近代美術館でJ・ポロック展、堂本右美、沢山遼らがシンポ

【銀座新聞ニュース=2012年2月1日】東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園3-1、03-5777-8600)は2月10日から5月6日まで「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」を開催する。

アメリカの画家で、「ドリッピング」(絵の具を注ぐ)という技法で世界的に知られるジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912-1956)が生誕100年を迎えたのを記念して、日本初の大規模な回顧展を開く。初期から晩年にいたるそれぞれの時期の代表的な作品を含む約70点を公開する。

その中には、イランのテヘラン現代美術館に所蔵されている「インディアンレッドの地の壁画」(1950年)が含まれ、海外への貸し出しは初めてとしている。「インディアンレッドの地の壁画」は競売会社クリスティーズによる最新の評価額が200億円とされ、2006年に売買されたジャクソン・ポロックの作品が1億4000万ドル(当時のレートで約165億円)なので、それを超えているという。

また、ジャクソン・ポロックが1945年にニューヨーク州イースト・ハンプトンのスプリングスに移り、1946年に納屋をアトリエに改装、最盛期の作品が生み出された。このアトリエを再現し、画材などもあわせて展示する。

東京国立近代美術館によると、ジャクソン・ポロックの生涯は「アメリカン・ドリームの明暗そのもの」で、1930年代の激動のニューヨークで不安定な精神状況とアルコール依存に苦しみながらも研さんを積み、1943年にイタリアの世界的なコレクター、ペギー・グッゲンハイム(Peggy Guggenheim、1898-1979)に見出され、「一夜にしてヒーロー」になったという。

床に広げたキャンパスに絵具をふり注いで描く「アクション・ペインティング」で注目を集め、絶頂期の1950年には歴史に残る大作が何点も生まれ、その「アクション」を撮影、記録し、世に知らしめたハンス・ネイムス(Hans Namuth、1915-1990)は1950年秋から撮りはじめた。撮影が終了したその日にジャクソン・ポロックは、2年間断ち続けていた酒に再び手を出し、数年後に自動車事故で亡くなった。

今回はジャクソン・ポロックの生涯を4期に分け、第1章が「1930-1941年:初期-事故を探し求めて」で、ロサンゼルスからニューヨークに出てきて絵画修業をはじめ、自分の進むべき道を模索するころの作品を取り上げる。

第2章が「1942-1946年:形成期-モダンアートへの参入」で、1943年に初個展を開いたころで、モダンアートの世界に本格的に足を踏み入れた作品を公開する。

第3章が「1947-1950年:成熟期-革新の時」で、画面を同じようなパターンで埋め尽くす「オールオーバー」な構成と、床に広げたキャンバスの上に流動性の塗料を流し込む「ポーリング」の技法を融合させて、代表的な様式を確立したころの作品を展示する。

第4章が「1951-1956年:後期・晩期-苦悩の中で」で、成熟期の網の目のような抽象的構成が捨てられ、初期や形成期に描いていたような具象的なイメージが、画面に再び現れ、1954年頃から作品数が落ち込み、苦悩の中で自らの未来をあきらめずに探った最後の軌跡を振り返る。

ウイキペディアなどによると、ジャクソン・ポロックは1912年ワイオミング州コーディ生まれ、1928年にロサンゼルスのマニュアル・アーツ・ハイスクールで学び、1930年にニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで学び、アメリカン・シーン派(地方主義)の画家トーマス・ハート・ベントン(Thomas Hart Benton、1889-1975)の指導を受けた。

1935年から1942年までニューディール政策の一環として新進の画家に公共建築物の壁画や作品設置などを委嘱したWPA(公共事業促進局)の連邦美術計画の仕事をし、その際に、巨大な壁一面の空間に、スプレーガンやエアブラシで描く現場に衝撃を受ける。この頃からアルコール依存症がはじまる。

第2次世界大戦(1939年から1945年)中、アメリカに亡命していたシュルレアリスムの画家と交流し、無意識から湧き上がるイメージを重視した抽象的なスタイルを確立させ、1945年に女流画家のリー・クラズナー(Lee Krasner、1908-1984)と結婚した。

