KAIGADOで藤田勇哉が帝国ホテル100年「今と昔」展、初日来場

【銀座新聞ニュース=2023年9月1日】絵画堂(千代田区内幸町1-1-1、帝国ホテルアーケード内、03-3503-7988)が運営するKAIGADO Gallery(同上)は9月1日から10月9日まで藤田勇哉さんによる特別企画展「Recollection-追憶-帝国ホテルの歴史とともに」を開く。

KAIGADO Galleryで9月1日から10月9日まで開かれる藤田勇哉さんの「Recollection(リコレクション)-追憶-帝国ホテルの歴史とともに」に出品される作品((C)Yuya Fujita)。

画家の藤田勇哉さんが1890(明治23)年11月7日に開業した帝国ホテル(現帝国ホテル東京)の今と昔をテーマに作品を描いている。

2023年に帝国ホテル2代目本館、通称「ライト館」は開業から100周年を迎え、それに伴い本館アーケードも同年9月1日に100歳の誕生日を迎える。アメリカの建築家、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867-1959)による設計のもと建てられた「ライト館」は、当時類をみない異彩を放つ建物として「東洋の宝石」と呼ばれた。

藤田勇哉さんは、帝国ホテルのアーカイブ室にて、ライト館から現在の3代目本館に至るまでの資料を確認し、帝国ホテルの関係者からホテルに関するエピソードを聞き、1968年にライト館の中央玄関(登録有形文化財)が移築され、その当時の家具や照明なども展示している、博物館「明治村」(愛知県犬山市字内山1、0568-67-0314)へのリサーチも行い、今回の企画展に向けて新作12点を描いた。

展示では、3つの作品群で構成され、1は「『Recollection-追憶』-帝国ホテルの歴史とともに」とし、新作を展示する。2はフルーツや野菜、瓶やコルク抜きなどの代表作品を展示する。3は鉛筆画を展示する。

ウイキペディアによると、帝国ホテルは1886(明治19)年に東京の官庁集中計画が練られた際に、外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテルの設計が組み込まれ、1890(明治23)年11月3日に落成、11月7日に開業した。1883年に隣接する鹿鳴館と密接な関連を持つホテルとして井上馨(1836-1915)の説得で、渋沢栄一(1840-1931)と大倉喜八郎(1837-1928)の2人が1888(明治21)年に有限責任帝国ホテル会社(設立当初は有限責任東京ホテル会社)を設立し、建設した。

初代帝国ホテル(現・帝国ホテル東京)は3階建て、客室数60室で、設計は渡辺譲(1855-1930)が担当した。しかし、1919(大正8)年に失火により別館(1906年完成)が全焼したが、その前の1916(大正5)年に当時の総支配人、林愛作(1873-1951、1909年に総支配人に就任)がアメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトに後に「ライト館」と呼ばれる新館(地上3階、地下1階、客室数は270室)の建設を発注、1919年9月に着工していた。

しかし、1922(大正11)年4月にこんどは初代館が失火により全焼し、ライトが設計の変更などを繰り返し、予算も150万円から900万円に6倍も膨れ上がり、林愛作が引責辞任し、工事中の新館の早期完成が急務となり、対立したライトは1922年7月にアメリカに帰国した。

帝国ホテルは新館の一部完成済みの部分を利用して営業を再開し、ライトの弟子だった遠藤新(あらた、1889-1951)が指揮して、1923(大正12)年7月に完成した。9月1日に「落成記念披露宴」が開かれる予定で、準備に大忙しの時に関東大震災が東京を襲った。しかし、小規模な損傷はあったもののほとんど無傷だったライトの帝国ホテルはひときわ人々の目を引いた。ライトは2週間後このことを遠藤新からの手紙で知り、狂喜したという。

1945(昭和20)年3月10日から11日の東京大空襲では、本館中央部から南翼、孔雀の間、演芸場などに多くの焼夷弾が落ち、焼失は総床面積の4割強に及ぶ大きな被害を受けた。だが、終戦ともに帝国ホテルはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され、そこで大規模な修復工事が行われ、復旧した。

1954年にはライトの本館(ライト館)の裏手(現在インペリアル・タワー=現帝国ホテルタワー=が建っている敷地)に客室数170室の第一新館(設計者は高橋貞太郎=1892-1970)が完成(1980年に解体)、1958年にその横に地上10階、地下5階、客室数450室の第二新館(設計者は高橋貞太郎)が完成した(1980年に解体)。これを受けて、1964年にはライトの本館を取り壊し、その跡地に新たに鉄筋コンクリート造、地上17階、地下3階、客室数772室の新本館を建設することが発表された。

ライトの本館は1967年に閉鎖され、1968年春頃までに取り壊された。跡地に建設された近代的外観の新本館は、1970年の日本万国博覧会開会に合せて、同年3月10日に竣工した(新本館の設計者は高橋貞太郎)。ライト館の玄関部分は博物館明治村に十数年の歳月をかけて移築された。2005年4月、新本館14階の「インペリアルフロア」に新設された「フランク・ロイド・ライト・スイート」は、ライト館のさまざまな箇所に施された独特なマヤ調の意匠やライト独自のスタイルでまとめられた内装や調度品を忠実に再現している。

藤田勇哉さんは1974年埼玉県生まれ、1999年に東京造形大学造形学部美術意Ⅰ類を卒業、2017年から2022年まで毎年、KAIGADO Galleryで個展を開いている。

9月1日は15時から19時まで藤田勇哉さんと絵画堂ディレクターが会場にいる。

開場時間は10時から18時(日曜日、祝日は17時)。入場は無料。