日米のプロデューサーが話合い、映画化に成功した「マリオ」(367)

【ケイシーの映画冗報=2023年5月11日】日本が「マンガ・アニメ・ゲームの国」というのは、1980年代からの世界的認識だといえるでしょう。1989年には日本のゲーム機“ファミリー・コンピュータ”のアメリカ仕様である“ニンテンドー・エンターテイメント・システム(NES)”がアメリカ国内で1050万台も売れ、日本よりも大きな市場となっていました。

アメリカでは4月5日から、日本では4月28日から一般公開された「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」((C)2022 Nintendo and Universal Studios. All Rights Reserved.)。

それからおよそ30年、日本のゲーム会社である任天堂と、世界的アニメ制作会社イルミネーションが共同で任天堂の人気キャラクター「マリオ」を主人公としたCGアニメ映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」(The Super Mario Bros.Movie)が誕生しました。

ニューヨークのブルックリンで配管工をやっているマリオ(声はクリス・プラット=Chris Pratt)とルイージ(声はチャーリー・デイ=Charlie Day)の兄弟は、独立して仕事に困りながらも日々を過ごしていました。ある時、地下の排水管が破裂し、街が水びたしとなります。修理しようと地下に降りた両人でしたが、マリオはキノコの国に、ルイージは暗黒の国に入りこんでしまいます。

そして、キノコの国は暗黒の国を率いるクッパ大王(声の出演はジャック・ブラック=Jack Black)の攻撃目標とされていました。キノコの国でピーチ姫(声の出演はアニャ・テイラー=ジョイ=Anya Taylor-Joy)に協力をとりつけたマリオは、囚われのルイージを助け、クッパ大王の野望を止めるための冒険の旅の出るのです。

1983年に「マリオブラザーズ」として発売された本シリーズは、2020年までにシリーズ合計で5億6000万本が販売された、世界でもっとも販売されたゲームのシリーズとなっています。

製作費は1億ドル(約130億円)、興行収入が5月2日現在で、世界で10億4500万ドル(約1358億5000万円)。国内では4月28日から30日の初週で映画興行ランキングで1位、5月5日から7日の2週目も1位で、日本の興行収入は5月7日までの累計24億7000万円、観客動員数が174万6000人。

ゲームの世界を映像化、映画化した作品は、その市場が拡大された1990年代からいくつも生まれていましたが、話題になったとしても、映像作品が単体で大きな評価を得ることはあまりありませんでした。

ゲームのファンからは「ゲームの楽しさや達成感が映像で感じられない」し、映画やアニメファンには「映像作品としての説得力や魅力が伝わらない」といった意見が多かったように記憶しています。

プレイヤーが操作して楽しむゲームは“能動的”で操作する個人のイメージやパーソナリティーが直接、画面に投影されます。“ゲーム・オーバー”という挫折や“ゲーム・クリア”という達成感も大きな要素です。

一方で、映像作品は作り手の意識・無意識が優先されるので、観客の意志とは関わりなく、最初から最後まで進んでいきます。意外性や驚きはあっても、やり遂げた感覚というのは、さほどありません。

こうした部分は、ゲームと映像という作品の根本的な違いなので、本来なら、後発の“映像化作品”が歩み寄る必要があったと想像しますが、映像を作る側の論理や思惑が、かつての“ゲームに原典を求めた映像作品”のかんばしくない評価につながったのだと想像しています。

本作「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」は、4月5日に一足早く公開されたアメリカで本年最高のヒットを記録し、4月30日には全世界興収10憶ドル(およそ1300億円)を突破しています。ゲームが原作の映画で、過去最高の興行成績という事実は、作品の仕上がりが観客に認められなければありえない現象です。

では、1990年代のゲーム原作作品と今回の「マリオ」の、どこが違ったのでしょうか。スタッフ、キャスト陣のコメントにヒントがありました。そのおおくがゲームでマリオを楽しんでいたというのです。マリオを演じたクリス・プラットの一文がその典型でしょう。

「僕自身、このゲームを30年ほどもプレイしてきたから、ファンの期待がすごく高いことは知っていた」(パンフレットより)

その「ファンの期待を裏切らない」ためか、本作のプロデューサーはイルミネーションの創業であるクリス・メレダンドリ(Chris Meledandri)と、任天堂の取締役で“マリオの生みの親”とされる宮本茂が務めています。そして、徹底的なディスカッションをこなし(一説に数年間)、ゲームとアニメとの“すり合わせ”をこなしたことで、「ゲーム世界の映像作品化」としての素晴らしい結果につながっているのでしょう。

やはり、30年前の“ゲームの映画化”は拙速に過ぎたような気がします。時間をかけさえすればよいわけではないのですが、必要な時間はしっかりと確保しなければならないのです。地道な作業が本作の完成度に寄与していることは間違いありません。

「マリオ」のゲームをほとんど知らない自分ですが、“明るく楽しい作品”として素直に鑑賞できました。出自に関わりなく、良作が生まれることは素晴らしいことだと確信しています。次回は「MEMORY メモリー」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。