1954年版「ゴジラ」上映、宝田明がトーク

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【銀座新聞ニュース=2014年6月3日】東宝(千代田区有楽町1-2-2、03-3591-1221)は6月7日から20日までトーホー(TOHO)シネマズ シャンテ(千代田区有楽町1-2-2、050-6868-5001)で「ゴジラ 60周年記念デジタルリマスター版」を上映する。

6月7日から20日までトーホー(TOHO)シネマズ シャンテで上映される1954年版の「ゴジラ」。

6月7日から20日までトーホー(TOHO)シネマズ シャンテで上映される1954年版の「ゴジラ」。

初日の7日10時30分の回上映終了後と、13時30分の回上映前に俳優で、1954年の「ゴジラ」に主演し、2014年7月25日に一般公開される予定のハリウッド版「ゴジラ」にカメオ出演している宝田明(たからだ・あきら)さんが舞台に登場してトークショーを開く。

ウイキペディアによると、「ゴジラ」は東宝が1954年3月1日にビキニ島の核実験によって起きた第五福竜丸事件をきっかけに制作した第1作で、同年に「水爆大怪獣映画」としての「ゴジラ」が公開された。身長50メートルで、「核の落とし子」、「人間が生み出した恐怖の象徴」として描かれた。観客動員数は961万人を記録、この成功を受けて、1955年に第2作「ゴジラの逆襲」が公開され、「怪獣同士の対決」が以後のゴジラ映画の基本とされた。

1962年に公開されたシリーズ第3作「キングコング対ゴジラ」は観客動員数1255万人とシリーズ最高を記録、アメリカなど日本国外でも上映され、大ヒットした。以降、外貨獲得の手段として1960年代に次々と作品が制作された。しかし、1973年に公開された第13作「ゴジラ対メガロ」で観客動員数が98万人と初めて100万人を割り、1975年の「メカゴジラの逆襲」は97万人とさらに下回り、休止期間に入った。

1984年にシリーズ第16作「ゴジラ」では、第1作の直接の続編という形をとり、1991年公開のシリーズ第18作「ゴジラvsキングギドラ」以降は正月映画として1995年公開の第22作「ゴジラVSデストロイア」まで毎年1本のペースで制作された。ハリウッド版「ゴジラ(GODZILLA)」の制作決定により、シリーズ第22作「ゴジラvsデストロイア」(1995年)でシリーズが終了とされた。

1999年のシリーズ第23作「ゴジラ2000 ミレニアム」でゴジラ映画が再開されたが、2004年に公開された第28作「ゴジラファイナルウォーズ」でゴジラシリーズが再度終了された。

7月25日に公開される「ゴジラ」(原題はGodzilla)は、1998年に制作された「ゴジラ(GODZILLA)」以来2作目で、ワーナー・ブラザーズ映画=レジェンダリー・ピクチャーズが提供、レジェンダリー・ピクチャーズが制作し、5月16日にアメリカで公開され、初日興行収入は3850万ドル(約39億円)に達し、世界オープニング興行収入1位で1億9621万ドル(約196億円)となっている。

宝田明さんは1934年朝鮮・咸鏡北道(かんきょうほくどう、ハムギョンプクト)生まれ、父親が朝鮮総督府の鉄道技師で、2歳の頃に南満州鉄道(満鉄)へ転勤して満州へ移り、終戦後、ハルピンから引き揚げた。中国語と英語を話せる。1953年に東京都立豊島高校を卒業、東宝ニューフェイス第6期生として選ばれ、1954年に「ゴジラ」で初主演した。

二枚目俳優として東宝映画の若手トップスターとなり、1959年に日本人初のミス・ユニバースの栄冠に輝いた児島明子(こじま・あきこ)さんと1964年に結婚し、2人の女子をもうけたが後に離婚した。長女は1991年に「ジプシー」で注目されている歌手、女優の児島未散(こじま・みちる)さん。

1980年に東京都中野区江古田に日本初のミュージカル俳優養成学校「宝田芸術学園」を開校した(1983年5月末で閉鎖)。1990年代以降は、気障な二枚目というキャラクターを逆手に取り、新しい境地を開拓している。1964年に文部省芸術祭奨励賞、1972年にゴールデンアロー賞、2012年に文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞を受賞し、これまで出演した映画は200本を越えている。

チケットはPC、携帯のインターネットと劇場で販売しており、10時30分の回は完売している。料金は一般、大学生、シニア1000円、高校生以下500円。7月25日公開の「ゴジラ」の前売券を提示すると500円で入場できる。