雨中、賢治所縁の盛岡観光、仙台の夜景も見て帰宅(133-3)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2023年8月1日】前号のみちのく車旅2(https://ginzanews.net/?page_id=63891)で目玉の中尊寺観光を終えたところまでお伝えした。

岩手銀行赤レンガ館の外観。赤煉瓦に白い帯(花崗岩)を回した外壁、屋上のドーム、フレンチ窓など、異国情緒溢れる瀟洒な造り。

さて、いよいよ盛岡だ。あと90キロ、車は盛岡市目指して走る。途上、「ガスト」で早い夕食、17時までランチタイムだったため、ドリンクバー付き(200円)で800円とお得な日替わり定食(ハンバーグとコロッケ&ウインナー、小サラダ付き)が食べられた。

「サイゼリヤ」びいきの私は初めてガストを試したが、スープと野菜フルーツジュースとカフェラテは、ガストの方がおいしいと思った。ちなみに、給仕はロボットで、びっくりさせられた(お腹の部分が配膳棚になっていて客が自分で取る)。ただし、ハンバーグが市販の薄っぺらなもの同然で、サイゼリヤの方が本格的でおいしいと思った。サラダもサイゼリヤの方が別皿で分量大(ランチは8種あり一律500円でランチタイムのドリンクバーは100円なので、ガストより200円安)。だが、サイゼリヤはランチタイムが15時までなので、ガストの17時は重宝する。

店を出て、一路盛岡へ。私は携帯に控えておいたホテルエース盛岡(岩手県盛岡市中央通2-11-35)に電話して、喫煙ルームしか空いていないというので、妥協して1泊予約した。素泊まりで6000円。旅行支援を使えば安くなるのは知っていたが、ぎりぎり間際でネット予約している暇がなかったため、断念した。

車は盛岡市内に入り、駅前で下ろしてもらった。Hはこれから温泉に行き、その後は秋田の角館を目指すとのこと。秋田にも惹かれたが、とりあえずは1泊しないと、さすがの私もフラフラだ。これ以上、車中泊には耐えられそうにもない。それに、盛岡の観光もしたかった。長い道中お世話になったお礼を言って、別れた。お互いの旅に祝福あれ!だ。

岩手銀行赤レンガ館の内部は、アーチを潜り抜けた営業部が吹き抜けになっており、古風なシャンデリアがきらめく。2階は回廊が張りめぐされ、凝ったデザインの天井や階段の手摺、フレンチ窓のデザインが瀟洒で、明治モダンの香りが漂う中は無料で見学できる。

盛岡駅前と聞いていたホテルは実は、駅から20分程歩いた北上川にかかった開運橋を渡り、クロステラス盛岡(地上5階建ての商業施設)の前を過ぎて直進し、左折した路地の奥にあった。地元の主婦らしき女性が親切に現地まで案内してくれたのだ。

おかげで、どうにかチェックインできたが、室内は普通のビジネスホテル仕様、窓からカラオケ喫茶が見え、ややざわざわしている。ここは1泊で充分だと思った。風呂に入り、毎木曜日に楽しみにしていた連ドラ「あなたがしてくれなくても」(フジテレビ系毎週木曜日22時からだったが、6月29日終了)を観る。

若い2組の夫婦のセックスレスがテーマの話題作、原作は漫画アクション(双葉社)に連載されたハルノ晴の同名コミックだ。盛岡に来てまでお気に入りのドラマを見逃さない自分がなんだか滑稽で、しかも東北くんだりのホテルでと思うと、不思議な気分になる。観終わったあとは、さすがに疲れてバタンキュー。

翌朝、目覚めて、インドのホテルの元お客さんのN(盛岡在住)にメール、折り返し電話がかかってきて、オススメスポットを教えてもらった。雨さえ降っていなければ、お会いしたかったが、観光と言っても半日しかなく、午後にはバスで仙台に向かう予定だったので、今回は断念せざるを得なかった。

もう少し早く言っていただければ、車でご案内したのにとありがたいお言葉をいただいたが、いずれにしろこの雨では案内してもらうにも気が引ける。急に決めたし、H次第でその後の予定が立たなかったため、事前連絡は控えたのだ。もうひとつ、土日に差し掛かると、宿も夜行バスも取れないので、どうしても金曜夜には仙台を発ちたかった。バスは電話予約して、何とか取れていた。

