糸魚川に翡翠探索ツアーも、炎天下の浜で石拾いに難儀(134-1)

【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2023年8月9日】7月25日、新潟県糸魚川市に翡翠探索日帰りツアーに出ることにした。6月半ばのみちのく車旅で通過したところで、その際相棒のHの口から、糸魚川市(詳細は末尾1)が翡翠の産地で有名なこと、川での採掘は禁止されているが、海岸で採ることは許可されていることなどを知った(ヒスイの産地は、姫川、青海川の流域と両河川が流入する日本海沿岸)。

金沢駅から2時間程で泊駅(富山県東端)へ。ホーム後方で待ち構えていたワンマン電車で、県境を越えて新潟県に入る。

江戸時代から断崖絶壁の難所で知られる親不知(おやしらず)も通過し、高架道から海を見下ろし、車窓越しながら糸魚川のひなびた漁村風情も気に入っていた。

で、後日調べてみると、糸魚川ヒスイ(詳細は末尾2)は、乳緑色の硬玉(微細な結晶が絡みついて壊れにくい)で、ミャンマー産の緑色の軟玉に比べると、値打ちもの国産品であり、ヒスイには精神を安定させ、創造力を高めるパワーもあると知って、ぜひとも再訪して、海岸での採掘を試みたいと思うようになった。それが41日後に実現したわけだ。

早起きして、金沢駅7時57分発のIR石川鉄道で2時間ほどで泊駅着(片道2380円)、そこから同じホームの後方のえちごトキめき鉄道に乗り換え、1時間待ちで30分後、11時21分に糸魚川駅に到着した(泊と糸魚川間は760円)。泊駅では時間があったので、降りてみてもよかったのだが、折しも猛暑、ホームから見たところ、取り立てて何もなさそうで、冷房の効いたワンマン電車で涼み待ちを選んだ。

糸魚川駅に着いて、まず日本海口(北口)に進み、階下の出口に出る手前右手にヒスイ王国館との標(しるべ)が見えたので、小階段を降りてガラスの扉を開けて中に入ると、折りよく観光案内所にぶつかった。朝5時起床で頭がぼんやりしていた私は、喫茶店でコーヒーを飲んで、軽いものをつまみたくて、オススメカフェを訊いたのだが、火曜は定休日とかで店は閉まっていると言われ、唖然、ついでにヒスイ海岸への行き方やほかの観光スポットについても尋ね、地図やパンフ類をもらって、1階のヒスイ王国館はざっと見ただけで、一旦駅の外に出てみた。

炎天下の町は、静まり返っていた。角に古代のお姫さまのような銅像が立っている。乙姫さま紛いの髪型やいにしえの衣装から、昔翡翠の勾玉を使って祭祀を行い越の国を統治した才色兼備の奴奈川姫(ぬなかわひめ)らしく(詳細は末尾3)、左手に丸いヒスイの原石を掲げていた(後で調べてわかったことだが、この神秘的なお姫さまと握手すると、幸せになれるご利益があったらしい)。

ローカル色豊かなえちごトキめき鉄道は、新潟県上越市に本社を置く第3セクター方式の鉄道。日本海ひすいラインと妙高高原はねうまラインの2線あり、ひすいラインの終点・直江津から妙高高原(片道900円)にも行けると知った。

アーケードの商店街は定休日のせいか、シャッターが降りている店が多く、駅前通りは閑散としている。それにしても、軽食を食べさせるカフェくらいあるだろうと、歩き出したが、行けどもそれらしき店は見当たらず、折柄の猛暑、外をぶらつくことがしんどくなって、駅に逆戻りした。先を進めば、巨大な翡翠の勾玉像や、勾玉が舗道に嵌め込まれた一角もあったらしいが、暑すぎてそれ以上歩く気になれなかったのである。

自販機でよく冷えた缶コーヒーを買って、観光案内所前の椅子などが置かれたフロア、観光ビデオや展示が見られるコミュニティホールに座り、持参したパイ菓子を3個食べて、見るともなくビデオを見たあと、先程通過しただけの1階のヒスイ王国館に降りてみた。

土産物や各種翡翠製品、鶯色の指輪やネックレス、勾玉や、淡い紫の数珠(ラベンダー色の玉は青海川ヒスイ峡産)などが売られたり、大きな原石(姫川支流の小滝川ヒスイ峡産)が展示されているコーナーを物色(市販の翡翠製品は良いものだと、3万円から5万円と高値)、1時間ほど涼んで、今度はアルプス口(南口)の観光案内所に向かい、天津・奴奈川姫(あまつ・ぬなかわひめ)神社の行き方を訊いた。ヒスイ海岸までは2キロあり、炎天下歩くのは辛いが、神社は近いらしく、1番観光にはもってこいのように思えた。

オーブンのような大気の中を、雨傘を日傘代わりに差して着いた天津・奴奈川姫神社(天津神社は12代景行天皇=実在したかは不詳。日本武尊(ヤマトタケル)の父。BC13-AD130、計算上は143歳=の御代に創設された古社、詳細は末尾4)は、境内が木陰になっていて涼しく、ほっとした。

