銀座三越で真珠フェア、5500年前の「トリハマパール」も展示

【銀座新聞ニュース=2019年12月10日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する銀座三越(中央区銀座4-6-16、03-3562-1111)は12月11日から16日まで9階銀座テラスで「History of Pearls-『真珠』価値の変遷」を開く。

銀座三越で12月11日から16日まで開かれる「ヒストリーオブパールズ(History of Pearls)-『真珠』価値の変遷」にて、展示される5500年前の縄文時代の貝塚から出土した天然真珠(福井県立若狭歴史博物館所蔵)。

人類の長い歴史における真珠の価値の変遷を紹介し、約5500年前の縄文時代の貝塚から出土した天然真珠「トリハマパール」を特別展示する。同時に開くパールフェアでは、アコヤパールネックレスをはじめとするパールジュエリーを取り揃えている。

「CGL通信」などによると、「トリハマパール」は1981年に最古の真珠としておよそ5500年前の縄文時代中後期の福井県鳥浜貝塚から出土したもので、変形の半球状で大きさは長径15.6ミリ、短径14.5ミリ、厚さ10ミリで、淡水産の二枚貝(カワシンジュガイ・ドブガイ・カラスガイ)が母貝と考えられ、底部に削り取った様な痕があることから天然真珠の一種、ブリスターパール(貝の体内に生成した天然真珠が貝殻部に癒着したもの)といわれている。

古事記や日本書紀、万葉集などにも真珠を表した言葉が出ており、「シラタマ、マタマ」はアコヤ真珠をさし、「アハビタマ」はアワビ真珠をさしているとみられている。また、「魏志倭人伝」(中国の歴史書「三国志」の中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条=うがんせんぴとういでんわじんじょう=の略称で、280年から297年の間に書かれた)に「シラタマ、5000個が魏の国に献上された」という記録がある。

正倉院には奈良時代(1200年前)の宝物として、4158個のとても保存状態の良い真珠が伝承されている。当時から日本では天然真珠が産出していたので正倉院宝物真珠は日本産のアコヤ真珠やアワビ真珠といわれている。

特別に展示される「パールティアラ」(財団法人「日本真珠振興会」所蔵)。

ウイキペディアによると、真珠養殖の歴史は中国で1167年の文昌雑録に真珠養殖の記事があり、13世紀には仏像真珠という例がある。ただし、これらは貝殻の内側を利用する貝付き真珠である。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、フランスのルイ・ブータン(Louis Boutan)、英国の海洋生物学者、ザビル・ケント(William Saville-Kent、1845-1908))など各国で養殖真珠の研究が行われた。

日本では、1893(明治26)年に日本の東大三崎臨海実験所の箕作佳吉(みつくり・かきち、1858-1909)の指導をうけた御木本幸吉(みきもと・こうきち、1858-1954)が英虞湾(あごわん)神明浦(しめのうら、現阿児町神明)で養殖アコヤガイの半円真珠の生産に成功した。

真円真珠の発明者は、日本では御木本幸吉の次女の夫となる西川藤吉(にしかわ・とうきち、1874-1909)と見瀬辰平(みせ・たつへい、1880-1924)の2人で、1907(明治40)年に見瀬辰平が、はじめて真円真珠に関し「介類の外套膜内に真珠被着用核を挿入する針」として特許権を獲得した。

続けて西川藤吉が真円真珠生産に関し真珠形成法の特許を出願する。この一部が前述の見瀬辰平の特許権に抵触するとして紛争が起こり、調停の結果、西川籐吉の名義で登録し特許は共有とすることとなった。1916(大正5)年および1917(大正6)年に西川藤吉の特許が4件登録された。その後、さまざまな技術の改良を経て、真珠の養殖は広まり、英虞湾、宇和海、長崎県対馬などで生産が行われ、1950年代、養殖真珠生産体制を確立した日本は、世界の9割のシェアを誇るようになった。

1967年ころにミニスカートが流行するなど、従来のファッションの流行が変わり、世界の真珠の需要が激減し、過剰生産と粗製乱造が重なり、海外のバイヤーが真珠を敬遠するようになり、1996年ころから始まったアコヤガイ赤変病によるアコヤガイの大量斃死現象や真珠摘出後の廃棄貝、生産地周辺の排水による湾の富栄養化などから日本のアコヤ真珠の生産量は低下し、現在では真珠取引の中心は香港に移りつつある。

開場時間は10時から20時(日曜日は19時30分、最終日は18時)まで。

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