丸善日本橋で宮北千織、斎藤満栄ら院展作家展、鈴木靖代特集も

【銀座新聞ニュース=2024年3月30日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は4月3日から9日まで3階ギャラリーで「院展作家 現在、未来展」を開く。

丸善・日本橋店で4月3日から9日まで開かれる「院展作家 現在、未来展」に併催される鈴木靖代さんの「綿毛」。

公益財団法人「日本美術院」(台東区谷中4-2-8、03-3821-4510)の公募展、院展で活躍する同人作家から将来性のある気鋭作家の新作を中心に約40点を展示する。また、愛知県立芸術大学出身で、日本美術院に所属し、愛らしい猫や生き物を描く鈴木靖代さんも特集する。

ウイキペディアによると、「日本美術院」は1898(明治31)年に岡倉天心(1863-1913)が東京美術学校を排斥されて学校長を辞職した際に、自主的に連座して辞職した横山大観(1868-1958)らが岡倉天心の計画する美術研究の構想に賛同し、同年7月に美術研究団体としての 「日本美術院」を東京・谷中大泉寺(谷中初音町)にて結成したのがはじまりとされている(1952年に東京都の文化史蹟に指定され、現在、岡倉天心記念公園として岡倉天心先生旧宅趾・日本美術院発祥之地碑が建てられている)。

同年10月に落成開院した日本美術院は日本絵画協会と連合して「日本美術院展覧会(院展)」を開いた。以後、日本絵画協会と合同で春秋2回、絵画展覧会を開くも、1900年秋季の展覧会が最盛期で、以後、資金の欠乏、院の内紛、綱紀の乱れなどが原因で徐々に沈滞するようになった。

1905(明治38)年に茨城県・五浦海岸へ別荘(六角堂)を建設した岡倉天心は、 1906(明治39)年に第1部(絵画)と第2部(彫刻)を改組し、第1部を五浦海岸へ移転させるが、当時、岡倉天心はフェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa、1853-1908)の紹介でボストン美術館中国・日本美術部に入っており、五浦とボストンを往復するうちに日本美術院への興味を失っていった。また、第2部は国宝修理も行うことから1914(大正3)年に「美術院」と改称し、1965年に「財団法人美術院」となり、2013年に「公益財団法人美術院」となった。

1910(明治43)年に岡倉天心がボストン美術館中国・日本美術部長として渡米すると、日本美術院は事実上の解散状態となった。1914(大正3)年に文展(文部省美術展覧会)に不満を持つ横山大観や下村観山(1873-1930)らは、1913年に岡倉天心が没したことを契機に、その意志を引き継ぎ、谷中上三崎南町に研究所を建設し(現在公益財団法人「日本美術院」がある)、日本美術院を再興した。

現在、日本を代表する日本画の美術団体として活動を継続している。日本美術院には日本画のほかに洋画部(1920年9月に脱退)と彫刻部(のち「彫塑部」と改称し、1961年2月に解散)も加わったが、現在は日本画のみになっている。

日本美術院展覧会(院展)は、1914(大正3)年10月に日本橋三越旧館で「日本美術院再興記念展覧会」を開き、これが現在、東京都美術館で9月に開かれている日本美術院展覧会(院展)の第1回展にあたり、1944(昭和19)年、1945(昭和20)年を除き、毎年秋に開催されてきた。

日本美術院展覧会を開催できなかった1945年11月に「日本美術院小品展覧会」が日本橋三越で開かれ、こちらは第2回展から毎年春に開かれることになり、1959年に「日本美術院春季展覧会」と改称され、1970年からは「春の院展」として現在まで毎年開かれている。1958年5月に日本美術院は財団法人化され、2011年4月に公益財団法人化され、2014年に再興100周年を迎えた。

春の院展は毎年4月上旬(年度により3月下旬の場合も)より日本橋三越本店にて約2週間開かれるのを皮切りに、約4カ月かけて全国10カ所弱を巡回する。同展覧会の前身が習作展・試作展・小品展であることから、秋に行われる再興院展よりも出品サイズが小さく、特に同人作家にとっては実験的な作品を発表する場として位置づけられている。

規定サイズは縦型(外装込)が150センチ×75センチ以内、自由形(外装込)が106センチ×106センチ以内となっている。主な賞としては、外務大臣賞、春季展賞、奨励賞がある。

