ホテル・アストラル(短編小説編2)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2023年5月5日】2 夫の死後も、私は夢の中で交信し続けていたが、ある夜、彼が向こうでも、宿を営んでいることを知った。

生前、夫は海辺の古い洋館を借りて、私とゲストハウス経営に乗り出したわけだが、「あちら」のホテルは、その当初2年間経営していた旧ロッジにそっくりだった。そこには、弟に2年遅れて亡くなった義姉もいたばかりか、旅行者に可愛がられた愛猫や愛犬もいて、義姉はせっせと甲斐甲斐しく、テラスを掃き清めたりしていた。

幽界でも、ホテルを経営しているとはちょっと意外で、妙な気がしたが、納得できないでもなかった。世話好きで寂しがり屋の夫らしいと思った。常に人声が聞こえる場所に身を置いていたいのだ。

こちらのホテルはカップルや家族連れ客で賑わい、常に騒音に溢れ返っていた。オーナーである夫はレセプションに常駐、日本人をはじめ、外国人客にフレンドリーに応対、面倒見のよさで慕われていた。

賑やかさを好む夫は、「あちら」でも世話の焼ける旅行者の面倒を見るのが生き甲斐で、ガヤガヤとした雰囲気に包まれていれば、居心地よく安心らしかった。レセプションオフィスは、犬や猫が寝そべり、いかにも心地よさそうな雰囲気に溢れていた。

夫は、母に愛されない末の息子で愛情に飢えていたのだ。妻となった私も、充分彼の寂しさの埋め合わせをしてあげられたか、甚だ疑わしい。特に金沢にベースを持ってからは、日本との行き来が頻繁になり、インドのことは放任がちで、寂しい思いをさせてしまったのかもしれない。夫を帰国同伴する習性は不経済なため、10年前に止めていたのだ。

私が夫が営む幽界ホテルの隠された役目を知ったのは、亡き母の夢を見てからだった。
母は、夢の中で次のように告白した。
「薄闇の中をずっとさまよっていたの。何カ月も彷徨して、もうこれ以上歩き続けられなくなったところに、居心地よさそうな旅籠屋があったの。ふらりと中に入ると、どこからともなく芳しい匂いが流れてきて、まるで雲のようなふかふかの寝具に倒れ込んだ。そのまま何日眠り続けたかしら。目が覚めると、肌の浅黒い、なんだか懐かしい人が立っていたの」

