ホテル・アストラル(短編小説編3、終)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2023年5月30日】3 京都の西本願寺に母の遺骨の一部を納め、早めの1周忌を済ませてまもなく、海外取材の話が舞い込んだ。原稿料は安かったが、この3年の心労を癒すには願ってもない話だった。

世界を襲った疫病もようやく、収まりかけており、各国は旅行者に門戸を開きつつあった。行先はインド洋に浮かぶ離れ小島、秘境だった。日程は5日間だったが、気に入れば、滞在を少し延ばすつもりでいた。

M島は、ターコイズブルーの環礁に囲まれた、椰子の緑との対照がことのほか、美しい島だった。昔、英国の植民地だった頃、サトウキビのプランテーション用労働にたくさんのインド人が連れてこられたことから、今もインド系の移民が多いとも聞いていた。

海に臨むコテージに宿をとった私は早速、探検に出かけた。取材の名目だったが、どこからともなく舞い飛んできた世にも珍しい白い羽のカラスを追ううちに、町を外れた森に迷い込んでしまった。

白いカラスはまるで、案内人のように私を導く。私は戻らないといけないと思いつつ、おびき寄せられるようにどんどん奥に入り込んでいく。行き止まりに、煉瓦壁の美しい城館が立っていた。古めかしいが、居心地よさそうな屋敷だった。私は喉が乾いていた。どうやらこのミステリアスなお城はゲストハウスらしく、1階にはカフェレストランもあるようだった。

私は無人のレストランに入った。ほどなくして、給仕が現れた。私はココナッツ汁で割った冷たいジンと、バナナケーキを頼んだ。冷たいジンは喉越しがよく、手製のバナナケーキは、風味たっぷりで美味だった。

30分ほど休憩し、精算に立ったが、誰も姿を現さない。私は伝票を手に持ってレストランを出、館の中を探り始めた。どことなく懐かしい感じのする雰囲気、私が最初2年間インドで経営していた古いゲストハウスに造りが似ていなくもない。

だからだろうか、胸が締めつけられるような郷愁を覚えるのは。明日から、ここに越してこようか、などと考えながらさまよっていると、廊下の突き当たりの部屋の観音開きのドアが大きく開いていた。

私はそっと覗き込んだ。ゆりかご椅子に座ったガウン姿の白髪女性におそるおそる、「ハロー」と英語で声をかけた。

老女は椅子を前後に揺らしながら、ゆっくり振り返った。その顔を見たとき、私は心臓が止まりそうになった。亡くなった母にそっくりだったからだ。正確に言えば、醸し出す雰囲気が。蒼い瞳の婦人は、銀髪に似合わず、若々しく美しかった。

「あのう、このゲストハウスのスタッフを探しているんですけど」
婦人は椅子を揺り動かしながら言った。
「オーナー?彼はもういないのよ」
そして、天井を指さした。私は首を傾げながら、認知が少し入っているのかなと、その場を後にした。

もう一度レストランを覗いて、レセプションに行った。相変わらず、カウンターは無人だった。私は諦めて、カウンターの上にお金を置いて、不思議な館を出ようとした。そのとき、ザーッとスコールが来た。足止めを食らって、所在なげに長椅子に腰掛け、雨が止むのを待った。案内人の白ガラスはもういなかったし、町にちゃんと帰れるかどうか心配だった。

「部屋をお探しですか」
いきなり背後から声をかけられ、私は振り返った。若い頃の夫そっくりの浅黒い痩せぎすの青年がはにかみながら、立っていた。

私は懐かしさに胸が塞がれ、返事できない。
「部屋は空いていますか」
しゃがれ声で、やっと言った。

夫と初めて会ったときのことを思い出していた。観光客向けの海辺のレストランで、肌の浅黒い痩せぎすの青年は、野卑な声を張り上げる車夫連中とは一線を画した片隅で、ひっそりとチャイ、地元民の愛飲する甘ったるいミルクティーを啜っていた。

その静謐な雰囲気に心惹かれた私は、給仕の少年にこっそり問いただして、裏のロッジの雇われマネージャーだと知った。その刹那、雷に打たれたように突如閃いたのだ。この人だ!と。私はとっさに近寄って自己紹介すると、やにわにビジネスパートナーにならないかと持ちかけていた。

この平和で美しいベンガル湾沿いの聖地が滅法気に入ってかれこれ半年近く滞在していた私は、ここにホテルを建てたいと夢見、現地人パートナーを探していたのである。しかし、なかなか信頼できる人物に巡り合わず、諦めかけていたところに、思いがけずおあつらえ向きの現地人に遭遇したというわけだった。