また、再興院展、春の院展において優秀な成績を得、作家として将来性があると認められる者に、国内または外国において研修させ、その技芸を向上させることにより我が国文化の発展に貢献することを目的に、毎年度100万円の「日本美術院奨学金」を、原則として2人に授与している。日本美術院の序列は、低い順から一般、研究会員、院友、特待、招待、同人とされている。現在、代表理事・理事長は田渕俊夫さん。

今回、出品するのは日本美術院同人、東京藝術大学名誉教授の宮廻(みやさこ)正明さん、日本美術院同人、愛知県立芸術大学名誉教授の松村公嗣(こうじ)さん、日本美術院同人の村上裕二さん、日本美術院同人、東京藝術大学准教授、文星芸術大学特任教授の宮北千織(ちおり)さん、日本美術院同人の斎藤満栄(みつえい)さん。

日本美術院同人、愛知県立芸術大学名誉教授、広島市立大学名誉教授、金沢美術工芸大学客員教授、中国の精華大学美術学院(北京)国際専門家会員の北田克己さん、日本美術院同人、東京藝術大学教授、武蔵野美術大学客員教授の國司(くにし)華子さん、日本美術院同人、女子美術大学教授の岸野香(かおり)さん、日本美術院院友、愛知県立芸術大学准教授の岩永てるみさん、日本美術院院友の加来万周(かく・ばんしゅう)さん。

日本美術院特待の染谷香理(かおり)さん、日本美術院院友の永井建志さん、日本美術院院友の松下雅寿(まさとし)さん、日本美術院院友の松村光太さん、日本美術院院友、東京藝術大学日本画教育研究助手の松村侑紀さんら。鈴木靖代さんは日本美術院院友。

宮廻正明さんは1951年島根県松江市生まれ、1979年に東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業、1981年に同大学大学院修士課程を修了、東京藝術大学大学院美術研究科保存修復技術研究室非常勤助手、1986年に同大学非常勤講師、1995年に同大学大学院美術研究科文化財保存学日本画助教授、2000年に教授、2009年に東京藝術大学学長特命社会連携センター長、2018年に東京藝術大学を定年退職し、名誉教授。

松村公嗣さんは1948年奈良県生まれ、1972年に愛知県立芸術大学を卒業、1974年に同大学大学院美術研究科修士課程を修了、1973年に再興第57回院展で入選(1986年に奨励賞、1991年、1993年、1994年、1995年に日本美術院奨学金、1996年、1997年にも奨励賞、1998年に日本美術院賞(大観賞)、同人推挙、2004年に文部科学大臣賞、2007年に内閣総理大臣賞)、1975年に山種美術館賞展で人気賞(1989年に買い上げ)、1979年に第34回春の院展で奨励賞(1984年、1987年、1992年、1994年にも奨励賞、1995年、1996年に春季展賞、1997年に外務大臣賞、2007年に第3回足立美術館賞)、2000年に愛知県立芸術大学教授、2011年1月号から「文藝春秋」の表紙絵を制作、2013年に愛知県立芸術大学学長に就任、2019年に同学長を退任、現在、愛知県立芸術大学名誉教授。

村上裕二さんは1964年東京都生まれ、1987年に東京藝術大学絵画科日本画専攻を卒業、1989年に同大学大学院研究科(日本画)修士課程を修了、再興第74回院展で初入選(1996年に奨励賞、1997年に日本美術院賞(大観賞)、1998年に奨励賞、日本美術院奨学金、1999年に日本美術院賞(大観賞)、2000年に同人推挙、2012年に文部科学大臣賞、2016年に内閣総理大臣賞)、1992年に同大学大学院研究科(日本画)博士後期課程を満期退学、1995年に第50回春の院展で奨励賞(1996年、1998年、1999年に奨励賞、2006年に春の足立美術館賞)、2006年に第15回MOA岡田茂吉賞絵画部門で優秀賞、2008年から画家活動を停止、2010年に第65回春の院展から創作を再開している。美術家の村上隆さんは兄。

宮北千織さんは1967年東京都生まれ、1992年に東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業、卒業時にサロン・ド・プランタン賞、台東区長賞、1994年に同大学大学院美術研究科修士課程日本画専攻を修了、修了制作が藝大買い上げ、模写が台東区買い上げ、1995年に第10回有芽の会で全国更生保護婦人連盟賞(1998年に法務大臣賞)、1997年に同大学大学院美術研究科博士後期課程(日本画)を満期退学した。