フロントで聞いて、まず徒歩で行ける岩手銀行赤レンガ館(1911(明治44)年に盛岡銀行本店として完成、100年余の営業の後、2016年に創建当時の館内を展示する施設としてオープン)に傘を差して荷物を転がしながら、向かった。

盛岡市の町中の、北上川にかかるシンボル的開運橋。1890年に盛岡駅開業に伴い、当時の岩手県知事(石井省一郎、1842-1930)が私費で完成させ、当初は有料だった。「2度泣き橋」との命名もあり、転勤族が最初は遠くまで来てしまったと泣き、立ち去る時には離れるのが辛くて泣くとのいわれがある。

岩手銀行赤レンガ舘は見た目は、富山・高岡の赤レンガ富山銀行とそっくりだった。あとで調べてわかったことだが、設計者が辰野金吾(1854-1919)と同じだった(富山銀行の方は監督で直接設計したわけでなかったが)。ただ、無料で中に入れるので、明治期の洋風モダンの瀟洒な造りを見学できた。

そこを出て、雨の止まない中、来た道を戻り、途上、盛岡城跡公園(江戸時代南部藩の城下町として栄えた南部盛岡の不来方=こずかた=城跡を公園として整備、1956年開設)に寄ってさらに直進、目立つ白い鉄架のトラス構造の開運橋にたどり着き(金沢の犀川にかかる大橋にちょっと似ているが、水色の犀川大橋の方が小ぶり)、ひとつ向こうの旭橋を渡って、Nのオススメの宮沢賢治(詩人・童話作家、1896-1933)ゆかりの光原社へ向かった。途中、2人の人に訊いてやっと行き着いた。

ショーウィンドウに洒落た皿や壺が展示してある店で、一旦は足を止めながら、そことは知らずに通り過ぎてしまったのだ。戻って中に入り、見学。中庭があって、洒落た民芸品店(カムパネラ)や珈琲店(可否館)が並ぶ。宮沢賢治直筆の原稿も展示してあった。

1924(大正13)年、盛岡の杜陵出版部・東京光原社を発売元とし(東京光原社は賢治の命名)、「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」(1924=大正13=年)を自費出版同然に1000部刊行したのだ。短編集としては賢治の生前出版された唯一の書籍だったが(「春と修羅」の詩集を1924年に自費出版)、ほとんど売れなかった(発行人は近森善一、盛岡高等農林学校の1年後輩だった)。杜陵出版部(光原社)は後に民芸店に転業、光原社の名前で現在も営業を続けているというわけだ。

盛岡の町は緑豊かで川が流れ、荒削りな自然が魅力。金沢ともちょっと似ているが、金沢の方がより繊細かもしれない。しかし、未知の者にも比較的わかりやすい町の造りで、歩きやすくて気に入った。もう少し時間があって、雨さえ降っていなければ、ほかにもある賢治ゆかりのスポットや、1本先の路地(材木町界隈)も散策してみたかったし、石川啄木(1886-1912)の歌碑も見たかったが、雨がひどいので断念、駅に行って早めに仙台に向かうことにした。

バスで2時間30分(片道3300円)、16時過ぎに到着、まず予約したJR高速バス、金沢行きのチケット(百万石ドリーム政宗号、片道9900円)を買いに行った。17時までに買うように言われていたのだ。西口の高速バス乗り場の奥に予約センターがあり、無事チケットをゲットした。

それから、目についた駅前のサイゼリヤに入り、遅い昼食をとった。さすがに疲れて観光はパスして、2時間あまり休憩、19時頃店を出て、ネットで調べた仙台の夜景を見下ろすに格好のSS30(住友生命仙台中央ビル)に向かう。2人に聞いてもわからず、3人目の若い男性に訊くと、親切にも現地まで案内してくださった。