夫の若い頃によく似たボーイは、部屋が見たいという私を一室に案内し、気に入った私は明日の予約をした。私は青年と応対している間じゅう、まるで若い頃に帰ったようにときめいていた。親子と言っても不思議でない、息子と変わらない年齢の夫そっくりの青年は私に、青春を思い起こさせた。

結局、私はこの森の中のヘイヴンに1週間滞在した。居心地のいい、食事もこよなくおいしい、まさに隠れ家的安息所だった。サトウキビから作られた、舌にねっとり絡みつくレッドラムも、寝酒には最高だった。

あちらの世界の幽界ホテルがこちらにあるとしたら、こんなところかもしれないと思った。ただ母に似た婦人にも、若い頃の夫そっくりのボーイにもその後、一度として会うことがなかった。それがひとつの目的でもあった私は期待をはぐらかされたようで、落胆していた。

私はふと「写し身」という言葉を思い出した。夫と母が、この世の体を借りて、ひととき会いに来てくれたような気がしたのだ。もう二度と会えない、寂しいと思っていた私のもとへ、夢の中から抜け出してくれたような気がした。大丈夫、心配しないで、元気だよとのメッセージを伝えるために。

エピローグ

夫があちらで切り盛りする居心地いい旅籠屋に、この世のゲストハウス名をなぞるような崇高な意味が隠されていたと知って、身が引き締まる思いだった。こちらで名付け親である夫の遺志を引き継いで、ホテル名LOVE & LIFEを継承しなければならないのだろうが、どうやって?私にはまだわからなかった。

私は既に、帰っていく場所を失ったのだ。夫は、私の錨であり、港だった。帰りを待ってくれる人がいたから、私はいつだってかの地に帰っていけたのだ。今は糸の切れた凧同然で、母まで亡くして、帰る故郷も失った。もうどこにも帰る場所はない。金沢のマンションはいつまでたっても、仮住まいのままだ。

その上、疫病流行下の帰国を敢行した私は、帰りの航空券を持っていなかった。この35年帰国に際して購入するのは決まって往復航空券で、行きのみの片道切符を取る、否、取らざるを得なかったのは初めてだった。

不安定な情勢にそうすることを余儀なくされたのだ。帰りのチケットを持たない、というのがどういうことか、私は初めて知った。戻らなくていいのだ、すべては私次第、実際かの地に私を待っている人は誰もいない、帰る意味、帰らなければならない意義は失われた、現地人夫のもとへ戻るという大義名分は消失したのだ。自作自演の、私のインドでの物語はとうに終わったのである。

そして、私にとっての、終(つい)の住処(すみか)を求める旅がまた始まろうとしていた。それは、死出の旅に似ているかもしれない。いつか私も、あちらに行く、最後にたどり着くまでの、晩年の旅、私はそこに一歩踏み出さなければならない。まだ人生の旅は続く、いつになるか、幽界ホテルでの懐かしい人たちとの再会を思うと、胸が締め付けられ、愛おしさに涙がこぼれるが、まだそのときではないのだ。

謎めいた島での7日間は、忘れがたい思い出になった。取材記事には、森の中の隠れ家については触れなかった。自分だけの胸に仕舞っておきたかったからだ。秘密の安息所、地球上にも、こんな秘境、癒しの場があると思うと、生き続ける希望が湧いてきた。

今日も夫は、「ホテル・アストラル」で、傷ついた旅人たちを迎えているだろう。母はおそらく、もうそこにはいないだろう。1周忌が過ぎて、癒された魂は、天に上(のぼ)っただろう。インドのお婿さんの介助で、光の世界に送り届けられた母は、浄化したエネルギー体となって、その虹のようなきらめきは、迷妄の中にある娘を照らす。

その夜、久々に夢に現れた夫に、丁重に礼を言うと、いちだんと若返った夫は恥ずかしそうな笑みをこぼしながら言った。
「僕も、日本のお母さんを無事、天界に送り届けられてうれしいです。何せ、お母さん、僕と同じヘッドストロング、たくさんの神さまが迎えに来ても、退けていましたから。結局、不仲のお父さんの説得に負けたんですよ。2人は和解して、仲良く天に帰っていきました」

私は感動して、涙ぐんでいた。目覚めると、頬がびっしょり濡れていた。悲しい涙ではない、幸せで爽やかな気分だった。

ベランダの戸を開けると、遠い島でいつか見た白い渡りガラスが舞い降りて、驚喜した。真っ白な羽のホワイトレイヴン、神の使いは、私の頭上を啼きながら旋回すると、雲の彼方に消えた。あの天上の王国には、夫のホテルがあるにちがいない。彼自身が光の世界に飛び発つのも、そう遠くないような気がした(了)。

(「フィクションワールド」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げている続きで、「インドからの帰国記」とは別に、短編など小説に限定して掲載します。本人の希望で画像は使いません)