リコー画廊で石川武志、大高明、ニュートンら7人の白黒展

【銀座新聞ニュース=2016年10月24日】リコー(中央区銀座8-13-1、03-6278-2111)グループのリコーイメージング(板橋区前 野町2-35-7)が運営するギャラリー「リコーイメージングスクエア銀座」(中央区銀座5-7-2、三愛ドリームセンター、03-3289-1521) は10月26日から11月27日まで8階ギャラリーゾーン「A.W.P」で「ベスト・オブ・モノクローム-ファインプリントに会う至福の刻」を開く。

リコーイメージングスクエア銀座で10月26日から11月27日まで開かれる「ベスト・オブ・モノクローム-ファインプリントに会う至福の刻」に展示される岡崎正人さんの作品((C)Masato Okazaki)。

リコーイメージングスクエア銀座で10月26日から11月27日まで開かれる「ベスト・オブ・モノクローム-ファインプリントに会う至福の刻」に展示される岡崎正人さんの作品((C)Masato Okazaki)。

石川武志(いしかわ・たけし)さん、大高明(おおたか・あきら)さん、岡崎正人(おかざき・まさと)さん、岡田彰(おかだ・あきら)さん、鈴木清(すずき・きよし、1943-2000)、ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton、1920-2004)、ベルント・ベッヒャー(Bernd Becher、1931-2007)の7人の写真家によるゼラチンシルバープリント約30点で構成する作品展を開く。

モノクロームの写真制作は、光が生み出すシーンを漆黒の黒からハイエストライトまでの階調をどのように表現するかにあり、その制作における銀塩写真の醍醐味は作品の強さと、美しさにあるという。

今回の展示は、大型カメラによるアメリカの大地に取り組んだ大高明さん、アンセル・アダムス(Ansel Adams、1902-1984)で有名なヨセミテを撮影した岡田彰さん、身近な自然をテーマに光と影で表現する岡崎正人さん、ユージン・スミス(William Eugene Smith、1918-1978)の日常を捉えた石川武志さん、多くの写真家に影響を与えた鈴木清、ファッション写真で知られたヘルムート・ニュートンや給水塔で知られるベルント・ベッヒャーの作品を展示する。

石川武志さんは1950年生まれ、1971年に東京写真専門学院(現東京ビジュアルアーツ)を卒業、1971年から1974年までユージン・スミスの水俣プロジェクトでアシスタントを務め、1975年にフリーとして活動をはじめる。

1980年にインドのトランスジェンダー社会「ヒジュラ」の取材をはじめ、1982年に写真展「ヒジュラ」、2008年に「インド第三の性-ヒジュラ」、2011年に「ガンガー巡礼」などがある。1995年に写真集「インド第三の性-ヒジュラ」(青弓社)を刊行している。

大高明さんは日本大学芸術学部写真学科を卒業、1968年に共同通信嘱託としてパリに滞在し、ヨーロッパ各地とルーブル美術館を撮影し、1969年に「大高写真事務所」を設立、産業写真(インダストリアルフォト)の撮影、国内外の石油化学プラント、電機、重工業、建築などを撮影した。

1990年以来、毎年4回以上アメリカ南西部コロラドプラトーを撮影し、アルバカーキバルーン大会、世界の熱気球大会も22年間にわたり撮影し、2001年にコロラドプラトーフォトワークショップをはじめ、現在までに20回開いている。

岡崎正人さんは1959年高知県生まれ、日本大学芸術学部を卒業、1980年代から東京を拠点に、ファインアートの写真家として活動し、モノクロームのゼラチン・シルバー・プリントによる作品展を内外で展開している。また、ニューヨークでも個展を開いている。

岡田彰さんは1960年東京都生まれ、1983年に日本大学芸術学部写真学科を卒業、以降フリーで雑誌媒体を中心に活動し、2010年から富山県に拠点を移している。

鈴木清は1943年福島県生まれ、1965年に福島県立平第二高校を卒業、マンガ家を志して上京し、1969年に東京綜合写真専門学校を卒業、同年から1970年にかけて「カメラ毎日」に「シリーズ・炭鉱の町」を発表(全6回)、写真家としてデビューした。

以降、看板描きを生業としながら、写真家としても活動し、1983年に第33回日本写真協会賞新人賞、1985年に東京綜合写真専門学校の講師、1989年に第1回写真の会賞、1992年に第17回伊奈信男賞、1995年に第14回土門拳賞などを受賞している。2000年3月に逝去している。

ヘルムート・ニュートンは1920年ドイツ・ベルリン生まれ、12歳で写真を撮りはじめ、1940年にオーストラリアに移り、市民権を獲得、メルボルンで写真スタジオを開き、1952年に「ヴォーグ・オーストラリア版」での仕事を皮切りに、1960年から1970年代にかけて各国の「ヴォーグ誌」や「マリークレール」、「エル」、「シュテルン」、「プレイボーイ」などで活躍した。

1971年に心臓発作を起こし、以降は自身の望むイメージを撮影し、激しいセクシーさやエロティシズムを追求するようになり、1975年からオリジナル・プリントの展示、販売をはじめ、80歳を過ぎても現役で広告や「ヴォーグ」などで発表していたが、 2004年に自らが運転する車で壁に激突して死亡した。

ベルント・ベッヒャーは1931年ドイツ・ジーゲン生まれ、1953年から1956年までシュットガルトで絵画と石版画を学び、1957年から1961年までデュセルドルフでタイポグラフィーを学び、デュセルドルフ美術アカデミー在学中に、写真専攻だったポツダム生まれのヒラ(Hilla Becher、1934-2015)と出会い、1961年に結婚した。

夫婦でドイツ国内をはじめ、オランダ、フランス、ベルギー、英国、アメリカなどで、産業時代の証拠物である匿名的な建造物を、写真でもって追跡調査し、採掘塔、給水塔、溶鉱炉、冷却塔、サイロ、工場、産業時代の住宅などを一貫して記録した。1970年に最初の作品集「匿名的彫刻-工業的建造物のタイポロジ」を出版した。1976年にデュッセルドルフ美術アカデミー写真科教授に就任、多くの国際的な写真作家を輩出し、2007年に逝去した。

開場時間は11時から19時(最終日は16時)。毎週火曜日が定休。入場料は510円(税込)。