自らの映画体験で、出演者に同化してしまう「フェイブルマンズ」(363)

【ケイシーの映画冗報=2023年3月16日】「フェイブルマンズ」(The Fabelmans、2022年)は、1952年、サミー・フェイブルマンが父バート(演じるのはポール・ダノ=Paul Dano)と母ミッツィ(演じるのはミシェル・ウィリアムズ=Michelle Williams)とともに映画「地上最大のショウ」(The Greatest Show on Earth、1952年)を劇場で鑑賞するところからはじまります。

現在、一般公開されている「フェイブルマンズ」((C)2022 Universal Pictures. ALL RIGHTS RESERVED.)。2022年9月に開かれた第47回トロント国際映画祭で、最高賞にあたる「観客賞」を受賞した。

大スクリーンに投影される動く映像に魅せられたサミーは、8ミリカメラで“作品”に取り組みます。それは映画の“列車衝突シーン”を再現するというかたちで生まれます。他にも妹たちを動くミイラにしてホラー映画を試みるなど、自分の道を進み始めるのでした。

ティーンエイジャーとなったサミー(演じるのはガブリエル・ラベル=Gabriel LaBelle
)は、あまり得意ではないボーイスカウトや学業よりも、映像に集中していましたし、西部劇や戦争映画を生み出していきます。

充実した少年期のはずでしたが、暗黒面もありました。優秀なコンピューター技術者として大企業に招聘される父親のため、数年ごとに転居する日々が、サミーの孤独と寂寥感を高めていきます。また、のんびり屋でどこか浮世離れした父親と、音楽家への夢を手放しながらも自由闊達な母親は争いが絶えませんした。

やがて引っ越したカリフォルニア州では、ユダヤ系という人種差別に直面したり、学業後の将来という「少年期にピリオドを打つ」ことにも向き合っていかなければならないのですが、サミーのなかで“映画・映像”への熱意は決して消え去ることありませんでした。

本作を監督、脚本(共同)も書いたスティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg、1946年生まれ)は、映画監督としてはもっともメジャーな存在ではないでしょうか。映画とは縁のないかたでも、世界有数の映画監督であり、ヒットメーカーであることはご存じでしょう。

21歳で自主製作とはいえ、劇場映画用の35ミリのカメラで作品をつくり、20代で当時の世界最大ヒットとなった「ジョーズ」(Jaws、1975年)を生み出したスピルバーグ監督ですが、その少年期がけっして恵まれてはいなかったのは、本作で描かれたとおりとなっています。

作品で描かれる両親の不仲や、引っ越しのたびに受ける疎外感、そしてユダヤ系という出自。これはすべて、監督自身の少年期でもあるのでした。もちろん、ただ苦難だけではなく、サミーが映画とカメラに興味をもつと、父は技術論を語るとともに8ミリカメラを買い与えますし、撮影と映写に夢中になっても、表現という行為に理解のある母はあたたかく見守ります。

多少の軋轢はあっても両親がサミーの志向に理解を示しますし、妹たちも“被写体”として協力的です。自分ののぞむ道に両親や家族、周囲の人物が否定することもすくなくありませんが、サミー(スピルバーグ監督)は、これを乗り越えています。順風満帆ではなかろうとも。

以前にも記しましたが、筆者は学生時代、映像作品を作っていました。劇中のようにフィルムではなくビデオカメラで、フィルムの切り貼りではなく、ビデオテープのダビングでの編集でしたが、鑑賞中、サミーに感情移入をしてしまう自分に気づきました。才能と実績では比較にならないことは承知ですが、人生のいっときを、近似の状況で過ごしていたことはたしかですので。

さらに、サミーの作品への志向。自分もかつて、ホラー風味の作品(ミイラではなくゾンビっぽく)や、西部劇ならぬ銃撃戦作品(少年期の特徴か、アクションに憧憬がありました)も仕立てましたし、「戦闘アクション」に特化した作品の構想(凍結中)もありました。こうした部分でも勝手に親近感を抱いてしまうのです。

「この物語を語らずに自分のキャリアを終えるなんて、想像すらできない」
スピルバーグ監督はこう語っています。50年にわたって監督作品やプロデュース作品(監督作より多い)を生み出してきた監督であっても、自身の理想にはなかなか到達できないというのは、自分のような市井の凡人にとっては、日常を送る励みになります。

「映画監督が作品を撮る時は、たとえ他人の脚本で、自分は撮影をしたり俳優に指示を出したりするだけであっても、その監督自身の人生が否応なくフィルム上に零(こぼ)れ落ちてしまう。これは自分の意思とは関係なく、どの監督でも起こることなんだ」(いずれもパンフレットより)

自分は作る側の人間でありませんが、この一文に惹かれました。「作品には必ず、作者本人が投影される」というのが真理であるということは、スピルバーグ監督のような巨匠であっても、不変なのは間違いないでしょう。

次回は先日の第95回アメリカ・アカデミー賞で主要7部門で栄誉に輝いた「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。