ナチスに有益な人物を描いた「ナチス第三の男」(256)

【ケイシーの映画冗報=2019年2月7日】当時(1960年代)のレートで42億円(現在の貨幣価値で300億円以上)の制作費をかけた戦争映画「史上最大の作戦」(The Longest Day、1962年)は、史実に則った映像を心がけていましたが、劇中、ふしぎなシーンがあります。

現在、一般公開中の「ナチス第三の男」((C)LEGENDE FILMS-RED CROW N PRODUCTIONS-MARS FILMS-FRANCE 2 CINEMA-CARMEL-C2M PRODUCTIONS-HHHH LIMITED-NEXUS FACTORY-BNP PARIBAS FORTIS FILM FINANCE.)。制作費が2780ユーロ(約34億7500万円)、興行収入が410万4500ドル(約4億1045万円)。

ノルマンディーに上陸した連合軍を機銃掃射するドイツの戦闘機に「卍(まんじ)」(日本の地図上の寺のマーク)が描かれているのです。これには理由があります。西ドイツ(当時、現在の統一ドイツも)には、ナチスドイツに関するほぼすべてに制約があり、とくにシンボルとして多用された「スワスチカ(カギ十字、逆卍)」を公の場所で提示することが禁じられています。もし「史実に忠実」にドイツ軍を再現してしまうと上映や放送ができなくなるので、〈それっぽい何か〉に置き換えてしまうのです。

これほどナーバスな事物であっても、ナチスドイツをあつかった作品は大量に存在し、今後も生まれてくるはずです。本作「ナチス第三の男」(原題:The Man with the Iron Heart、2017年)もこうした作品群に連なる1本で、〈金髪の野獣(Die blonde Bestie)〉とあだ名され、ナチスドイツの謀略の多くにかかわり、ユダヤ人への虐殺行為(いわゆるホロコースト)の中心人物であったラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Heydrich 1904-1942)の半生を描いています。

ドイツ国内で急速に勢力を増していくナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)に、女性問題でドイツ海軍を不名誉除隊となったラインハルト・ハイドリヒ(演じるのはジェイソン・クラーク=Jason Clarke)が加わります。

ナチ党の有力者の娘リナ(演じるのはロザムンド・パイク=Rosamund Pike)と婚約したラインハルトは、ナチ党の有力者ハインリヒ・ヒムラー(Heinrich Himmler、1900-1945、演じるのはスティーヴン・グレアム=Stephen Graham)に取り立てられると、すさまじい勢いでのし上がっていきます。

軌を一にするようにナチ党に支配されたナチスドイツも拡張していきます。隣国オーストリアを併合し、ついでドイツ語を多用するチェコスロバキアもナチスドイツの一部となってしまいます。

第2次世界大戦(1939年から1945年)がはじまると、ラインハルトはナチスドイツの占領地でユダヤ人の捜索に辣腕を振るいます。やがて、チェコスロバキアの全権をまかされたラインハルトですが、そこには死の危険が迫っていました。イギリスから潜入した亡命チェコスロバキア人による暗殺計画が進められていたのです。

本作の原作は、フランス出身のローラン・ビネ(Laurent Binet )による小説「HHhHプラハ、1942」で、おなじフランス人のセドリック・ヒメネス(Cedric Jimenez)が監督をしています。フランスは大戦中、ナチスドイツに占領されていた経緯もあり、ナチズムに対して厳しい態度をとっています。

ですが、当時の欧米社会では、ナチスドイツを支援する力もすくなくありませんでした。おなじドイツ語を話すオーストリアには、ナチスドイツを率いるアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler、1889-1945)に好意的な人物は大勢いましたし、他のヨーロッパの国々でも、共産国家ソ連に対する「防波堤」としての役割を期待されたりもされています。

そんな時代に直面したラインハルトが、海軍をやめさせられた直後にナチ党に加わり、たちまち頭角をあらわす姿は恐ろしく、また狂気をはらんでいますが、その一方で、フェンシングが達者でバイオリンやピアノといった音楽もたしなみ、妻となったリナにはよき夫で子煩悩という、家庭人としての一面もかいま見せます。

「彼は、ナチ運動のなかに自分の怒りのはけ口を見つけたのです。(中略)もし軍隊をクビになっていなかったなら、彼は怪物になっていなかったでしょう」(パンフレットより)と、ヒメネス監督は語っています。

正しい表現ではありませんが、「適材適所」が見事になされてしまった成果といえるかもしれません。ヒトラーはラインハルトを「鉄の心臓を持つ男」(原題と同じ)と評し、その手腕を見込んで、チェコスロバキアを任せたといわれています。

現在ではマイナスのイメージで語られることが多い、ヒトラーやナチズムですが、当時の人々にとっては魅力的な部分があったことは間違いありません。そうでなければ結党からわずか13年で大国ドイツの全権を掌握することなど不可能だからです。その課程にはラインハルトのような「ナチスドイツに有益な人物」が威力を発揮したことのは事実でしょう。

そんな歴史の1ページを描ききった1本でした。次回は「ファースト・マン」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

編集注:ウイキペディアによると、「ナチス」は国民社会主義ドイツ労働者党という極右政党で、1919年1月に前身の「ドイツ労働者党」(アントン・ドレクスラー=Anton Drexler、1884-1942=らが共同設立、1919年9月にアドルフ・ヒトラーが入党)が設立され、1920年2月に改称した。1921年7月に第一議長に就任した(ドレクスラーは名誉議長)アドルフ・ヒトラーは、党内でフューラー(Fuhrer、指導者、総統)と呼ばれるようになり、指導者原理に基づくカリスマ的支配を確立した。

この頃から党勢の拡大を見た実業家からの寄付も相次ぎ、党勢はさらに拡がり、1921年に3000人だった党員が、1922年1月には6000人となった。結党以来長らく野党であったが、1929年の世界恐慌以降、国民の社会不安を背景に支持を拡大させ、1932年7月の国会選挙で国会の第1党を占めた。1933年1月30日にヒトラーが首相に任命されたことで政権与党となり、一党独裁体制を敷いたが、1945年5月8日にドイツ国防軍が連合国軍に降伏し、軍政下に置かれた9月10日には党の存在自体が軍政当局によって禁止(非合法化)された。

1946年9月30日、ロンドン憲章に基づく「ニュルンベルク裁判」により、党指導部・親衛隊・ゲシュタポが「犯罪的な組織」と認定された。ニュルンベルク裁判や継続裁判など占領地域で行われたその後の非ナチ化法廷により15万人もの党員が逮捕されたが、実際に裁判を受けたのは3万人である。また占領下やその後の新ドイツにおいては、ナチ党の影響を減少させる「非ナチ化」の施策が行われた。