ギャルリー志門で安藤栄作「子供の彫刻」670体、岡村幸宣と対談も

【銀座新聞ニュース=2015年11月21日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル3階、03-3541-2511)は11月23日から12月5日まで安藤栄作さんによる彫刻展「子どもたちが教えてくれたこと」を開く。

ギャルリー志門で12月5日まで開かれる安藤栄作さんの彫刻展のフライヤー。

ギャルリー志門で12月5日まで開かれる安藤栄作さんの彫刻展のフライヤー。

彫刻家の安藤栄作(あんどう・えいさく)さんが子どもたちを刻んだ彫刻670体と「つばさ」や「歩く山脈」、「ギザギザ頭」、「宇宙のかたち」など21点を展示する。

2013年7月末よりイスラエルとパレスチナ自治政府が和平交渉を再開したが、その後、イスラム主義を掲げるパレスチナ政党「ハマース」をテロ集団とみなすイスラエルが、2014年6月のハマースも参加したパレスチナ暫定統一内閣の発足に反発し、7月からイスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への本格的な攻撃がはじまり、一般人に混じり、沢山の子どもが犠牲になった。

安藤栄作さんは「自分が東日本大震災の被災者だったからだろうか、僕は攻撃で亡くなっていく子どもたちのことを他人事として忘れてしまう自分がいやで、犠牲になった子どもの数だけ小さな人型を刻むことにした」という。

「刻み始めた日、僕の中に流れ込んできたのは父親たちの悲しみや怒り、憤りや子への愛おしさだった。2人の子の父親でもある僕はその想念に感応してしまい、物凄く息切れし、1体刻むごとにゲッソリと疲れていった」という中で、子どもの犠牲者を刻み続けた。

「毎日その想念に身を置くうちに自分の意識が平和な日常から遊離し、家族と話が合わなくなっていた。このままこの行為を続けていたら自分が壊れてしまうかもしれない、作り続けることは無理かもしれないと思った」としている。

「刻み始めた当初、犠牲になった子どもの数は30人ほどで、僕はがんばればなんとかその数までたどり着けると思っていた。ところが、1週間後には50人、1カ月後には100人、半年後にはイスラエルの子数名を含み500人以上の子が犠牲になっていた。僕の人型を刻むスピードは子どもたちが亡くなるスピードにとても追いつけず、僕は見果てぬ地平を見るように途方にくれた。僕は500体をひとつの目標にし、本来の自分の制作や発表の合間をぬって細々と刻む行為を続けた」という。

しかし、「子どもたちを刻み続ける中で僕の意識はいつしかガザの子から世界中の過酷な状況に置かれている子、原発事故のあった福島の子、平和な社会の陰で虐待に苦しんでいる子、そして今は大人になった僕ら自身の内で理不尽な我慢を強いられている子どもの魂へと広がっていった」という。

最初の1体を刻んでから1年半が経ち、個展のDMの写真を撮るためにアトリエの床に並べた数を数えたら550体を超えていた。「一体いつ500体の峠を越えていたんだろう。ガザの子を刻むことから始まったこの行為は今も続いている。いつまで続くのか、この行為にどんな意味があるのか自分にもよくわからない。ただ1つだけ確かなことは、この1年半、子どもたちを刻み続けたことで、ガザのことを1日も忘れなかったということ」としている。

「福島のみんなのNEWS」によると、安藤栄作さんが3月11日に高校生の娘と連れ立って家族で街に繰り出し、友人の個展を観た後、近くのショッピングセンターの中を歩いていた時に大震災に遭遇し、「その日の夕方、海岸から15メートルの所にあった自宅は家財や道具、たくさんの作品達もろとも津波と火災で無くなってしまった。空き地に止めた車の中で積んであった搬入用の毛布にくるまって一夜を明かした」という。

原発が爆発した直後、彫刻家で妻の長谷川浩子(はせがわ・ひろこ)さんの実家がある新潟に向かった。それから3週間後、大学生の長男も一時的に戻ってきて、家族4人で自宅のあった場所に向かい、「大好きだった海沿いの町はまるで爆撃の後のようだった。焼けた臭いと吹き抜ける放射能混じりの北風に町から命のときめきが消えていた」と感じた。その後、奈良県明日香村に移り、さらに天理市に移り、夫婦で彫刻の制作に取り組んでいる。

安藤栄作さんは1961年東京都墨田区生まれ、1986年に東京芸術大学彫刻科を卒業、1988年にギャラリーKで個展を開き、1990年に福島県いわき市の山間部に移り住み、1991年に彫刻の制作と並んで、パフォーマンスをはじめ、2008年にいわき市の海辺部に自宅兼アトリエを移し、2011年に東日本大震災で自宅兼アトリエが津波で流され、奈良県明日香村に移り、その後、天理市に移り、同年に絵本「あくしゅだ」を刊行している。

28日14時から安藤栄作さんと丸木美術館(埼玉県東松山市大字下唐子1401、0493-22-3266)学芸員の岡村幸宣(おかむら・ゆきのり)さんによるトークセッションを開く。

岡村幸宣さんは1974年東京都生まれ、東京造形大学造形学部比較造形専攻を卒業、同大学研究科を修了、2001年より原爆の図丸木美術館に学芸員として勤務している。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)、入場は無料。祝日は開き、日曜日は休み。トークセッションは先着順で、入場は無料。