2000年に第55回春の院展で奨励賞(2001年に春季展賞、2002年、2003年に奨励賞)、2001年に再興第86回院展で奨励賞(2002年に日本美術院賞(大観賞)、足立美術館賞、2003年に日本美術院奨学金、2004年に日本美術院賞(大観賞)、天心記念茨城賞、2014年に文部科学大臣賞、2015年に内閣総理大臣賞、2017年に足立美術館賞)などを受賞している。

斎藤満栄さんは1948年新潟県生まれ、1972年に多摩美術大学日本画科を卒業、1973年に文化庁現代美術選抜展で文部大臣賞、1979年に再興第64回院展で初入選(1991年、1992年、1993年、1994年、1995年、1998年、1999年に奨励賞、日本美術院奨学金、2000年に日本美術院賞(大観賞)、天心記念茨城賞、2006年に同人推挙、2015年に文部科学大臣賞)、第34回春の院展で初入選(1993年に奨励賞、外務大臣賞、1994年、1995年、1996年、1997年に奨励賞、1999年に春季展賞、2000年に奨励賞)などを受賞している。

北田克己さんは1955年東京都生まれ、1980年に院展に初入選、1984年に東京藝術大学大学院後期博士課程を満期退学、1993年に第48回春の院展で奨励賞(1994年から1996年まで毎年、春季展賞、1997年、2000年に奨励賞)、再興第78回院展で奨励賞(1994年に日本美術院奨学金、1995年、1996年、1999年、2002年も奨励賞、2003年に日本美術院賞・大観賞、2010年に日本美術院同人推挙、2018年に内閣総理大臣賞、2021年に文部科学大臣賞)などを受賞している。現在、愛知県立芸術大学名誉教授、広島市立大学名誉教授、金沢美術工芸大学客員教授、中国の精華大学美術学院(北京)国際専門家会員。

國司華子さんは1960年東京都生まれ、1987年に東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業、1989年に同大学大学院美術研究科修士課程日本画専攻を修了、1990年に再興第75回院展で初入選 (1995年、1999年、2001年も奨励賞、2005年に日本美術院賞(大観賞)、天心記念茨城賞、日本美術院奨学金、2006年に奨励賞、2014年に日本美術院賞・大観賞、2016年に同人推挙、2017年に文部科学大臣賞)、2001年に東京日本画新鋭選抜展で特別賞等を受賞している。現在、東京藝術大学教授、武蔵野美術大学客員教授。

岸野香さんは1966年栃木県日光市生まれ、1989年に女子美術大学芸術学部絵画科日本画専攻を卒業、1992年に東京藝術大学大学院美術研究科保存修復技術を修了、1993年に第48回春の院展で初入選(1997年に奨励賞、1998年に春季展賞、1999年に奨励賞、2000年、2001年に奨励賞、2002年に春季展賞、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年に奨励賞、2009年に春季展賞、2010年に奨励賞)。

1993年に再興第78回院展で初入選(1997年に奨励賞、足立美術館賞、1998年、1999年、2000年、2001年、2002年、2004年、2005年、2006年に日本美術院奨学金、2007年に奨励賞、2009年に日本美術院賞(大観賞)、2010年も日本美術院賞(大観賞)、2017年に同人推挙、2020年に足立美術館賞)、1994年に有芽の会で全国更生保護婦人連盟会長賞、2001年に第17回初音会展で大丸初音賞などを受賞している。2004年から2008年まで文星芸術大学助教授、2008年から女子美術大学芸術学部美術学科日本画専攻准教授、2015年から同教授。

岩永てるみさんは1968年大分県生まれ、1991年に愛知県立芸術大学美術学部美術科絵画専攻(日本画)を卒業、1993年に同大学大学院美術研究科絵画専攻(日本画)を修了、1996年に三渓日本画賞展で佳作賞、1997年に東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学科保存修復専攻(日本画)修士課程を修了、2000年同大学大学院美術研究科保存修復専攻保存修復日本画期博士後期課程を修了している。

2002年に有芽の会で日本更生保護女性連盟会長賞、2003年に再興第88回院展で奨励賞(2007年に奨励賞・天心記念茨城賞、2008年に奨励賞、2010年に日本美術院奨学金)、2004年に第59回春の院展で奨励賞・外務大臣賞(2009年に奨励賞)、2008年に東山魁夷記念日経日本画大賞展で入賞、現在、愛知県立芸術大学准教授。

