大丸東京でウエニがタイメックスのMETコラボ腕時計、北斎、広重ら

【銀座新聞ニュース=2023年10月13日】海外ブランドの時計、ファッション雑貨などの代理店事業を主とするウエニ貿易(台東区池之端1-6-17、03-5815-5700)はアメリカの時計メーカー・タイメックス社(コネチカット州)がメトロポリタン美術館(ニューヨーク州)とコラボした腕時計「THE MET」を大丸東京店(千代田区丸の内1-9-1、03-6895-2342)7階の紳士雑貨売り場で10月13日から12月25日まで販売する。

ウエニ貿易が大丸東京店で12月25日まで販売しているタイメックス社がメトロポリタン美術館(MET)とコラボして商品化した「THE MET(ザ・メット)」シリーズ(5モデル)。

タイメックス社(Timex)がメトロポリタン美術館(Metropolitan Museum of Art、MET)とコラボした「THE MET(ザ・メット)」は美術館に所蔵される、オーストリアの画家、グスタフ・クリムト(Gustav Klimt、1862-1918)、オランダのポスト印象派の画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853-1890)、江戸時代の浮世絵師で、のちに3代目歌川豊国となる歌川国貞(1786-1865)、江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎(1760-1849)、江戸時代の浮世絵師、歌川広重(1797-1858)の作品を文字盤とストラップに施した5種類のモデルで、いずれも1個1万9800円(税込)で販売する。

このシリーズはタイメックスを代表するデジタルウォッチ「タイメックス 80」や、視認性を極めた機能美とコンテンポラリーデザインが特徴の「モダンイージーリーダ」をベースに、著名なアートを身に着けるというコンセプトがベースになっている。

「クリムト」は作品「メーダ・プリマヴェージの肖像」(1912年)を使用している。パトロンであったオーストリアの銀行家、オットー・プリマヴェージ(Otto Primavesi、1868-1926)の9歳の次女メーダ(Mada Gertrude Primavesi、1903-2000)がモデルで、「華がある表情豊かな肖像画は、そのポーズや表情と相まって、自信に満ちた少女の様子をとらえている」としている。

大丸東京店で販売されている「THE MET」シリーズの「クリムト」。

「ゴッホ」は「麦わら帽子をかぶった自画像」(1887年)を使用している。「大胆な筆はこび、鮮やかな色彩、ゴッホ自身の豊かな表情など人々の記憶に残る作品として現在もメトロポリタン美術館所蔵の中でも人気の高い作品のひとつ」となっている。

「クニサダ」は中国の武勇伝「水滸伝」(明代=1368年から1644年=に書かれた長編白話小説)をベースにした歌舞伎にでてくる「朝比奈藤兵衛」(江戸時代前期の侠客)を演じた人気役者がモチーフで、奇しくもこの作品が世に出たのはタイメックスの創業年と同じ1854年という。作品の図柄はストラップ部分にまで入り、艶やかなステンレス製ケースがフレームの役割を果たすかのように良いコントラストを生んでいるとしている。

「ホクサイ」は葛飾北斎の「神奈川沖浪裏(かながわおき・なみうら)」(1830年から1834年ころ)という作品で、メトロポリタン美術館をはじめ、海外では「The Great Wave」という名で親しまれている。よりリアルで魅力的な波の表現と演出を追い求めた葛飾北斎の人気シリーズ「富嶽三十六景」(1831年から1834年に描かれた全46図の作品)のひとつで、「飲み込まれてしまいそうな小舟、奥に静かにそびえる富士山など見る者に大波が勢いよく迫ってくる感覚を与える」としている。

「ヒロシゲ」は歌川広重の傑作シリーズとして知られるのが四季折々の江戸の風景を描いた「名所江戸百景」(1856年から1858年にかけて描かれた119枚の作品)の中のメトロポリタン美術館に所蔵されている、第94景「真間の紅葉手古那の社継はし(ままのもみじ・てこなのやしろつぎはし)」をモチーフにした1本で、赤く色着いた楓(かえで)の葉の奥に筑波山などの山々が見え、美しい景色が描かれている。

ウイキペディアによると、タイメックスは2024年に170周年を迎える、1854年にアメリカ・コネチカット州ウォーターベリーに創業したカジュアルウォッチブランドで、アメリカに実質的な本拠を置くほぼ唯一の時計メーカー。

アメリカにはかつて多くの時計メーカー・ブランドが存在したが、スイスや日本との競合に敗れ、1960年から1980年代までに消滅するか、他国にブランドを買収された。タイメックスは今や唯一アメリカに残存したブランドであるため、自国産を重視する見地から大統領や著名人に多数愛用者がいる。

同じく販売されている「ホクサイ」。

1854年に「ウォーターベリー・クロック・カンパニー」(Waterbury Clock Company)がコネティカット州ウォーターベリーで創業し、当初は置時計、掛け時計を生産していたが、1877年から懐中時計の生産に着手、1880年には懐中時計部門として別会社の「ウォーターベリー・ウォッチ・カンパニー」(Waterbury Watch Company)が設立された。ウォーターベリーは、当時のアメリカで進んでいた大量生産を指向した。

