資生堂ロオジエでバレンタイン向け黒トリュフコース

【銀座新聞ニュース=2015年1月25日】資生堂(中央区銀座7-5-5、03-3572-5111)が運営する「ロオジエ」(中央区銀座 7-5-5、地下1階、0120-156-051)は1月16日から3月14日までディナーコース「ムニュ・ラ・トリュフ・ノワール・メラノスポルム (LA TRUFFE NOIRE MELANOSPORUM)」を提供している。

「ロオジエ」が3月14日まで期間限定で提供しているディナーコース「ムニュ・ラ・トリュフ・ノワール・メラノスポルム(LA TRUFFE NOIRE MELANOSPORUM)」に使われている黒トリュフ。

「ロオジエ」が3月14日まで期間限定で提供しているディナーコース「ムニュ・ラ・トリュフ・ノワール・メラノスポルム(LA TRUFFE NOIRE MELANOSPORUM)」に使われている黒トリュフ。

フランス料理の「ロオジエ」がバレンタインとホワイト デーを対象に、フランス南西部のペリゴール地方の黒トリュフ「ペリゴール・トリュフ」をぜいたくに使ったディナーのスペシャルコースメニューを提供してい る。メニューはシェフのオリヴィエ・シェニョン(Olivier Chaignon)さんが考案している。

メニューは前菜が「帆立貝と黒ト リュフのフィユテ ポワローのクレームとトリュフのクーリィ ソースぺリグー」、次いで「鴨フォワグラのラビオル野菜とトリュフのジュリエンヌ エミュルショネした黒トリュフのブイヨン」、魚介類料理が「クルスタッセのジュをラケしたオマール・ブルー 晩白柚とアイスプラントのサラダ仕立て 黒トリュフのラメルアンディーブのムースリーヌ グレープフルーツ風味」。

リゾットが「フランス産ピジョンロワイヤルのロティ 黒トリュフ入りスペルト小麦のリゾット ブーダン・ピジョンとジュ」、デザートが「カカオ豆のクロカンに詰めた黒トリュフとショコラブランのアイスクリーム」と「黒トリュフのスフレとパルフェグ ラッセ カリカリのオパリーヌ 黒トリュフ風味のキャラメル」となっている。この後、「フリヤンディーズのワゴン」とコーヒーがつく。

ウイ キペディアによると、トリュフはキャビア,フォアグラとともに世界の3大珍味とされ、日本では「セイヨウショウロ(西洋松露、Tuber spp)」と呼ばれるきのこの総称で、通常のきのことは外観が大きく異なり、かさ・ひだ・柄を欠き、ゆがんだ球状ないし塊状をなしている。

内 部は初めは淡い灰色ないしほぼ白色を呈するものが多いが、成熟するとともにより暗色となり、多くは黒っぽい地に不規則で淡色の脈を生じ、全体としては大理 石状の模様を形成する。成熟するに伴い、特有の芳香を発し、老熟すると大理石状の模様は不明瞭になり、香りも弱くなる。

「黒いダイヤ」とも呼ばれ、フランス産のペリゴール・トリュフ(黒トリュフ、Truffe melanosporum Vitt.)とイタリア産の白トリュフ(Truffe magnatum Pico)が特に珍重され、食用に採取されている。

日 本ではクロアミメセイヨウショウロ(Truffe aestivum Vitt、ヨーロッパで「夏トリュフ」と呼ばれる)やイボセイヨウショウロ(Truffe indicum Cooke et Massee)などの近縁種が最近になって報告されている。近年、中国産のイボセイヨウショウロが、黒トリュフや白トリュフの廉価な代用品として大量に ヨーロッパに輸出されている。

トリュフが文献に登場するのは、紀元前16世紀で、ギリシア・ローマ時代に生態や調理方法、健康への効能につ いて多くの文献が記されている。ピタゴラス(Pythagoras、紀元前582-紀元前496)が健康への効能を説いたのが最初とされている。当時のト リュフは現在の黒トリュフとは異なり、テルファスという食用きのこだった。

