エンタメ色は薄いが、静かな迫力のある「ヒンターラント」(376)

【ケイシーの映画冗報=2023年9月14日】日本では大東亜洋戦争(1941年12月8日から1945年8月15日)の終結した8月15日が「終戦の日」として認識され、第2次世界大戦(1939年9月1日から1945年9月2日)の戦勝国は、日本が降伏文書に調印した9月2日を「対日戦勝記念日」としているのが一般的です。

現在、一般公開中の「ヒンターラント」((C)FreibeuterFilm/Amour Fou Luxembourg 2021)。

また、日本では“先の大戦”というと第2次大戦より大東亜洋戦争が強くイメージされますが、世界史に明るい友人によると、ヨーロッパの地勢を一変させたのは第1次世界大戦(1914年7月28日から1918年11月11日)でした。

本作「ヒンターラント」(Hinterland、2021年製作)の舞台となっているオーストリアは、第1次大戦の当事者です。オーストリア皇太子の暗殺事件が世界大戦を引き起こしたのですから。

6月にはじまった戦い(編集注:6月28日にセルビア民族主義者の青年が、サラエボへの視察に訪れていたオーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者フランツ・フェルディナント大公を暗殺したサラエボ事件が起こった。7月28日にオーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告し、世界戦争につながった)は当初、「クリスマスには終わる」と思われていましたが、4年にわたる戦いのなかでロシア帝国では革命によってソ連邦が成立し、皇帝一族は銃殺されてしまいました。大国だったオーストリア・ハンガリー帝国は分裂し、帝政ドイツも共和国となり、それぞれの皇室は権力を失って他国へ亡命しています。

そんな時代のヨーロッパが本作の舞台となっています。第1次世界大戦の敗北後、出征兵士たちのリーダーであるペルク中尉(演じるのはムラタン・ムスル=Murathan Muslu)らは、荒廃した故国オーストリアの情景に愕然とします。ロシア戦線で捕虜となり、収容所から戻った彼らに軍部の扱いもきびしく、軍務からは見放され、職も住居もない者もいました。

ペルクは自宅に戻りますが、愛する妻子は実家にもどっており、その旅費も工面できないほど困窮しているところに悲報がもらたされます。一緒に帰国した部下のひとりが惨殺されたというのです。

もとは優秀な警察官であったペルクは、かつての同僚レンナー(演じるのマルク・リンパッハ=Marc Limpach)に、警察への復職と捜査への協力をもちかけられます。捜査官時代の自分と関わりのあった女性法医学者テレーザ(演じるのはリヴ・リサ・フリース=Liv Lisa Fries)や若い刑事パウル(演じるのマックス・フォン・デル・グローベン=Max von der Groeben)らと事件に関わるようになったペルクは、自身の暗い過去と向き合いながら、真相を求めて動き始めます。

本作の監督・脚本はシュテファン・ルツォヴィツキー(Stefan Ruzowitzky)、オーストリア出身の映画監督で、2007年にナチスドイツで実行されたイギリスのポンド札偽造事件を扱った「ヒトラーの贋札」(原題・Die Falscher、英語・The Counterfeiters)で、2008年のアメリカ・アカデミー賞の外国語映画賞を受けています。

ルツォヴィツキー監督によると、歴史を学んだことで、「実はオーストリアだけでなくヨーロッパ全体にとって、第2次世界大戦直後よりも第1次世界大戦直後の方が、文化的な影響と衝撃は遥かに大きかったのだろう、と感じたんです」
というイメージを持ったそうで、前述の友人の意見と一致しています。

そして、「その時(第1次世界大戦後)人々は確かに『終焉』を感じ、全く新しい何かが始まるのだという思いを実感として抱いていたはずなんです」(いずれもパンフレットより)と、この時代の人々を想像したと語っています。

本編には、社会主義革命の影響がオーストリアにも押し寄せていることや、女性の社会進出(多くの男性が戦場に駆り出されたため)がおおきく進んだことが表現されています。法医学者テレーザは「戦争がなければ法医学に就くことはなかった」と語っています。

本作で一番印象に残るのが、帰郷したペルクが彷徨する首都ウィーンの歪んだ情景です。“音楽と芸術の都”“宮廷文化の本場”と日本では紹介されるウィーンですが、戦地と収容所での生活を経たペルクには、あざやかな色彩のまったくない、歪んだ風景です。これは全編をブルーバックで(監督やスタッフ・キャストによると“青い地獄”)俳優陣の演技を撮影し、コンピュータで描いた幻想的な情景を組み込むことで、非現実的な世界を現実化し、大戦争に敗北し、国の成り立ちや価値観、そして宗教観にいたるまでも喪失した世界を描ききっていると感じました。

そこでも懸命に生きていくペルクは、魅力的ですが、内包した恐ろしさもただよわせます。命のやりとりを経験しているという芯です。「戦争が終わるイコール平和」ではないという冷徹な事実をデフォルマシオンした背景で描いた本作は、エンターテインメント色は希薄ながら、静かな迫力を内包した一作となっています。次回は「ジョン・ウィック4:コンセクエンス」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。