丸善丸の内で小田部羊一「少女ハイジ」展、奥山玲子の作品も

【銀座新聞ニュース=2020年12月13日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は12月17日から24日まで4階ギャラリーで「小田部羊一が描く『アルプスの少女ハイジ』の世界展」を開く。

丸善・丸の内本店で12月17日から24日まで開かれる「小田部羊一が描く『アルプスの少女ハイジ』の世界展」に出品される作品((C)ZUIYO)。

アニメーター、作画監督、キャラクターデザイナーの小田部羊一(こたべ・よういち)さんが「アルプスの少女ハイジ」の描きおろし原画や版画、グッズ、書籍などを展示販売する。また、2019年のNHK朝の連続テレビ小説「なつぞら」のモデルとなった小田部羊一さんの夫人で、アニメーター、版画家だった奥山玲子(おくやま・れいこ、1936-2007)の作品も紹介する。

「アルプスの少女ハイジ」は1974年1月6日から12月29日までからフジテレビ系で放送されたアニメで、スイスの作家、ヨハンナ・スピリ(Johanna Spyri、1827-1901)の小説「アルプスの少女ハイジ」が原作で、全52話。1979年3月17日より、ダイジェスト版が劇場映画として公開されている。

制作は瑞鷹エンタープライズ(当時)の子会社「ズイヨー映像」で、制作にあたって、スタッフが海外現地調査(ロケーション・ハンティング)を約1年間行った。調査には、高畑勲(たかはた・いさお)さん、宮崎駿(みやざき・はやお)さん、小田部羊一さんらが参加し、日本のアニメとしてはヨーロッパ各国で広く放送された。

この作品は「日本アニメーション」の「世界名作劇場」シリーズに含められてなく、日本コロムビアから発売されている「日本アニメーション 世界名作劇場 主題歌・挿入歌大全集」などのCDにも本作からの楽曲は含まれていない。

物語は幼い頃に両親を亡くし、5歳になるまで母方の叔母のデーテ(Dete)に育てられたハイジ(Heidi)が、デーテの仕事の都合で、アルムの山小屋にひとりで住んでいる、父方の実の祖父であるおじいさん(アルムおんじ=Alm-Onji)に預けられるという内容だ。

アルムではヤギ飼いの少年ペーター(Peter)、ペーターのおばあさんなどの人々、子ヤギのユキちゃん、おじいさんが飼っている犬のヨーゼフやヤギのシロ・クマ、樅の木をはじめとした、大自然に生きる動植物達と厳しくも優しく、懐の深さを感じさせるアルプスの大自然の中で暮らす。共に暮らすおじいさんを通じ、ハイジはさまざまなことを知り、学び、健やかに育っていく。

ウイキペディアによると、小田部羊一さんは1936年台湾台北市生まれ、敗戦後の1946年に一家8人で日本に引き揚げ、奈良から新潟へ転々とし、茨城県日立市で暮らし、1959年に東京芸術大学日本画科を卒業、東映動画株式会社に入社、楠部大吉郎(くすべ・だいきちろう、1934-2005)の班に入り、動画を担当、映画「少年猿飛佐助」を担当し、1960年に映画「西遊記」、1961年に映画「安寿と厨子王丸」を担当し、奥山玲子の班に入り、セカンド原画を担当した。

1962年に映画「アラビアンナイト シンドバッドの冒険」、1963年に映画「わんぱく王子の大蛇退治」、同年に同僚の奥山玲子と結婚した。その後、映画「わんわん忠臣蔵」(1963年)、テレビシリーズ「狼少年ケン」(1963年、作画監督)、テレビシリーズ「少年忍者 風のフジ丸」(1964年)、テレビシリーズ「ハッスルパンチ」(1965年)、長編アニメ映画「太陽の王子」(1966年)、映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年)、映画「長靴をはいた猫」(1969年)、映画「空飛ぶゆうれい船」(1968年)。

映画「どうぶつ宝島」(1971年)、映画「アリババと40匹の盗賊」(1971年)、テレビシリーズ「さるとびエッちゃん」(1971年)を経て、高畑勲(たかはた・いさお、1935-2018)、宮崎駿(みやざき・はやお)さんと東映動画を退社、Aプロダクション(現シンエイ動画)に移籍した。テレビシリーズ「赤胴鈴之助」(1972年)、映画「パンダコパンダ」(1972年)、テレビシリーズ「荒野の少年イサム」(1973年)、1974年からテレビシリーズ「アルプスの少女ハイジ」のキャラクターデザインと全52話の作画監督を務めた。

1973年に高畑勲、宮崎駿さんと共に「ズイヨー映像」制作部(後の「日本アニメーション」)に移籍し、1976年にテレビシリーズ「母をたずねて三千里」のキャラクターデザインと全52話の作画監督を務める。1977年に「日本アニメーション」を退社し、フリーとなり、1978年にテレビシリーズ「まんが日本絵巻」、1979年に映画「龍の子太郎」のキャラクターデザイン、作画監督を担当(奥山玲子と共同)した。

1981年に映画「じゃりン子チエ」の共同作画監督を務め、1984年に映画「風の谷のナウシカ」に原画を担当、映画「パパママバイバイ」の原画を担当、1985年に東京デザイナー学院アニメーション科の講師に就任し、12月に東映動画時代の同僚で、当時の任天堂の情報開発部長、池田宏(いけだ・ひろし)さんから誘われ、任天堂に入社した。

ファミリーコンピュータソフト「スーパーマリオブラザーズ」において、宮本茂(みやもと・しげる)さんが生み出したマリオシリーズのキャラクターデザインを磨き上げ、以降一連のシリーズにおいて、キャラクターの公式イラストをデザイン(監修)し続け、2007年に任天堂を退社、再びフリーとなる。

この間も、1988年に映画「火垂るの墓」の原画を担当し、奥山玲子と2人だけのスタジオ「アトリエ羚」を主宰し、東京デザイナー学院アニメーション科や東映アニメーション研究所で講師を務め、奥山玲子との共通ペンネームとして「あんていろーぷ」を使用した。2010年3月に「東京国際アニメフェア2010」にて東京アニメアワード第6回功労賞が奥山玲子とともに贈られた。

2019年に草創期のアニメ業界を描いたNHK連続テレビ小説「なつぞら」でアニメ時代の考証を担当した。同年7月にスイス国立博物館で開かれた「アルプスの少女ハイジ」の展覧会のポスターを描き下ろした。現在、公益財団法人「徳間記念アニメーション文化財団」評議員。

20日14時から15時まで小田部羊一さんによるギャラリートークを開く。司会はアニメーション史家のなみきたかしさん。ただし、すでに予約を終了している。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)、入場は無料。