釡浅商店で高田耕造商店の高級たわし展、永久無償修理

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【銀座新聞ニュース=2012年11月20日】釡浅商店(台東区松が丘2-24-1、03-3841-9355)は11月22日から11月27日まで2階「ギャラリーカマニ(KAMANI)」で、高田耕造商店による「にっぽんのたわし展-伝えたいシュロの魅力」を開催する。

高田耕造商店 たわし

釡浅商店で11月22日から27日まで開催される「にっぽんのたわし展-伝えたいシュロの魅力」に展示される高田耕造商店のたわし。

1948年設立の家庭日用品メーカー、「コーゾー(旧高田耕造商店=たかた・こうぞうしょうてん)」(和歌山県海南市椋木=むくのき=97-2、073-487-1264)が国産の「シュロ」を現材料としたさまざまなたわしを展示販売する。

国内たわしメーカーの多くは和歌山県海南市に本社や拠点を置いているが、これは弘法大師(こうぼうだいし、774-835)が唐の国からシュロの種子を持ち帰り、高野山へ至る野上谷(のがみだに)地域にシュロを植えたのが、海南市のシュロ産業の始まりとなっているためだ。現在では、安価な輸入ものの「シュロ」やパームヤシなどの代替品にとって代わられ、国産シュロの需要は極端に減少し、手入れされたシュロ山も少なくなっている。

高田耕造商店では紀州野上谷産のシュロを使用し、山の管理から製造まですべて地元で行ない、農薬や消毒薬といった化学薬品などを一切使っていないという。シュロ山の守り人であるシュロ皮を採取する職人、シュロを巻く職人など専門家の手によって作られたたわしを製造販売している。

このため、たわし1個で小さいもので2400円、大きいと3500円もし、たわしに竹の柄をつけた体洗いに適したものは7600円もする。ただ、自社製造商品に限り、繰り返し使用による摩耗の修理、交換については永久的に無償で受け付けている。

ウイキペディアによると、「たわし」は、古くはわらや縄を丸めたものが洗浄に用いられてきたが、明治の中ごろ、文京区小石川の少年で、後に1907年に「亀の子束子(かめのこたわし)西尾商店」を創業する西尾正左衛門(にしお・しょうざえもん、1875-1953)が、しょう油屋に奉公していたとき、樽の掃除に使えるものを考えて、母親が作っていた靴拭きマットにヒントを得て考案したのが最初とされている。

靴拭きマットは従来の縄でできたものとは違い、シュロを針金で巻いた構造だったが、すでに特許が取られていたことや、すぐに毛先がつぶれて効果がなくなるという問題があり、マットに用いていたシュロを針金で巻いたものを丸めて、「亀の子束子」と命名し洗浄用に売り出したところ、大ヒッしたとされている。

その後、シュロより固い繊維であるヤシの実の繊維を用いた、より耐久性の高い亀の子束子の製造を西尾正左衛門が始め、1908年に実用新案を取得、実用新案の権利期間が満了する直前に特許を出願し、1915年に特許を取得した。

シュロ産業は、現在ではスポンジたわしやブラシなどの合成繊維素材へとシフトしているが、1913年当時はたわしなどのシュロ製品を運搬するために野上電気鉄道(1916年開業、1994年廃止)が設立されたほどで、シュロ製品の取り扱い量が多かった。現在、純国産のシュロを使用したたわしを製造・販売しているのは高田耕造商店のみとなっている。

高田耕造商店は1930年頃に高田要(たかた・かなめ)が自宅でシュロ製品の加工をはじめたのが最初で、1935年に工場を設立、1948年に高田耕造(たかた・こうぞう)が「高田耕造商店」を設立、シュロたわしの製造をはじめ、1965年に靴洗い用たわし「チェリー」を販売、1968年と1972年に工場を増築、1975年に工場を集約し、御坊工場を建設した。

1977年に高田英生(たかた・ひでお)さんが社長に就任、1990年に刺しゅう機を導入してマット類への刺しゅう事業をはじめ、2004年にたわしストラップを販売、2008年に「株式会社コーゾー」を設立、2010年に紀州シュロ山再生プロジェクトをはじめている。

11月21日17時から19時30分までオープニングパーティを開き、たわし職人がたわし巻きを実演する。

11月22日から11月25日までたわし巻きを実演する。

開場時間は10時30分から17時30分。入場は無料。