雨の中、藤原氏4代の栄華を偲ぶ中尊寺金色堂に感動(132-2)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2023年7月25日】みちのく車旅第2弾をお届けする。6月14日に石川県のめぐみ白山道の駅をお昼頃出発し、深夜に会津若松の道の駅で雨中泊、翌15日の午前中、同市の鶴ヶ城を見学したところまで書いた(https://ginzanews.net/?page_id=63764)。

月見坂下の中尊寺の入口。小雨降る参道の奥に立つのは、雨合羽装備で旅慣れたH、私は傘を差しながらぬかるみを進んだ。

観光後、車は一路仙台に向かって走り始めた。雨は完全には止んでおらず、曇りがちのフロントガラスにぽつぽつと雨粒が貼り付いて視界がぼやける。どうやら晴れ男の隣に雨女が座っているので、いつも晴れのはずのHの旅が雨に祟られているらしい。

そういえば、昨夏の福井のパークフェスティバル(若手人気アーティストが福井市中央公園で一堂に会する野外コンサート)もどしゃ降りで入場券1万円をふいにしたようなものだったし、名古屋も雨中、熱田神宮に傘差して荷物転がしながらの観光で、往生した。

昨日の疲労とすっきりしない悪天、目的地がいっこうに近づいてこないので、ついに老ドライバーは磐梯から高速に乗ることを決意した。私も高速代はカンパする。さすがに高速に乗ってからは早かった。予定では、13時に着くと言う。お昼はパーキングエリアの菅生(すごう)で、私は山菜そば、Hは天ぷらそばを食べたが(いずれも750円)、そばが名物の福井に劣らずおいしかった。

腹ごしらえして走り続けること1時間、ついに中尊寺の標識が見えてきた。あと一歩である。長い長い道のりだったが、ようやく出口が見えようとしている。

傘を差した善男善女が、本堂にお参りに向かう。鎮護国家の大伽藍、12世紀初頭に藤原清衡が落慶供養した中尊寺は、大寺の中にある小院で構成される一山寺院だ。

普段慣れない同乗者を乗せて、自分の車なのに煙草吸うのも横合いからブツブツ文句言われながらで、運転疲労を癒しにくかったにちがいなく、70代ドライバーの多大なる労力に、ただ座っていただけの私は深く敬服し、感謝した。

さあ、ついに世界遺産、平泉中尊寺だ(中尊寺金色堂の詳細は末尾を参照)。高速を出て4500円を払い、目的地到着、ドライバーを労って拍手、824キロ走破を惜しみなく賞賛した。さすが運転歴50年のベテラン、タダモノじゃない。

拝観料1人800円を払って、雨がちらつく中、坂下の入口へ。傘差しの私に比べ、旅慣れたHは雨合羽で、参道のぬかるみを進む。観光客はさほど多くないが、やはり世界遺産だけに悪天でもそれなりの人出はある。

ちなみに、中尊寺とは山全体の総称で、本寺と支院17カ院から成り、月見坂(標高130メートルの丘上にある中尊寺までの表参道)を登って諸寺にお参りするのだ。樹齢300年の大杉がすくとそびえる霊気に満ちた中を、参道沿いに並ぶ八幡堂、弁慶堂、地蔵堂、薬師堂と周り、本坊表門(切妻屋根で門柱を覆った薬医門形式)へ行き着いた。

本堂(1909=明治42年再建)の中には、丈六(じょうろく、1尺6丈で4.8メートル)の釈迦如来像が安置され(開眼は2013年)、神々しい鬱金(うこん)の光沢を放っていた。仏像はこれまでもたくさん拝んできたが、やはり格が違う。私のような素人にもそれがわかる。如来のお顔も神々しい気品美に輝いている。

本堂に祀られた丈六皆金釈迦如来座像は、2013年に開眼、如来像(高さ2.7メートル、台座・光背含め約5メートル=1丈6尺)の両脇にある灯篭は不滅の法灯、滋賀県の比叡山にある日本の天台宗の総本山・延暦寺の元火が1958年に中尊寺に分灯されたもので、開祖の伝教大師最澄(767-822)が1200年前に灯した火が護持されている。

本堂を出て、峯薬師堂(みねやくしどう、1689=元禄2=年移築、重要文化財)、不動堂を通り過ぎ、讃衡蔵(さんこうぞう、宝物館)へ。内部に展示されている国宝級の諸仏や経文(中尊寺経)、藤原氏ご遺体の副葬品などを見終わって(3000点余の文化財のごく一部が公開)、最後に燦然と輝く金色堂のレプリカに目潰しを食らった。模倣版だから小さめだが、めくるめく黄金(こがね)の光沢を放っている。本物への期待が高まった。

