丸善日本橋でピカソ、シャガール、小磯良平展、村上華岳らも

【銀座新聞ニュース=2024年2月24日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は2月28日から3月5日まで3階ギャラリーで「MASTERS of ART-ピカソ シャガール 小磯良平から現代作家まで」を開く。

丸善・日本橋店で2月28日から3月5日まで開かれる「MASTERS of ART-ピカソ シャガール 小磯良平から現代作家まで」に出品されるユトリロの「サノア通り」(油彩)。

19世紀に写真が登場すると、それまでの伝統に沿った絵画では写真に対抗できないと考える画家たちが現れるが、そうした中で絵画だけではなく、版画や彫刻、陶器まで精力的に制作したのが没後50年となるスペイン出身で、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家のパブロ・ピカソ(Pablo Picasso、1881-1973)や没後39年となるロシア出身のユダヤ系フランス人画家・マルク・シャガール(Marc Chagall、1887-1985)で、今回はこの2人をはじめ、生誕120年を迎えた、近代日本の洋画家を代表する小磯良平(1903-1988)を中心に、同時代を生きた巨匠たちの油彩画、素描、版画などや、先人に倣いながらも超えようと現代に活躍する作家の作品など約50点を展示販売する。

今回、出品するのは、パブロ・ピカソ、マルク・シャガール、小磯良平のほか、近代のフランス人画家、モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo、1883-1955)、フランスの彫刻家、画家のアリスティド・マイヨール(Aristide Bonaventure Jean Maillol、1861-1944)、アンニュイな女性、森にたたずむパリジェンヌ、海に浮かぶヨットなどの絵で知られるフランス人画家のジャン・ピエール・カシニョール(Jean Pierre Cassigneul、1936年生まれ)さん。

個性的な山水図や牡丹図、水墨にプラチナ泥(でい)を併用した仏画などで知られる日本画の村上華岳(かがく、1888-1939)、数多くの馬を描き、柿、栗などの静物や能面をモチーフにした作品で知られる洋画家の坂本繁二郎(はんじろう、1882-1969)、風景画で知られる洋画家の牛島憲之(のりゆき、1900-1997)、生涯古い民家の絵を描き続け「民家の向井」と呼ばれた洋画家、向井潤吉(1901-1995)。

「日本的洋画」を主張し、「日本人の油絵」の創造をめざした洋画家の児島善三郎(1893-1962)、主にヨーロッパの広場を描いた作品で知られる洋画家の児玉幸雄(ゆきお、1916-1992)、熊本県の崇城(そうじょう)大学名誉教授で、身近な風景、静物、少年時代の思い出などをフレスコ画で描くフレスコ画の第一人者、有田巧さん(1952年生まれ)、独自の感性と透明感のある色彩で描かれた風景や花々で知られる洋画家の岡野博さん(1949年生まれ)、

フランスで独学で絵画を学び、自然と人間、詩情をテーマに描いている喜多尾ボンタン礼子さん(1950年生まれ)、現代アフレスコ画の第一人者で、現代日本画や洋画を代表する絹谷(きぬたに)幸二さん(1943年生まれ)、長年フランス・パリに滞在し、静物や風景を中心とし、微妙な色使いによって表現する小杉小二郎さん(1944年生まれ)、

光のなかに佇む女性、精緻な昆虫シリーズなどで知られる写実画家の島村信之(のぶゆき、1965年生まれ)さん、スペイン在住でヨーロッパの風景や花などで知られる長縄眞兒(ながなわ・しんじ、1949年生まれ)さん、主に花と女性をモチーフに制作している福永明子さん(1968年生まれ)、自然の風景や動植物を描いた作品で知られる油彩画家の松沢真紀(まき、1982年生まれ)さんら。

ウイキペディアによると、パブロ・ピカソは1881年10月25日スペイン南部アンダルシア地方のマラガ市生まれ、1895年にバルセロナに移り、美術学校に入学、入学制作を1日で完成させ、1897年にマドリードの国展で佳作、マラガの地方展で金賞、同年秋にマドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学するも、中退し、プラド美術館に通い、名画を模写し、1899年にバルセロナで店のメニューをデザインしたり、アールヌーボー調のポスターを描いた。

