立川銀座、三河屋が「鬼平の食」展、福田浩講演

【銀座新聞ニュース=2018年8月21日】ブラインド業界の最大手メーカー、立川ブラインド工業(港区三田3-1-12、03-5484-6100)の銀座ショールーム(中央区銀座8-8-15、03-3571-1373)地下1階「タチカワ銀座スペース Atte」は8月21日から26日まで「江戸に学ぶ知恵と才覚と粋な食『鬼平がうまいといった江戸の味』-江戸料理あれこれ」を開く。

立川ブラインドの銀座ショールームで8月21日から26日まで開かれる「江戸に学ぶ知恵と才覚と粋な食『鬼平がうまいといった江戸の味』-江戸料理あれこれ」に展示される「はまぐりと豆腐とネギの小鍋立て」の写真。

江戸時代・元禄期に創業した銀座・三河屋(中央区銀座8-8-18、03-3571-0136)が江戸時代の生活と食文化を紹介するイベントで、今回は池波正太郎(、1923-1990)の「鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)」の中で、主人公の長谷川平蔵(はせがわ・へいぞう、1745-1795)が好んで食した1本うどんや小鍋立てなどをはじめ、江戸時代の代表的な料理の写真十数点とパネルを展示し、レシピも紹介する。

ウイキペディアによると、「鬼平犯科帳」は「オール読物」(文芸春秋)に1967年から1989年まで連載された時代小説で、実在の人物である火付盗賊改方長官(1787年から1795年まで務める)・長谷川平蔵を主人公とする捕物帳だ。全135作で、単行本としては19巻(文庫本では24巻)と番外編が刊行されている。1969年10月からテレビドラマ化されている。

同じく展示される1本うどんの写真。

銀座・三河屋は三河国(現愛知県)より江戸に上がり、汐留(現新橋駅近く)に移り、酒商を営み、その後、油屋に商売がえし、江戸時代後期には、日本古来よりの手芸品や絽刺(ろざし、日本刺繍の一技法で、練らない絹の織り地 (生絽) の織り目に絽刺糸で多彩な模様をつくる)を徳川家や諸大名に納め、御用商人として繁盛した。1867(慶応3)年に出雲町(現銀座8丁目三菱東京UFJ銀行のある所)に移る。

明治初めに糸屋に専業し、打紐、組紐糸類などを扱い、1872(明治5)年に京橋、銀座一帯の大火に見舞われ、店舗を焼失した。1873(明治6)年に明治政府が銀座1丁目より8丁目まで赤煉瓦建てを造り、三河屋も銀座8丁目8番3号(現資生堂パーラー)に移り、営業を続ける。1877(明治10)年に糸、組紐の卸問屋も兼ね、組紐での帯締め、羽織紐の創意工夫をして製造に着手し、今日の帯締めなどの基礎を作る。

1912(大正元)年に海軍の御用商人となり、紐類(ロープ・ハンモック)を納入し、横須賀に出張所を開設する。1923(大正12)年に関東大震災により類焼したが、10月末に再建に着手し、12月に開業する。1933(昭和8)年に大阪・高島屋に初めて名店街が出来、銀座専門店として出店した。続いて大阪・阪急百貨店、福岡・岩田屋百貨店に出店し、同時に京都、大阪、神戸の同業専門店に東京の製品を卸し、大阪出張所を開設する。

1941(昭和16)年に大東亜戦争により、企業整備され商売を一時中断する。1947(昭和22)年に「株式会社三河屋」を設立し、和装製品、婦人服地を取扱い営業を開始した。1960年に東京駅名店街を皮切りに、和装品全般、婦人服飾、宝飾、アクセサリーを販売、1961年に資生堂と共同で新ビルを落成し、1990年に金春通りに移転し、和装小物の店「銀座・三河屋」を営業、2003年に「江戸の食(スローフード)」として「銀座・三河屋」を新規開店し、調味料、汁物、漬物、昆布、酒類など扱っている。

23日と25日の14時から16時まで、江戸前料理「なべ家」(豊島区南大塚1-51-14、03-3941-2868)元主人の福田浩(ふくだ・ひろし)さんによる特別講演会を開く。事前に銀座・三河屋(03-3248-0528)にまで申し込む。

福田浩さんは1935年東京都生まれ、早稲田大学文学部を卒業、「三到」で修業、家業を継ぎ、「なべ家」の主人として江戸前料理店を経営し、2015年ころに閉店し、現在、江戸前料理の研究家として活躍している。

開場時間は10時(初日は13時)から18時(最終日は15時)。入場は無料。