ローマ時代が過ぎるとトリュフは忘れられ、14世紀フランスから 再び注目され、この時代のトリュフは現在の黒トリュフと同じという。1825年にジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン(Brillat- Savarin、1755-1826)が著書「美味礼讃」の中で、トリュフを「台所のダイヤモンド」と称し、媚薬としての効能を賞賛した。フランス、北部 イタリア、イストリア地方の日常の料理、国際的なグルメ界では高く評価されている。

1808年に南フランスのヴォクリューズ県アプトのジョ ゼフ・タロン(Joseph Talon)がトリュフの宿主となることが分かっているオークの木の下から集めたドングリをその根の間に播くことを思いついた。実験は成功し、数年後、新 しく育てたオークの木の周囲の土の中にトリュフが発生した。

これ以降トリュフ栽培は急激に拡大し、1847年にヴォクリューズ県カルパン トラのオーギュスト・ルソー(Auguste Rousseau)が7ヘクタールにわたってオーク(これもトリュフが発生する木の周りから得たドングリ)を植え、その後大量のトリュフの収穫を得て、 1855年のパリ万国博覧会で賞を獲得した。

19世紀の末に、南フランスのぶどう園が侵入害虫のブドウネアブラムシによって壊滅し、別の伝 染病により南フランスのカイコが壊滅し、こうして、広大な土地がトリュフ栽培のための空き地となり、トリュフを生産する樹木が何千本も植えられ、1892 年にはフランス全体で収穫量は2000トンに上がり、1890年には750平方キロのトリュフ園があった。

20世紀に入ると、フランスの工業化とそれに伴う郊外への人口の移動により、これらのトリュフ園は放棄されて、第1次世界大戦では従軍した男性の20パーセント以上が亡くなり、フランスの田園地帯に深刻な打撃を与え、トリュフ栽培のノウハウは失われた。

し かも、19世紀に植えられたトリュフ園の寿命が尽きた。トリュフを生産する樹木の生活環は平均30年で、1945年以降、トリュフの生産が急減した。現在 ではわずか20トンにすぎない。黒トリュフはほぼヨーロッパのみで生産され、フランス(生産の45パーセント)、スペイン (35パーセント) 、イタリア (20パーセント) となっている。白トリュフは北および中央イタリアに見られ、トスカーナ州、ロマーニャ地方、マルケ州で生産されている。

野外でトリュフを探す場合は、特別に訓練されたメスのブタかイヌを用いる。ブタはかつてよく使われたが、現代の農家にはトリュフを食べないイヌの方が好まれる。

ただ、イヌがトリュフの香りについて訓練が必要なのに対して、メスのブタには訓練が不要で、トリュフに含まれる化合物がメスブタを強く引きつけるオスのブタの性フェロモンと類似しているためとされている。

1996年、国際きのこアカデミーの高野吉則(たかはし・よしのり)さんと近畿大学農学部の稲葉和功(いなば・かずなり)さんとの共同研究により、世界で初めて菌床方式による人工栽培に成功している。

オ リヴィエ・シェニョンさんは1978年フランス・モンタルジ(ロワレ県)生まれ、1994年に地元の1つ星レストラン「オーベルジュ・ド・ラ・クレ・デ・ シャン」の見習いとして入店、オルレアンの政府公認専門学校で調理理論と基礎を学び、1996年に「アプロンティシェフ(ジュニアシェフ)コンクール」フ ランス大会で優勝、1999年から2004年までパリの「レストラン オペラ」や「タイユヴァン」、イギリス・ロンドンの「スケッチ」で修業した。

2005年に「ピエール・ガニェール パリ本店」のセクションシェフに就任、同年に「ピエール・ガニェール・ア・東京」総料理長、2009年から「ピエール・ガニェール」(ANAインターコンチネンタルホテル東京)の総料理長を務めている。

営業時間はランチが12時から14時、ディナーが18時から21時。価格は3万8000円(税込み、別途サービス料12パーセントがかかる)、日曜日は休み。