1901年に雑誌「若い芸術」の編集に携わり、「青の時代」(1901年から1904年)の始まりとされ、1902年にパリに住み、1904年に「洗濯船」と名付けられたモンマルトルの建物に住み、「ばら色の時代」(1904年から1907年)のはじまり、1907年から1908年まで「アフリカ彫刻の時代」とされ、1912年にモンパルナスへ移り、1918年にロシアの将軍の娘で、貴族の血を引く、バレエダンサーのオルガ・コクローヴァ(Olga Khokhlova、1891-1955)と結婚、パリに移り、1918年から1925年まで「新古典主義の時代」に入り、1926年に「シュルレアリスムの時代」、1928年から彫刻に専心し、1930年にカーネギー賞を受賞した。

1932年にマリ・テレーズ・ヴァルテル(Marie-Therese Walter、1909-1977)と共同生活をはじめ、1936年に人民戦線政府の依頼によりプラド美術館長に就任、1937年に「ゲルニカの時代」とされ、1944年にパリ解放後最初のサロン・ドートンヌに80点の作品を特別展示、1946年にフランソワーズ・ジロー(Francoise Gilot、1921年生まれ)さんと共同生活、1954年にジャクリーヌ・ロック(Jacqueline Roque、1927-1986)と共同生活(後に結婚)した。

1968年に版画に専心、6カ月間で347点を制作、1970年にアヴィニョン法王庁で140点の新作油絵展、バルセロナにピカソ美術館を開館、1973年4月8日頃、南仏ニース近くにあるムージャンの自宅で肺水腫により死去した。

マルク・シャガールは1887年7月7日に帝政ロシア領ヴィテブスク(ヴィチェプスク、現ベラルーシ・ヴィーツェプスク)にて9人兄弟の長男として生まれた。1910年にパリに赴き、5年間滞在し、故郷へ戻る。この最初のパリ時代の作品にはキュビスムの影響が見られる。1915年に母が病死し、同年にベラ・ローゼンフェルト(Bella Rosenfeld、1895-1944)と結婚した。1917年の10月革命後のロシアでしばらく生活するが、1922年に故郷に見切りをつけ、ドイツ・ベルリンを経由して1923年にはふたたびパリへ戻った。

1941年に第2次世界大戦が勃発しナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命したが、妻のベラ・ローゼンフェルトは1944年にアメリカで病死した。1947年にパリへ戻り、1950年から南フランスに永住することを決意し、フランス国籍を取得した。1951年、彫刻制作を始め、1952年にユダヤ人女性ヴァランティーヌ・ブロツキー(Valentina Brodsky、1905-1993)と再婚した。

1960年にエラスムス賞を受賞し、同年、当時のフランス共和国文化大臣のアンドレ・マルロー(Andre Malraux、1901-1976)がオペラ座の天井画をシャガールに依頼し、1964年に完成している。1966年に17点の連作「聖書のメッセージ」をフランス国家に寄贈し、マルローはこの連作を含むシャガールの作品を展示するための国立美術館の建設を推進し、ニース市が土地を提供する形で、1973年にニース市に「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館」(現国立マルク・シャガール美術館)が開館し、1985年3月28日亡くなり、1966年から20年近く暮らした、ニースに近いサン=ポール=ド=ヴァンスの墓地に眠る。

小磯良平は1903年兵庫県神戸市生まれ、1928年に東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科を卒業、在学中の1925年に「兄妹」で帝展入選、1926年に「T嬢の像」で帝展特選、卒業後の1928年にフランスに留学、1936年に帰国、「新制作派協会」(現新制作協会)の結成に加わり、1938年から1年間、陸軍省嘱託の従軍画家として中国に渡り、帰国後戦争画を描いた。

1941年に群像画「娘子関を征く」(第1回芸術院賞)と「斉唱」を相次いで発表、群像を書くため精力的に戦争画に取り組むが、戦後は画集に収録しなかった。戦後は東京芸術大学教授を務め、定年退官後に、迎賓館(赤坂)大広間の壁画「絵画」と「音楽」を制作した。1992年に創設された「小磯良平大賞展」は国内最高賞金の公募展となっている。1979年に文化功労者、1982年に日本芸術院会員、1983年に文化勲章などを受賞している。1988年12月16日に肺炎のため死去した。享年85。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。入場は無料。