【銀座新聞ニュース=2018年5月28日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は5月30日から6月5日まで3階ギャラリー特設会場で「第2回九谷焼展 先人たちの英知を受け継ぎ、進化しつづける」を開く。
「石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会」(石川県能美市泉台町南13、石川県九谷会館、0761-57-0125)などが後援するイベントで、日本の色絵陶磁の代表的な「九谷焼(くたにやき)」は350年の歴史があり、「呉須(ごす)」と呼ばれる藍青色で線描きし、「五彩」と呼ばれる赤、黄、緑、紫、紺青の5色で絵の具を厚く盛り上げて塗る彩法で、絵柄は山水、花鳥など絵画的で上絵付けが特徴的とされている。
今回は加賀九谷理事長で、石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会副理事長、山本長左(やまもと・ちょうざ)さんの弟で、2017年度に全国伝統的工芸品公募展で最高賞・内閣総理大臣賞を受賞した、九谷焼伝統工芸士会会長の山本篤(やまもと・あつし)さんら16人の陶芸家が花器、茶わん、香炉、酒器などの美術品から湯呑、皿などの日用品まで、現在活躍する九谷焼の巨匠から若手作家の作品を展示販売する。
また、今回は小皿・豆皿特集として、今回、出品している陶芸家が手掛けた約100点のオリジナル小皿・豆皿も展示販売する。
今回、出品するのは山本篤さんのほか、九谷焼伝統工芸士会副会長の福田良則(ふくだ・よしのり)さん、2016年に第39回伝統九谷焼工芸展で技術賞を受賞した宮本直樹(みやもと・なおき)さん、2003年に現代美術展で最高賞を受賞した伝統工芸士の山口義博(やまもと・よしひろ)さん、伝統工芸士の山中国盛(やまなか・くにもり)さん、「加賀陶苑」代表取締役で、伝統工芸士の山本芳岳(やまもと・ほうがく)さん。
2011年に伝統九谷焼工芸展で技術賞を受賞した、伝統工芸士の平野由佳(ひらの・ゆか)さん、2015年に第18回日本伝統工芸士会作品展で経産省中部経済産業局長賞(3等)を受賞した、伝統工芸士の三浦晃禎(みうら・てるただ)さん、2018年に第41回伝統九谷焼工芸展で優秀賞を受賞した、伝統工芸士の宮本雅夫(みやもと・まさお)さん、伝統工芸士の井上雅子(いのうえ・まさこ)さん、野上映翠(のがみ・えいすい)さん。
山本芳岳さんの息子で、2018年に第41回伝統九谷焼工芸展で優秀賞を受賞した、山本秀平(やまもと・しゅうへい)さん、川上真子(かわかみ・まこ)さん、木戸優紀子(きど・ゆきこ)さん、西由香(にし・ゆか)さん、伝統工芸士の針谷絹代(はりや・きぬよ)さん。
ウイキペディアなどによると、九谷焼は石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器で、大聖寺藩領の九谷村(現石川県加賀市)で、良質の陶石が発見されたのを機に、加賀藩の命により、藩士の後藤才次郎(ごとう・さいじろう、1634-1704)を佐賀・有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期(1655年ころ)、藩の殖産政策として、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりとされる。
しかし、約50年後(18世紀初頭頃)突然、廃窯となり、窯跡は加賀市山中温泉九谷町にあり、1号窯、2号窯と呼ばれる2つの連房式登窯と、19世紀に再興された吉田屋窯の跡が残っており、この間に焼かれたものは、現在「古九谷(こくたに)」と呼ばれている。
古九谷の廃窯から、約1世紀後の1807年に加賀藩が京都から青木木米(あおき・もくべい、1767-1833)を招き、金沢の春日山(現金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立った。これらの窯の製品を「再興九谷」という。 同じ頃、能美郡の花坂山(現小松市八幡)で、新たな陶石が発見され、今日まで主要な採石場となった。これらの隆盛を受け、それまで陶磁器を他国から買い入れていた加賀藩では、1819年に磁器を、1820年に陶器を、それぞれ移入禁止にした。
1832年ころに小野窯に陶匠として招かれる、寺井村(現能美市寺井町)生まれの九谷庄三(くたに・しょうざ、1816-1883)は能登の火打谷(現志賀町)で、能登呉須と呼ばれる顔料を発見し、後の九谷焼に多大な影響を与え、1840年ころに故郷に戻り、寺井窯を開いた。ヨーロッパから入った顔料を早い時期から取り入れ、彩色金欄手を確立し、庄三風と呼ばれる画風は後にヨーロッパに輸出される九谷焼の大半に取り入れられることになる。
明治時代に入り、九谷焼は主要な輸出品となり、1873年のオーストリア・ウィーン万国博覧会などの博覧会に出品されると同時にヨーロッパの技法も入り込んだ。1872年ころから型押しの技術が九谷焼にも取り入れられ、1892年ころから、獅子を始めとする置物の制作が盛んとなり、大正時代になると型が石膏で作られるようになり量産化が進んだ。
また、明治維新による失業士族の授産施設として1872年に誕生した金沢区方開拓所製陶部は、砂子吉平(すなこ・きちへい、生没年不詳)、初代諏訪蘇山(すわ・そざん、1851-1922)らの参加を得て成果を上げ、1876年には「石川県勧業場」と名を改めた。1887年に金沢工業学校(現石川県立工業高校)が開校し、次代の陶芸家が育成されるようになった。
現在、九谷焼は陶器と磁器があり、上絵付けを九谷でしたものを「九谷焼」と呼んでいる。陶器は原料が陶土(粘土)で、温かみがあり、全体に厚くぽってりした感じで、指ではじくと、鈍い音がする。一方の磁器は原料が陶石(石の一種)で、白く堅い感じがあり、薄くて軽くて丈夫で、指ではじくと「チン」と金属質の音がする。
また、茶わんの「わん」の漢字は「夗」と「皿」を合わせる、「石」と「宛」を合わせる、「土」と「宛」を合わせる、「木」と「宛」を合わせる4種類があり、「夗」のわんは基本的にフタがない茶碗をさし(後世にはフタ付もある)、「抹茶わん」などに使われている。「石」の茶わんはフタ付の磁器、「土」の茶わんは素焼きでフタ付の器、「木」は木製のフタ付の漆器をさしている。
期間中、30日から6月5日まで山本篤さんら出品者が来場し、宮本直樹さんと平野由佳さんが実演する。
ただし、宮本雅夫さんは6月1日のみ。山中国盛さんは30日から6月3日まで。井上雅子さんと西由香さんは30日から2日まで。三浦晃禎さんは1日から5日まで来場する。木戸優紀子さんは2日から5日まで。野上映翠さんは2日、3日、5日。
実演するのは平野由佳さん、宮本雅夫さん、井上雅子さん、三浦晃禎さん、西由香さん、木戸優紀子さん。
6月1日10時30分、12時、13時30分、15時、16時30分に九谷焼豆皿の絵付け体験会を開く。日本ヴォーグ社の「スタジオ・キルン・アート(Studio KILN ART)」の九谷焼絵付け講師を務める宮本雅夫さんがあらかじめ線描きした豆皿(直径95ミリ)に、九谷五彩で色付けする体験会としている。各回とも定員4人で、制作時間は約1時間。参加費は材料、焼成代込みで4500円(税込)。引き渡しは9日以降店頭で。事前に丸善日本橋店に申し込む。
開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)、入場は無料。
注:「山中国盛」の「国」は正しくは旧漢字です。