【銀座新聞ニュース=2016年3月15日】丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は3月16日から22日まで3階ギャラリーで「草木染のきものと帯展 葵の想い」を開く。
2015年10月に京都でもっとも古い、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ、通称・上賀茂神社=かみがもじんじゃ、京都府京都市北区上賀茂本山339、075-781-0011)の第42回式年遷宮(しきねんせんぐう)に寄せて、二葉葵染絹糸五色、二葉葵染絞り几帳(きちょう)、二葉葵墨染 点描と稿手描き、二葉葵箔型染め額、二葉葵染紋様刺しゅう額(森康次=もり・こうじ=さん)、二葉葵染爪掻本綴織帛紗(ふたばあおいぞめ・つめかきほんつづれおり・ふくさ)、二葉葵染うね織変化角帯など6人の作家が二葉葵の染料で染上げた作品を奉納した。
今回は、賀茂別雷神社の第42回式年遷宮に寄せて、奉納した6人のうち、森康次さんを除いた5人の作家による葵染めをはじめとする草木染めの作品を40点から50点展示する。
出品するのは「二葉葵墨染 点描と稿手描き」と「二葉葵箔型染め額」を奉納した工房「染の高孝」を主宰する高橋孝之(たかはし・たかゆき)さん、「二葉葵染うね織変化角帯」を奉納した染織作家の上原晴子(うえはら・はるこ)さん。
「二葉葵染爪掻本綴織帛紗」を奉納した「服部綴工房」を主宰する服部秀司(はっとり・ひでし)さん、「二葉葵染絹糸五色」を奉納した「佐竹孝機業店」を運営する佐竹司吉(さたけ・かずよし)さん、「二葉葵染絞り几帳」を奉納した4代目京絞り作家の寺田豊(てらだ・ゆたか)さんだ。
ウイキペディアなどによると、上賀茂神社(賀茂別雷神社)は下鴨神社(しもがもじんじゃ、賀茂御祖神社=かもみおやじんじゃ)とともに、古代氏族の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、「賀茂神社(賀茂社)」と総称される。賀茂神社両社の祭事である「賀茂祭(通称・葵祭)」で知られている。
社伝によると、初代天皇の神武天皇(じんむ・てんのう)の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。「山城国風土記」逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた「丹塗矢(ぬめりや)」を床に置いたところ懐妊し、それにより生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。
丹塗矢の正体は、乙訓神社(おとよみじんじゃ)の火雷神とも大山咋神(おおやまくいのかみ)ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は下鴨神社に祀られている。国史では、698年に賀茂祭の日の騎射を禁じたという文言が初出で、他にも750年に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。
794年の平安遷都の後は王城鎮護の神社としてより崇敬を受け、807年には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。「延喜式神名帳」では「山城国愛宕郡 賀茂別雷神社」として名神大社に列し、名神祭(みょうじんさい)、月次祭(つきなみのまつり)、相嘗祭(あいなめにのまつり)、新嘗祭(にいなめさい)の各祭の幣帛(へいはく=神道の祭祀において神に奉献する、神棚に供える供物以外のものの総称)に預ると記載されている。
810年以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。明治の近代社格制度でも官幣大社の筆頭とされ、1883年には勅祭社に定められた。本殿(1863年建造)、権殿(1863年建造)は国宝に指定、約60棟ある社殿のうち、41棟が重要文化財に指定されている。1994年に「古都京都の文化財」のひとつとしてユネスコの世界遺産に登録されている。
式年遷宮とは定められた年限に社殿を新しくし、神さまにお遷りいただく祭儀で、上賀茂神社(賀茂別雷神社)では、21年ごとに行われており、2015年10月に1994年以来42回目となる正遷宮が斎行された。
式年遷宮は本来は神体を除くすべての建物を新しくするための宮移しのことを指すが、上賀茂神社は社殿のほとんどが国宝や重要文化財に指定されているため、すべてを新しくすることができない。現在では、屋根の桧皮葺(ひわだぶき)の葺(ふ)き替えや建具、金具の補修、漆喰壁(しっくいかべ)の塗り替えなど、大修理を行って傷んだところを直し、装いを新たにして祭儀を行うことになっている。
今回の大修理は、上賀茂神社では2009年から始まり、それぞれの節目で神事やお祭りが行われたが、これだけの大規模な修復は1973年以来となる。2015年10月に修理が完成した本殿に神さまがお遷りになる正遷宮が斎行された。