1943年頃からキャンバスを床に平らに置き、缶に入った絵具やペンキを直接スティックなどでしたたらせる「ドリッピング」という技法で制作をはじめ、絵具をキャンバスにたらす際は、意識的に絵具のたれる位置や量までをコントロールし、「地」と「図」の差のない均質なその絵画は「オール・オーバー」と呼ばれた。

1950年代には飲酒癖の再発や、絵画の手法への更なる疑問から、次第に低迷期に入り、黒いエナメル一色のドリッピングや、人体やトーテムなど具象的な画題の復活、ふたたび色とりどりの抽象に戻るなど模索を繰り返した。1955年に若い愛人ができたことからリー・クラズナーとの関係が破たんし、リー・クラズナーが距離を置くためヨーロッパに去り、1956年8月11日に若い愛人などと飲酒したあと、猛スピードで木立に激突して44歳で死亡した。

2月12日13時から地下1階講堂で画家の堂本右美(どうもと・ゆうみ)さん、画家の岡村桂三郎(おかむら・けいざぶろう)さん、画家の小林正人(こばやし・まさと)さんによるシンポジウム「ペインターズ・ラウンド・テーブル:ホワッツ・イズ・JP(PAINTERS’ROUND-TABLE: WHAT IS JP)? 画家たちのポロック」を開催する。モデレーターが東京国立近代美術館企画課長の中林和雄(なかばやし・かずお)さんが務める。

3月24日13時から美術史家で大阪大学大学院人間科学研究科グローバルCOE特任助教の池上裕子(いけがみ・ひろこ)さん、美術批評家の沢山遼(さわやま・りょう)さん、 美術批評家で上智大学教授の林道郎(はやし・みちお)さんによるシンポジウム「今ポロックの何を見るのか」を開催する。モデレーターが中林和雄さんが務める。

4月22日14時から中林和雄さんが「ポロックとは何か」と題して講演する。

堂本右美さんは1960年フランス・パリ生まれ、1985年に多摩美術大学絵画科(油絵専攻)を卒業、1987年にアメリカ・ニューヨークのクーパーユニオンファインアートを卒業、1991年にニューヨークのハンターカレッジ大学院を中退、1993年にギャラリー ムカイで個展(1995年から1998年と2000年も)を開いた。

岡村桂三郎さんは1958年東京都生まれ、1985年に東京芸術大学大学院修士課程を修了、1987年に「第9回山種美術館大賞展」で優秀賞、1994年に五島記念文化賞美術新人賞を受賞、アメリカで1年間研修、2004年に第52回芸術選奨文部科学大臣賞新人賞、2008年に「第4回東山魁夷(ひがしまやま・かいい、1908-1999)記念日経日本画大賞展」で大賞などを受賞している。

小林正人さんは1957年東京都生まれ、1984年に東京芸術大学美術学部油画専攻を卒業、1994年に「絵画の子」でVOCA奨励賞、1996年にブラジル・サンパウロビエンナーレ日本代表、1997年にヨーロッパにわたり、ベルギーのゲント市を拠点に各地で制作し、2006年に帰国した。

池上裕子さんは2006年に「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」を設立、副代表に就任、神戸大学国際文化学研究科准教授を経て、2007年にアメリカ・イェール大学大学院で文学博士号を取得、2008年に大阪大学大学院人間科学研究科グローバルCOE特任助教。

沢山遼さんは1982年生まれ、武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程を修了、2010年に「レイバー・ワーク-カール・アンドレ(Carl Andre)における制作の概念」により「美術手帖」第14回芸術評論募集第1席に選ばれ、「美術手帖」誌を中心に批評や論文を執筆している。

林道郎さんは1959年北海道函館市生まれ、1999年にコロンビア大学大学院美術史学科で博士号を取得、2003年より上智大学比較文化学部助教授、その後、上智大学国際教養学部教授。

中林和雄さんは1961年生まれ、 京都大学文学部を卒業、1989年に京都大学大学院文学研究科美学美術史学専攻を修了、同年に東京国立近代美術館に入館、現在企画課長。

開館時間は10時から17時(金曜日は20時)まで。休館日は月曜日。ただし、月曜日が祝日の場合は開館する。料金は一般1500円、大学生1200円、高校生800円、中学生以下は無料。シンポジウム、講演はいずれも無料で参加できる。(2012-02-01)