「シン・ゴジラ」が予測(?)、新型コロナ対策への「政治家」の道程(288)

【ケイシーの映画冗報=2020年4月30日】知人と「コロナウィルス」について話していたときです。「政府もいろいろと対策を講じているようですが、臨機応変というイメージがない。なぜだろう」

「シン・ゴジラ」((C)2016 TOHO CO.,LTD.)で政治家が「ゴジラ」への対応策を検討していく過程が、新型コロナ問題への現在の政治家の対応を先取りしているように見えるのは偶然だろうか。

「すぐで半年、よかろで2年、審議審議で5、6年。お役所仕事じゃ、それだけかかるというハナシですよ」
と応じてから想い出しました。

「このフレーズ、どこかで記したな」
2016年の年間映画興行で第3位、実写の邦画作品では1位となった「シン・ゴジラ」をとりあげた本稿(2016年8月11日第193回)でした。

この作品は、現代の日本に姿を見せた“巨大不明生物=ゴジラ”に対処する日本政府という、これまでの怪獣映画(作品)では描かれることのなかった構図で、過去の作品群とは一線を画した仕上がりでした。キャッチ・コピーも「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」という、脚本・総監督の庵野秀明(あんの・ひであき)が語る「空想特撮映画」そのものを表現しており、作品とその周辺においても、一貫性のある作品となっています。

「空想」と冠されてはいますが、「可能な限り現実に則した物語」(庵野総監督)として、周到かつ徹底したリサーチを行った本作は、公開された時から政・官の描写が高く評価され、一時期は国会内でも「シン・ゴジラを観たか」というのが挨拶(あいさつ)になっていたそうです。

劇中、まだ“ゴジラ”が全貌を明らかになるまえ、こんな会話が官僚たちのあいだで交わされています。
「形式的な会議は極力排除したいが、会議を開かないと動けないことが多すぎる」「効率は悪いが、それが文書主義だ。民主主義の根幹だよ」「しかし手続きを経ないと会見も開けないとは」

“ゴジラ”が上陸した東京の都知事と側近との会話。
「なぜすぐに避難指示が出せないんだ」「なにせ想定外の事態で、該当する初動マニュアルが見当たりません」「災害マニュアルはいつも役に立たないじゃないか。すぐに避難計画を考えろ」「しかし、このような事態の防災訓練も行っておりませんし、パニックの対処も考えるならば、避難区域の広域指定も困難です」「ここは住民の自主避難にまかせるしかありません」

被害が拡大するばかりの事態に都知事がこう呟きます。
「政府が動かないなら、都から有害鳥獣駆除として自衛隊の治安出動要請を出すしかない」

被害が明らかになるにつれ、政府内も騒然としてきます。
「今は、超法規的な処置として、防衛出動を下すしか対応がありません。この国でそれが決められるのは総理だけです」と、内閣総理大臣補佐官の赤坂(あかさか、演じるのは竹野内豊=たけのうち・ゆたか)に促された総理大臣の大河内(おおこうち、演じるのは大杉漣=おおすぎ・れん)は「いままで出たことがない大変なことだぞ」とためらいます。さらに閣僚に決断を迫られた結果、大河内総理は思わず「今ここで決めるのか。聞いてないぞ」と口走ってしまうのでした。

ようやく自衛隊の出動が決まり、首相官邸地下の危機管理センターへ移動中の閣僚たち。「これで一安心だな。ドでかくても生き物だ。自衛隊の武器で殺処分できるだろ」「ああ、ヤツの死骸を利用した復興財源を考えておくか」と、楽観論を披露する大臣たちに向けられた言葉。

「大臣、先の戦争では旧日本軍の希望的観測、机上の空論、こうあってほしいという発想などにしがみついたために、国民に300万人以上の犠牲者が出ています。根拠のない楽観は禁物です」

この“警告”を発したのは物語の当初から“巨大不明生物”の存在を提唱し、のちに「巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)」の事務局長としてゴジラ対策の陣頭指揮を執ることになる内閣官房副長官の矢口(やぐち、演じるのは長谷川博己=はせがわ・ひろき)でした。

こうしたシーンが全編に渡って展開され、少々難解な単語や文章表現があるものの、かえってそれが、“政治”や“公官庁”という、市井(しせい)の我々から見れば“異界”への的確な情景描写となっています。

もちろん“虚構(ゴジラ)”を主軸とした物語ですので、映像作品としてのディフォルメや誇張もあるのは承知ですが、なんとなく、現在の日本、いや、世界との共通性を感ぜずにはいられません。

「日本、いや人類はもはやゴジラと共存していくしかない」
ラストちかくに語られる矢口の言葉ですが、“ゴジラ”が別のなにかに聞こえてしまうことなど、数カ月前は予想もしていませんでした。次回もなにか、映画に関する話題を提供させていただく予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。