宮沢賢治が「注文の多い料理店」を初出版した光原社(元杜陵出版部)は今は、民芸品店となっているが、賢治の自筆原稿も展示され、賢治ファンには必見。

東北人は本当に親切だ。東京で人に道を聞いても、おざなりに教えられるだけ、仙台駅を訊いたときは、可愛い女子高生が私も行くからと同行してくれたし、今回は3人もの人に現地まで案内いただいた。こういう親切って、なかなかできない。私もこれから道を訊かれたときは、遠くなければ、現地まで案内してあげようとしみじみ思った。

みちのくの人の優しさに触れた旅、仙台の夜景も、30階の雰囲気のいい展望フロアで全面ガラス張り越しに楽しめたし、仙台は子どもの頃来たことがあったが、ほとんど未知の街同然、さすが東北の都会というか、洗練されていた。名古屋のようにダサくない。好きな方の街である。観光よりも街歩きが楽しそうな。

みちのく車旅は不運にも、雨に祟られたが、雨旅も風情があってなかなかいいものだ。いつも旅に出るときは、天気予報をチェックする私、今回も梅雨どきで心配していたのだが、折悪しく直球のど真ん中、それでも中尊寺は観れたし、盛岡も半日観光できた。

雨予報だと、旅のプランを断念することも多かった私だが、なんとかなるものだなと思った(あとでネットチェックしたら、中尊寺から10キロの一関が大雨で倒木とあって、1日遅れていたら観られなかったかもしれないと思うと、ぎりぎりセーフで、ラッキーだった)。

Hからは予定通り角館着、海を見ながら温泉に浸かっているとのメッセージが届いた。
コロナ禍来、温泉を禁じている私、解禁になる日が早く来てほしいと願いながら、いいね!と送り返した。

SS30が通称の住友生命仙台中央ビルの最上30階は展望フロアとなっており、杜の都の壮麗な夜景を楽しめる。デートスポットとしてもオススメだ。

追記:高齢ドライバーのアクセル・ブレーキ踏み間違え事故が多発する昨今、免許証返納の予定はないのかとHに訊くと、80歳までは運転し続けるとのこと、実際、地方では車がないと不便なのである(77歳の叔父もまだ運転している)。運転が好きで、ひとりで自由にやりたいことをやっているからストレスもたまらないとH、じゃないと、軽で福井から鹿児島や下北半島突端までの無謀(酔狂?)はできないよなぁ。

ちなみに、ネットによると、最近、軽ワゴン(ダイハツのムーブ)で3カ月かけて日本1周(1万2000キロ余、予算100万円)した若い女性が話題になっているようだが、外食などに結構お金をかけているし、1日の走行距離もHの比じゃない、改めて、ツワモノパワーに敬服した。

軽で下道を走っての日本1周のガソリン代は10万くらい(キャンピングカーだとガソリン代は2倍と、寝心地はいいがかえって高くつき、1周には軽バンがベストらしいが、軽トラでもいいとか、なんと言っても燃費が最安値なのは軽自動車)、車中泊で宿代も不要だし、食事も持参かコンビニ食にすれば安上がり、日本1周も通しでやるか分割でやるかでまた違ってくるが、車所有者で旅好きならば試してみる価値あり。

バイクで1周の手もあるが、こちらは我がインドの安宿の元お客さんYが見事達成、私の周りは旅のツワモノばかりで、バックパッカーの垂涎の的・南米制覇どころか、現地の嫁さんまでもらってしまった人もいる。

*なお、ツワモノドライバーHの詳細(旅や芸能活動)を知りたい方は、以下をクリックください。
https://m.facebook.com/p/%E5%A0%80%E5%86%85%E8%8C%82%E6%98%AD-100010703712057/

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子の「Rapper Big Deal」はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2023年7月27日現在(CoronaBoardによる)、世界の感染者数は6億8784万5979人(前日比1万7700人増)、死亡者数が689万7515人(69人増)、回復者数は6億1986万5045人(8136人増)。インドは感染者数が4499万5311人、死亡者数が53万1915人、回復者数が4446万1932人、アメリカに次いで2位になっています。

ちなみにアメリカの感染者数は1億0749万8924人(1万7098人増)、死亡者数が116万9747人(65人増)、回復者数は1億0562万1184人(8101人増)。日本は5月8日以降は1医療機関あたりの全国平均になっています。編集注は筆者と関係ありません)