1881年にニューヨークでインガーソル兄弟によって創立された「インガーソル」(Ingersoll)は、アメリカで19世紀後期から勃興していたカタログ通信販売ビジネスを行っていたが、1892年からウォーターベリー・クロック・カンパニーに生産を委託し、大量生産による廉価型懐中時計「ユニバーサル」を売り出して成功を収めた。1894年のインガーソルによるウォーターベリー・クロックへの時計発注は50万個に及んだという。

インガーソルから1896年に発売された懐中時計「ヤンキー」は、「ダラー・ウォッチ」の通称のとおり、1ドルという極めて低価格を実現した。文字盤は紙に印刷して糊付け、内部は簡素なピンレバー式脱進機構で、軸受けにはルビーなどの宝石を一切使わない「0石」の粗製品ではあったが、最低限の実用性と圧倒的低価格を両立させ、「ヤンキー」は1898年には年間100万個を売り、当時の大ヒット製品となった。

インガーソルは1905年に自社のイギリス工場を設立して「ダラー・ウォッチ」の現地組み立てを開始、やはり低価格の「5シリング時計」として成功した。この工場は1930年にイギリス企業に売却されている。

一方、ウォーターベリー・ウォッチは1880年代後期に量産路線で成功を収めたが、1890年代になると経営不振に陥り、1898年に「ニューイングランド・ウォッチ」(New England Watch Company)として再建され、同社は高価格帯へのシフトを図ったものの成功せず、1912年に倒産して操業停止した。

インガーソルはウォーターベリー・クロックへの外注生産を脱するため、倒産した時計会社の「トレントン・ウォッチ」(Trenton Watch Company)を1908年に買収し、「インガーソル・ウォッチ・カンパニー」としてアメリカにおける時計の自社生産を開始した。1914年には倒産した「ニューイングランド・ウォッチ」も買収、1916年には日産1万6000個の時計生産能力を備え、懐中時計・腕時計を扱う、低価格時計メーカーとしての規模を拡大した。

第1次世界大戦(1914年7月28日から1918年11月11日)でのアメリカ軍用時計納入にも参加、この過程でラジウムを利用した夜光時計を発売している。しかし、相次ぐ拡大路線に相反し、第1次大戦後のインガーソルは経営難に陥り、1921年に倒産した。これを1922年に買収したのは「ウォーターベリー・クロック」で、会社は「インガーソル・ウォーターベリー」として以後も「インガーソル」ブランドでの時計生産を続けた。

1930年にウォルト・ディズニーとライセンスを結び、1933年に世界初の「ミッキーマウス・ウォッチ」を発売した。余剰軍用時計の放出品にミッキーマウスの文字盤を組み合わせた低コストなキャラクター・ビジネスが当たって大ヒットし、大不況下で苦しかった経営を立て直した(タイメックスの日本進出後、同様な日本国内の企画としてムーミンや、カリメロ、フランダースの犬といったキャラクター・アイテムが制作され、日本国内のみで販売された)。

子ども向けアニメ作品とのタイアップは、製品の性質が精密機械や宝飾品に近い高級時計メーカーでは考えられなかった着想で、大衆向けブランドのインガーソルだからこそ踏み切れたノベルティ的企画だったが、以後のさまざまなキャラクター・ビジネスにおける代表的な先駆例と言える。この初期のミッキーマウス・ウォッチのシリーズは、後年ではプレミアの付くコレクターズアイテムになっている。

1940年、第2次世界大戦(1939年9月1日から1945年9月2日)によるドイツのノルウェー侵攻に伴い、ノルウェーの大手海運企業フレッド・オルセン社(Fred Olsen Ltd)の社主トーマス・オルセン(Thomas Olsen)はアメリカに逃れた。オルセンは1941年にインガーソル・ウォーターベリーの経営権を獲得し、自身は会長職に就いたうえで、ノルウェーの政治家・実業家であったヨアキム・レームクール(Joakim Lehmkuhl、1895-1984)をインガーソルの社長に就任させ、レームクールは1974年までインガーソルの経営トップを務めた。

アメリカの第2次世界大戦参戦後は、軍用時計生産のほか、他の時計メーカーと同様に精密加工技術を活かした兵器部品の生産にも携わった。1942年からは時限信管の製造を開始し、連合軍に対する主要供給者となっている。1944年に会社名は「ユナイテッド・ステーツ・タイム」(United States Time Corporation、USタイム)となっている。

USタイムはスイスを発祥とする時計メーカーのブランド「タイメックス(TIMEX)」を買収、1950年から自社ブランドとした。インガーソルは市場において過去半世紀以上も「ダラー・ウォッチ」に代表される低価格時計の代名詞となっており、販売戦略上不利と考えられたためである。

ヨアキム・レームクールは、戦後の「タイメックス」ブランド発足に際して、単なる大衆時計に留まらない、丈夫で信頼性の高い実用腕時計という販売戦略を採った。合理化設計によって、「ダラー・ウォッチ」同様に軸受の宝石を減らして特殊合金で代替するなどの策を用いつつ、防水機能や耐衝撃機能も組み込み、低価格と頑丈さを両立させた。