高橋孝之さんは1966年に戸塚工芸社に入社、父親より引き染ぼかしと一珍染、兄から江戸更紗を習得し、1974年に独立して工房「染の高孝」を開く。1983年に染織作家グループ「新樹会」を設立、以後年1回、作品展を開き、本格的に作家活動に入る。
1984年に第9回日本染織新人展覧会で「青い光」が意匠賞(1985年に第10回で技術賞)、1989年に第27回日本染織作品展で「竹林2」が技術賞、「墨流し」が佳作(1990年に第28回で日経奨励賞)、第29回伝統工芸新作展で「群翔」が入選(1991年に第30回で入選)、1991年に第14回日本染織作家展で「彩流」が奨励賞、「源流」が佳作(1992年に第15回で京都新聞社賞、1993年に第16回で佳作、1996年に第19回で名古屋三越賞、1999年に第22回でセイコきもの文化財団賞、2001年に第24回で京都新聞社賞、2009年に第32回で京都市長賞、2012年に第35回で京都市長賞)。
1996年に第34回染芸展で「響き」が三越賞(1999年に第37回で三越賞、2000年に第38回で商工会議所会頭賞と高島屋、西武百貨店賞、2001年に第39回で国際モード協会賞、2002年に第40回で東京産業貿易協会会長賞、2003年に第41回で染芸展賞、2004年に第42回で東京都立産業技術研究所所長賞、2005年に第43回で国際モード協会賞、2006年に第44回で田島比呂子=たじま・ひろこ=賞、2010年に第48回で新宿区長賞といち居賞、日本きもの文化協会会長賞、世界文化社きものサロン賞、2012年に第50回でコスモス賞、新宿区長賞、松屋賞、第50回記念人間国宝山田貢(やまだ・みつぐ)賞、)。
1997年に東京都優秀技能章、2001年に新宿区地場産業25年表彰を受ける。2002年に東京都伝統工芸士に認定され、2007年に東京都工芸染色協同組合理事長に就任、2008年に国の伝統工芸士に認定され、現在、東京都染色工芸組合理事長。染色作家グループ「新樹会」会長。
上原晴子さんは京都府京都市生まれ、1983年に第38回新匠工芸会展で初入選、1984年に日本染織学園研究科を卒業、1989に第44回新匠工芸展で会友賞(1990年に第45回で新匠賞)、1991年に第20回日本伝統工芸近畿展で初入選(以後、毎年入選、1996年に第25回で奨励賞、2001年に第30回で京都府教育委員会教育長賞)。
1996年に第48回京展で日本経済新聞社賞、1997年に1997京都美術工芸展で優秀賞、1998年に第21回京都工芸美術作家協会展で奨励賞(2002年に第25回で第25回記念賞、2005年に第28回で京都府知事賞)、第45回日本伝統工芸展で初入選(以後、多数入選)、2001年に京都市芸術文化協会賞、2006年に第40回日本伝統工芸染織展で文化庁長官賞(2014年に第48回で日本経済新社賞)、2015年に上賀茂神社に二葉葵染め・角帯を奉献した。現在、日本工芸会正会員、京都工芸美術作家協会会員。
服部秀司さんは1958年京都府生まれ、同志社大学を卒業、河合玲(かわい・れい)デザイン研究所テキスタイルコースを修了、その後、服部綴工房に入り、爪掻綴織物(つめかきつづれおりもの)の制作に携わる。
佐竹司吉さんは1947年福井県生まれ、1970年に家業の西陣織の創作活動をはじめ、西陣織大会で中小企業長官賞、近畿通産大臣賞、京都府知事賞、京都市長賞などを受賞している。西陣織工業組合理事などを務めている。
寺田豊さんは1958年京都府京都市生まれ、1994年にフランス・パリ市主催フランスオートクチュール組合後援により「バガテル城美術館」の「燦功工房展」に招待出品、東京で個展を開催、1996年にフランス・パリ国立ギメ美術館が「雪に萩」を買い上げ、2002年に「布結人の会」を設立した。
イタリア・ミラノの美術学校と交流、2007年に歌舞伎役者の中村芝雀(なかむら・しばじゃく)さんの「人魚の恋椿」の衣装を制作し、2008年に京都絞工芸展で知事賞と近畿経済産業局長賞、源氏物語千年紀「夢浮橋」の几帳を作成している。
14日16時から17時まで寺田豊さんと月刊誌「家庭画報」(世界画報社)や「きものサロン(Salon)」(世界文化社)などで女優の着物コーディネートを手がける相沢慶子(あいざわ・けいこ)さんが「絞りの装いと魅力」と題してトークショーを開く。
19日15時から上賀茂神社権弥宜(ごんねぎ)の藤木保誠(ふじき・やすまさ)さんと寺田豊さんが「葵の想いについて」と題して、トークショーを開く。第42回式年遷宮や神事、葵の話、日本人の源流について話す。
権祢宜は神職の職階の一つで、祢宜の下位にあたるもっとも一般的な職階で、宮司および祢宜が一般的に1社に1人ずつと決められているのに対して、権祢宜には人数制限は設けられていない。権弥宜以上を神職といい、権弥宜の下位に「出仕」などの職階が置かれることもあるが、それらは神職には含まれない。
藤木保誠さんは1958年京都府京都市生まれ、上賀茂別雷神社の社家の長男で、賀茂競馬では幼少期に騎手として活躍し、1980年に国学院大学を卒業、賀茂別雷神社に奉職、主に祭典に携わっている。
開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)、入場は無料。