天津神社の拝殿は茅葺き屋根という珍しいもので、お賽銭をあげての参拝がてらしばし日陰で憩い、また駅に戻った。それにしても、あまりにも暑くて、次の観光をする気力が湧かない。駅構内後方が、ジオラマコーナー(正式名称はジオステーション・ジオパル。詳細は末尾5)になっていたので、トワイライトエクスプレス(かつて大阪と札幌間で運行されていた臨時寝台特別急行列車、2015年3月12日終了)のA寝台スイートと食堂車の備品をJR西日本から一部譲り受けて復元した車両を見学した。

珍しい茅葺きの天津神社で参拝がてら一服、避暑にはもってこいの涼しいお社内に人心地ついた。

せっかく早起きして3時間かけて糸魚川まで来たけど、この日帰りツアーは外れだったかなぁと悔やみ始めていた。こう暑いと、観光どころじゃない。構内には、夏休みで糸魚川に来た若い旅行者達が手持ち無沙汰にごろごろしていた。暑すぎて観光もままならず、構内の椅子でスマホをいじりながら涼んでいるのである。

とても歩いてヒスイ海岸まで行く気力はないので、観光案内所で海岸まで行くコミュニティバスはないかと訊いたら、えちごトキめき鉄道で次の駅と言われ、10分後に出ると言うので、急いで上にあがり、190円なりの切符を買って、電車に乗った。

えちご押上ひすい海岸駅から海岸までは10分、やっと目当てのヒスイが採れるかもしれない海岸に行き着いた。小石が敷き詰められた海岸では、1組の親子連れが海水浴を楽しんでいた。反対側の浜には、何組かの海水浴客がいるようだったが、こちら側は閑散としている。海の色は透明だが、いかんせん暑い。海水浴に来たわけでない私は、傘を差しながら炎天を避けて、おざなりに石ころをふた、み掴みし、バッグのナイロンの袋に収めた。

灼熱の浜にそれ以上とどまる気になれず、無人駅に戻り、次の電車を待った。汗がだらだら流れる。猛暑下の旅がこんなにしんどいものとは。これなら、雨の方がまだマシだ。失敗したかなぁと、また悔いる気持ちがじわりと湧きあげてきていた。

かつて大阪と札幌間を結んだ寝台特急トワイライトエクスプレスの備品を譲り受け、復元した車両の食堂車が糸魚川駅構内に展示されていた。

脚注
1.糸魚川市は新潟県最西端に位置する市で、上越地方に属し、日本海に面する。糸魚川静岡構造線(フォッサマグナの西端)が通り、日本の東西の境界線上に位置する。世界有数かつ世界最古のヒスイの産地(ヒスイのふるさと)であり、景勝地の親不知でも知られる。全域がユネスコ世界ジオパーク(糸魚川ジオパーク)に指定されている。

2.糸魚川市近辺で産出されるヒスイは、5億2000万年前に生成された。長い年月を経て、原産地周辺ではヒスイを利用する文化が芽生えた。その発祥は、約7000年前の縄文時代前期後葉までさかのぼることができ、世界的にみても最古のものである。ヒスイ文化は原産地である糸魚川を中心とする北陸地方で著しい発展を見せ、ヒスイ製の玉類などは、その美しさと貴重さゆえに「威信財」として尊ばれた。

3.「奴奈川姫」は「古事記」や「出雲風土記」などの古代文献に登場する高志国(現在の福井県から新潟県)の姫であると言われている。「古事記」では出雲国(今の島根県)の大国主命(おおくにぬしのみこと)が沼河比売(= ぬなかわひめ)に求婚に来た、とあり、また、「出雲風土記」では天の下造らしし大神(大国主命)が奴奈宜波比売(=ぬなかわひめ)の命と結婚して御穂須々美(みほすすみ)命を産み、この神が美保に鎮座していると記されている。

4.天津神社は、多くの指定文化財を有し、地振振興・安全にごりやくがある。春の大祭(けんか祭り)で奉納される舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。天津神社の大きなお社(やしろ)を回り込んで隠されるようにある小さな社の奴奈川姫神社には、奴奈川姫と大国主命が仲良く祀られ、二柱は夫婦神のため、縁結び・良縁・子宝のご利益がある。糸魚川市にはほかに、能生(のう)白山神社や、奴奈川神社など、奴奈川姫を祀った神社がいくつかあり、神秘的な姫伝説が今に生きている。

5.糸魚川ジオステーション“ジオパル”は、糸魚川市が北陸新幹線糸魚川駅高架下に建設した「糸魚川世界ジオパーク」の魅力発信基地であり、また、鉄道実車両、模型、プラレールに親しみ、楽しむことができる交流施設である。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子の「Rapper Big Deal」はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2023年8月7日現在(CoronaBoardによる)、世界の感染者数は6億8837万9465人(前日比1万7150人増)、死亡者数が686万4626人(764人増)、回復者数は6億1997万5554人(2830人増)。インドは感染者数が4499万5933人、死亡者数が53万1918人、回復者数が4446万2462人、アメリカに次いで2位になっています。

ちなみにアメリカの感染者数は1億0756万4390人(1万6913人増)、死亡者数が117万0781人(762人増)、回復者数は1億0568万0370人(2570人増)。日本は5月8日以降は1医療機関あたりの全国平均になっています。編集注は筆者と関係ありません)