以下、母と肌の浅黒い男性の会話を再現すると、次のようになる。
「お母さん、僕のこと、覚えていますか」
「どなただったかしら、確かにどこかでお会いしたような、どこでしたっけ」
「福井のお母さんの実家ですよ。ほんの短い面識だったので、ご記憶にないかもしれないけど」
「ええ、確かに薄ぼんやりとお会いした記憶はあるのだけど。ええと、確かインドに嫁いだ娘の」
「はい。私はインドのお婿さんです。お待ちしておりました。ようこそ、僕のヘイヴン(安息所)へ」
「ああ、そうだった、結婚後しばらくして、遥々(はるばる)福井まであいさつに来てくれたんでしたわね。大人しくて誠実そうで、好印象を覚えたものですわ」
「僕も、日本のお母さんがひと目で好きになりました。またこちらで再会できてうれしいです」
「お婿さん、あなたはいつこちらに」
「お母さんより、2年も前に」
「まあ、私よりずっとお若いのに」
「酒と煙草の不摂生が祟りました。お恥ずかし次第です」
「娘はさぞかし、悲しんだことでしょうね」
「そのあなたの娘さんから、頼まれました。日本のお母さんがさまよい疲れて、あなた、つまりインドのお婿さんの幽界ホテルに来たときは、よろしく面倒見てやってくれ、体と心と魂の傷が癒えるまで、あなたの安らかな隠れ処、ヘイヴンで世話してやってほしいと」
「あの娘(こ)がそんなことを」
「はい。お母さんのことをとても心配していました」
「そう」
「でも、もう安心です。傷が癒えるまでいつまでもゆっくり休んでください。僕が必ず、光の世界に送り届けますから」
「ありがとう。でも、見ての通り、私はあちらの世界での心身の病からはきれいに解放されたのよ。至って正常、あちらでは何をあんなに悩んでいたのかしら。夜も眠れないほどに」
「お母さんが長年患っていた精神の病から解放されたことはうれしいです。あちらの妻もさぞかし喜んでいることでしょう」
「全部幻想だったのね、戦争、地震、家庭不和、みな仮想現実、私がどう反応するかで創作される自作自演のドラマだったのよ、あちらの世界のことは」
「長年、波乱万丈の人生を生き抜かれて、ご苦労さまでした。よくがんばられましたね。天寿をまっとうされたことを心からお祝い申し上げます」
「ありがとう。なのに、まだ癒しが必要なのかしら、ここで」
「ええ、あちらにまだ未練や執着が残って、旅発てないためです」
「光が怖いの。何度も私を導こうとするのだけど、まぶしさに耐えられず、拒否してしまうの。薄暗闇がちょうどいいのよ。あの光はきつすぎる。そう、とうの昔に亡くなった浮気亭主まで、改心して私を迎えに来るのよ。ご先祖さまやおばあちゃん、生家のお母さんのことだけど、そのおばあちゃんまで。私のわがまま、がんこさにお手上げよ」
「大丈夫、ここで名残りの傷が癒えたら、きっと飛び発てます。僕、インドのお婿さんはそのためのお手伝いを惜しみなくします」
「ありがとう。あなたとこちらで再会できてよかった。なんて居心地のよいいところかしら。私は、あちらでは、誰にも愛されない人だったのよ」
「愛に飢えていたという意味では、僕も同じです。母親に愛されない子どもでした」
「娘のこと、許してやってちょうだい。あの娘(こ)も充分苦しんだはすよ」
「ええ。こちらに来て、常に感じています、妻の愛を。おかげで癒されつつあります」
「よかったわ」
「僕も1年間、お母さんみたいに、後に残した家族のことが気がかりで、さまよい続けていたんです。そうするうちに、この幽界ホテルに行き着きました。僕はここにとどまり、体と心と魂の傷を癒した後、天界に旅発つ準備か整った先代オーナーのあとを引き継いだんです」
「そうだったの。でも、あなたもいずれは、光の世界に行かなくては。送るお手伝いばかりしていないで」
「ええ。でも今は、これがこちらでの僕の役目ですから。もっともっとたくさんの人を光の世界に送ったら、僕も浄化されて天に行くでしょう。まずはお母さんが先決です」
「私はまだ行きたくないわ。だって、こんなに居心地いいんですもの」
「ウエルカム・トゥ・ホテル・アストラル。心ゆくまで休んでください。スペシャルゲストとして、最高のおもてなしをさせていただきます」
「ありがとう」

私はいつだったか、夢で夫に頼んだごとくに、日本の母が夫の幽界ホテルに行き着いて、彼の手厚い世話で寛いでいることを知って、心底安堵し、そして、二人の奇遇ともいうべき繋がりに深々と感慨を馳せた。

確かに2人は義理の親子なのだ。こちらでは、人種や国の違いが彼らを隔てていたけれど、あちらでは壁はとっぱらわれたのだろう。言語の違いもテレパシーで解消、夫の幽界ホテルには、世界中から訪問客があるのだろう。ちょうど、こちらのゲストハウスが、インターナショナルなツーリストに愛されたように。夫は、そのためにこちらでホテルをオープンしたのかもしれなかった。

前哨戦ともいうべき修業期間、地球での見習いコース、ホテル経営の初心者レッスン、夫が命名したのは、奇しくも「LOVE&LIFE」だ。何よりも大切な人間愛とその上に成り立つ暮らし、愛に溢れた人間らしい生活、地球上でこれ以上大切なことがあろうか。

夫にとってのプレリュード、ホテル業のノウハウを「こちら」で学んだ彼は、「あちら」でそれを活かして、傷ついた魂を癒し、光の世界に送り届けるための崇高な役目を担っている。

私は、ホテル・アストラルをいつか、訪ねたいと思った。あちらに旅発てば、行けることはわかっていたが、できればこちらにいるうちになるたけ早く行きたいと思った。そして、母と夫に、義姉や亡きペットたちとの懐かしい再会を果たしたかった。

しかし、以後、待ち焦がれる幽界ホテルが夢の中に現れることもなく、忙しさにかまけて以前のような交信の機会も途絶えていった。時薬、歳月が経って癒されたということなのかもしれないが、私は寂しかった。早いもので、夫の死後2年半が経とうとしていた(続く)。

(「フィクションワールド」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げている続きで、「インドからの帰国記」とは別に、短編など小説に限定して掲載します。本人の希望で画像は使いません)