加来万周さんは1973年熊本県生まれ、1997年に東京藝術大学美術学部日本画専攻を卒業、卒業制作を帝京大学買い上げ、1999年に同大学大学院美術研究科日本画修士課程を修了、修了制作を帝京大学買い上げ、同年に院展初入選(2000年から2007年、2009年、2010年、2012年から2015年にも出品)、2000年に春の院展で初入選(2001年に文化庁買い上げ、2002年、2004年から2007年、2009年から2011年も出品、2012年に奨励賞、2016年も出品)、同年に臥龍桜日本画大賞展で優秀賞、有芽の会で日本更正保護協会理事長賞、墨彩画展 で雪舟大賞などを受賞している。

染谷香理さんは1977年島根県生まれ、1999年に東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業、2002年に同大学大学院美術研究科文化財保存学保存修復修士課程を修了、2004年から2006年まで東京文化財研究所研究補佐員、2008年から2013年まで慶応義塾大学非常勤講師、2009年から2014年まで東京藝術大学大学院教育研究助手、2017年から2020年まで東京藝術大学大学院助教。

1999年に「青垣2001年日本画展」で佳作賞、2007年に有芽の会で法務大臣賞、2011年に再興第96回院展で奨励賞(2013年、2014年、2015年に日本美術院特待に推挙、2016年、2017年、2018年に奨励賞、足立美術館賞、日本美術院奨学金、2023年に奨励賞、天心記念茨城賞)、2013年に第68回春の院展で外務大臣賞、奨励賞(2014年、2015年、2016年、2018年、2020年に奨励賞)、2014年に第2回郷さくら美術館で桜花賞、奨励賞などを受賞、2023年に「ローニン・グローバス・ONBEAT(オンビート)アーティスト・イン・レジデンス」で佳作賞などを受賞している。

永井建志さんは1979年東京都生まれ、2003年に東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業、2004年に第59回春の院展で入選(2013年に春季展賞、2018年に奨励賞)、2005年に同大学大学院美術研究科日本画修士課程を修了、修了制作模写で藝大買い上げ、再興第90回院展で入選、2008年に同大学大学院博士後期課程美術研究科日本画を修了、2013年に「第1回郷さくら美術館桜花賞展」で館長賞などを受賞している。

松下雅寿さんは1978年宮城県生まれ、2005年に東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業、卒業制作で取手市長賞、2006年に財団法人守谷育英会で修学奨励特別賞、2007年に第62回春の院展で入選(2008年から2010年、2012年から2023年まで入選)、同大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻日本画を修了、修了制作模写が藝大買い上げ、同年に再興第92回院展で入選(2008年から2023年まで入選)、2010年に同大学大学院美術研究科博士後期課程美術専攻日本画を修了している。

松村光太さんは1978年愛知県生まれ、2001年に金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科日本画専攻を卒業、2005年に東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学を修了、修了制作でサロン・ド・プランタン賞、中部大学が買い上げ、院展で初入選(2006年から2015年まで入選)、2006年にシルクロード文化財保護フェローシップにより北京で研修、春の院展で入選(2007年から2019年まで入選)、2008年に同大学大学院美術研究科文化財保存学博士課程を修了、2008年から2011年まで東京藝術大学教育研究助手、2011年から2015年まで同大学非常勤講師、特別研究員。父親が松村公嗣さん。

松村侑紀さんは1986年静岡県生まれ、2012年に東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業、2014年に同大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻日本画研究領域を修了、修了模写を藝大美術館が買い上げ、同年に再興第99回院展で初入選(2015年から2018年まで入選)、2015年に第70回春の院で初入選(2016年から2019年まで入選)、第30回有芽の会で法務大臣賞、第3回小泉淳作記念鎌倉芸術祭日本画公募展で奨励賞、2017年に同大学大学院美術研究科博士後期課程美術専攻日本画研究領域を修了している。現在、東京藝術大学日本画教育研究助手。

鈴木靖代さんは1989年愛知県名古屋市生まれ、2013年に愛知県立芸術大学美術学部美術科日本画専攻を卒業、第68回日本美術院春の院で初入選(2014年、2015年、2017年、2019年、2020年、2021年に入選)、再興第98回院展で初入選(2014年、2015年、2018年、2019年、2020年、2021年に入選)、2016年に同大学大学院博士前期課程日本画領域を修了している。

時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)。