讃衡蔵(さんこうぞう)を出て、いよいよ金色堂へ。目の当たりにした、ガラスのケースに収められ外気と遮断された阿弥陀堂(1辺5.5メートルの小堂、扉、壁、軒から柱、縁・床に至るまで漆塗りの上に金箔を貼った純金箔貼り、1962年から1968年にかけて剥げた金箔を解体修理し復元)は、鈍い鬱金の光沢で落ち着いた色合い、キンキラキンを期待していたHはやや物足りなさそう。

が、私自身は偽物めいたきらびやかな金色を凌駕していると感に入った。渋くて気品ある金のきらめき、レプリカのように燦然とした輝きはないが、歳月とともにしっとりと落ち着いた褪色(たいしょく)のこんじきを保っている。

孔雀があしらわれた須弥壇(しゅみだん)の上には、阿弥陀如来本尊が両脇の観音菩薩・勢至菩薩(せいしぼさつ)、左右に3体ずつの地蔵菩薩を従え、前列に持国天(じこくてん)、増長天(ぞうちょうてん)が破邪(はじゃ)の形相で仏界を守護している(この仏像構成は他に例を見ない中尊寺独特のものらしい)。

弁慶堂の近くにあった張子の顔抜き弁慶像から茶目っ気たっぷりに顔を出すH。

金色堂はまた霊廟でもあり、3基の須弥壇の内部には金色の棺が安置されており、中央の壇には、奥州藤原氏初代の大壇主(だいだんしゅ)、金色堂を落慶供養した藤原清衡(ふじわらのきよひら、1056-1128)、右壇が2代基衡(もとひら、1105-1157)、左壇が3代秀衡(ひでひら、1122-1187)のご遺体、4代泰衡(やすひら、1155-1189年)の首級が納められているという(それにしても、由緒ある血筋の主君らのミイラが2023年の現代も、残っているとは驚きだ)。

撮影禁止のため、肉眼にくっきり焼き付けた。堂全体があたかも1個の美術工芸品のような目の保養、メインの観光を終えて、外の参道に戻り、弁財天堂、阿弥陀堂、大日堂を過ぎて峯薬師堂に祀られている金箔の薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)、病気平癒、特に目にご利益(りやく)のある小さなお堂を再度お参りした。目のお守り(600円)を買うためだ。Hは御朱印を集めているため、鶴ヶ城に続いて中尊寺でも買い求めた。折悪しく雨天ですべての寺社は周り切れなかったが、帰路弁財天堂も参拝し、目玉の観光を締めくくった。

峯薬師堂の大絵馬に書かれた目のお守りの効能。弱視の私は、藤色の「め」と書かれたお守りを買い求めた。

※著者注:中尊寺金色堂
中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202)は、天台宗東北大本山で、850(嘉祥3)年、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん、794-864)の開山に成り、1124(天治元)年、奥州藤原氏初代清衡公によって、前九年後三年の合戦で亡くなったすべての命を平等に供養し、仏国土を建設するために大伽藍が造営された。

金色堂は数ある堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂となっている。

内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿(らでん)細工で、象牙や宝石によって飾られている。

ほかに、透かし彫りの金具や漆蒔絵(うるしまきえ)と贅を凝らした装飾、平安後期の工芸技術を結集して荘厳されたもので、堂自体があたかも一個の美術工芸品と化した趣きだ。須弥壇の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、左右3体ずつ6体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従え、他に例のない仏像構成となっている。

この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺(もうつうじ)を造営した2代基衡公、源義経(1159-1189)を奥州に招きいれた3代秀衡公、そして4代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥壇のなかに今も安置されている。

仏教美術の円熟期とも称される平安時代末期、東北地方の2度にわたる大戦で家族をなくし、後にその東北地方を治めた清衡公が、戦いで亡くなったすべての人々の御魂(みたま)を極楽浄土へ導き、この地方に平和をもたらすべく建立した中尊寺の堂塔が古(いにしえ)の栄華を今に伝えている。

平等院鳳凰堂と並んで、平安時代(794年から1185年)の浄土教建築の代表例で、国宝に指定されている(1951年、国宝建造物第1号、奥州藤原文化の象徴ともいえる金色堂の所有者は宗教法人金色院)。ユネスコの世界文化遺産「平泉ー仏国土」(浄土)を表する建築・庭園及び考古学的遺跡群」(2011年登録)の構成資産としても名高い。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子の「Rapper Big Deal」はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2023年7月20日現在(CoronaBoardによる)、世界の感染者数は6億8747万6144人(前日比2万1575人増)、死亡者数が689万6254人(116人増)、回復者数は6億1977万0416人(6559人増)。インドは感染者数が4499万5055人、死亡者数が53万1915人、回復者数が4446万1664人、アメリカに次いで2位になっています。

ちなみにアメリカの感染者数は1億0743万3835人、死亡者数が116万9139人、回復者数は1億0558万8382人。日本は5月8日以降は1医療機関あたりの全国平均になっています。編集注は筆者と関係ありません)