タイメックス製品は、インガーソル以来の伝統で引き続き廉価なピンレバー式手巻き腕時計を主力とし、0石・ピンレバー構造のまま自動巻き機能を搭載したモデルも市販した。ベトナム戦争(諸説あるものの、アメリカは1964年8月2日に参戦し、1973年3月29日に撤退、1975年4月30日に北ベトナムが南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)を陥落させて終了した)時においては「ディスポーサブルウォッチ」と呼ばれる簡素な軍用腕時計を大量生産し、アメリカの各軍に納入している。

一方、1959年には「ラコ(Laco)」ブランドで時計を生産する西ドイツのラッハー社(Lacher&Co. AG)と同社系列のムーブメントメーカー・ドゥローヴェ(Durowe)を買収し、1957年にアメリカのハミルトン社が実用化したばかりの先端技術であった電池駆動式腕時計を、アメリカ生産より割安に供給できるドゥローヴェ製電動キャリバーを搭載することで1961年から発売、大衆時計市場に送り込んだ。

USタイムは1965年にラッハー、ドゥローヴェをスイスのエボーシュSA(現・エタ社)に売却したが、その後もタイメックスでは1970年代までラコードゥローヴェ系の電池式キャリバー搭載モデル生産を継続、ドゥローヴェ製多石・手巻き式キャリバー(17石・21石)を搭載した上級モデルも手がけている。

タイメックスの実用重視の低価格路線は、高級時計を売りたい宝飾店からは受けが悪かったが、一方でデパートはもとより、ドラッグストアから小さな煙草スタンドのような、従来は腕時計の小売場所と考えられていなかった販売チャネルを開拓することに成功した。

この路線は結果的には適切で、1950年代から1960年代、アメリカの名門高級時計メーカー各社がスイス製腕時計の台頭により、実質的消滅に追い込まれてブランド売却またはスイスへの実質移転していく中、大衆品メーカーのタイメックスだけがアメリカ資本の独立メーカーとして生き残った。

1969年には社名もブランド名の「タイメックス」に変更し、1970年にはマルマンを代理店として日本に進出したが、主力製品がピンレバー式の廉価品で、より本格的な機械式ムーブメントを搭載する日本メーカーの廉価帯腕時計に対抗できる性能水準ではなく、大きなシェアを得るには至らなかった。

1970年代のクォーツショックと日本メーカーの急激な伸びにおされ、1970年代から1980年代にかけては苦しい経営状態が続いたが、クォーツ式へのシフトを達成し、市場に踏み止まった。1986年には現在まで続くスポーツウォッチシリーズ「アイアンマン」(IRONMAN)を発売、1989年には13時から24時表記を最外周にした独特の文字盤表示と革を編み込んだベルトという個性的なデザインの「サファリ」(Safari)が映画「7月4日に生まれて」の作中でトム・クルーズ(Tom Cruise)さん演じる主人公が着用していたことから大ヒットとなり、「タイメックス」の知名度を再び高めることに貢献した。

1992年には文字盤全面が発光する機能の「インディグロナイトライト」を搭載した時計を発売した。現在タイメックス社の時計の約75%以上がこのインディグロナイトライト機能を搭載している。現在ではアイアンマンシリーズ、アウトドア用のエクスペディションシリーズの他に、キャンパー、ウェークエンダー、サファリシリーズなどの3針クォーツウォッチなどを中心に販売している。

唯一のアメリカブランドの腕時計であることから、高級腕時計でないにもかかわらず、国産ブランド愛用のアピール目的にビル・クリントン(William Jefferson Clinton)さんが大統領就任演説で着用したのをはじめ、ジョージ・W・ブッシュ(George Walker Bush)さんらアメリカの有名人や政府の要人が度々着用していることで知られている。また、一時、アメリカを敵視している国際テロ組織「アルカーイダ(Al-Qaeda)」のウサーマ・ビン=ラーディン(Usama bin Ladin、1957-2011)もタイメックスを着用していた。

メトロポリタン美術館の設立構想は、1864年、パリで7月4日のアメリカ独立記念日を祝うために集まったアメリカ人たちの会合の席で提案された。会合の参加者のひとりだった実業家のジョン・ジョンストン(John Taylor Johnston、1820-1893)は、アメリカに国際的規模の美術館が存在しないことを憂い、メトロポリタン美術館の設立構想を訴えた。

美術館は1870年4月13日に私立として開館し、その後は基金による購入や、コレクターからの寄贈によって収蔵品数は激増し、現在では絵画、彫刻、写真、工芸品ほか家具、楽器、装飾品など300万点の美術品を所蔵し、世界最大級の美術館のひとつとなっている。

入館料は長いあいだ「希望額」として掲示されていたが、2018年3月以降、ニューヨーク市民およびニューヨーク近郊の住民以外は支払いが義務化され、大人25ドル、65歳以上17ドル、学生12ドル、12歳未満は無料となっている。美術館の運営管理は理事会によって行われ、創立100周年の1970年から始まった大改修計画により、美術館の総床面積は約18万5800平方メートルに倍増している。

営業時間は10時から20時。