜落現場にある93便ナショナルメモリアルなど多数の慰霊碑が建設されている。