丸善WABPで珍本特集、「ブリストル市の歴史」など偽名、偽書など

【銀座新聞ニュース=2016年8月4日】丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は8月3日から30日まで3階ワールド・アンティーク・ブック・プラザで「珍本」を特集している。

丸善・日本橋店のワールド・アンティーク・ブック・プラザで8月30日まで開かれている「珍本」特集に出品されている「トリエント公会議の歴史」。

丸善・日本橋店のワールド・アンティーク・ブック・プラザで8月30日まで開かれている「珍本」特集に出品されている「トリエント公会議の歴史」。

「ワー ルド・アンティーク・ブック・プラザ」(WABP)は丸善や丸善グループの丸善雄松堂(ゆうしょうどう)書店(新宿区四谷坂町10-10、 03-3357-1417)など世界11カ国から22社のアンティーク・ブッ クショップが集合して開設したもので、2013年3月から毎月、テーマを決めてイベントを開いており、2015年6月から3週間程度に期間を短縮してい る。

今回は、「珍本」特集で、「偽装?!苦笑のワケアリ本」との副題で、「間違うことと、それを隠そうとすることは、昔も今も人間の得意 とするところ。人に言えない秘密や微妙な間違いの痕跡を綴(と)じ込めた本は、時代を経て、それを書いた人の興味深い人間性を現して」いるとしている。

そ うした中で15世紀の時祷書の文字を間違えて金で装飾してしまって今もそのままに残る羊皮紙写本零葉から、架空の18世紀の著作の復刻版を装って、禁酒運 動の高まる20世紀に出版されたカクテルレシピまで、間違えた手稿、いたずら本、秘密の本、偽名・偽書に関連する、いわくつきの書物やリーフを展示販売し ている。

同じく「動物図説」。

同じく「動物図説」。

今回、出品されているのは、(Lのはずだったのに・・・)「イニシャルCを含む時祷書零葉」(彩飾写本リーフ、1500年ころ)、 (プリニウスの怪物を広く出版・・・)ドイツの医者・人文学者のハルトマン・シェーデル (Hartmann Schedel、1440-1514)の「ニュルンベルク年代記」(豪華ファクシミリ版、2002年)。

丸善雄松堂などによると、「ニュル ンベルク年代記」には、プリニウス(Gaius Plinius Secundus、22、23-79)の「博物誌(Naturalis Historia)」に含まれている怪獣、巨人、狼人間などの非科学的な内容が多く含まれており、シェーデルがそれらのイラストを載せたと思われる現実に は存在しないとみられる不思議な人間の絵が多数掲載されている。

(後続版より割愛された不思議世界・・・)英国の著述家、地理学者のリ チャード・ハクルート(Richard Hakluyt、1552-1616)の「イギリス国民の主要航海の記録」(初版、1589年)、(ハウツー偽キケロの流行に抗した・・・・)アンリ・エ ティエンヌ(Henri Estienne、1528?1598)の「ニゾリ先生-ニゾリ式キケロ風文体指導」(初版、1578年)。

同じく「東インド会社遣日使節紀行」。

同じく「東インド会社遣日使節紀行」。

ニゾ リ (Mario Nizzoli、1488-1566)はイタリアの哲学者、人文学者でキケロ主義者だったが、スイス・バーゼルの有名な印刷者で古典主義者のアンリ・エ ティエンヌ (Henry Estienne、1528-1598)の時代、16世紀にマルクス・トゥッリウス・キケロ(Marcus Tullius Cicero、紀元前106-紀元前43)の語法やスタイルを模範にすることが流行し、アンリ・エティエンヌはキケロに倣うことは賛成していたが、ニゾリ が著したキケロ語彙集(ごいしゅう)を独創性のない愚かな模倣であるとして学問的に批判した書として知られている。

(アナグラムの完璧な偽 名・・・)イタリアの学者、歴史家、修道士のフラ・パオロ・サルピ(Fra Paolo Sarpi、1552-1623)が「ソアヴェ(Soave)」名義で書いた「トリエント公会議の歴史」(初版、1619年)。欽定英訳聖書がイングラン ド国教会で刊行された時代に、ジェームズ1世に献呈され、ベネチア共和国の聖職者で、ベネチアの教父パオロとして高名なパオロ・サルピが「Pietro Soave Polano」というアナグラムによる偽名を使って、16世紀中葉に行われた公会議により、カトリック世界がいかに誤った方向に進んでしまったかを証明し ようと、ロンドンで刊行した著書とされている。

同じく「ヴュルツブルクの化石」。

同じく「ヴュルツブルクの化石」。

イタリア語版に続き、1620年に英語版、ラテン語版、仏語版、独語版が出版され、その影響 力がヨーロッパ中に広がり、その後も繰り返し再版され、現在でも読まれている。アナグラムとは、単語または文の中の文字をいくつか入れ替えることによっ て、まったく別の意味にさせることをいう。

(一角獣やドラゴンも・・・)ポーランド出身の医学者、博物学者のヨハネス・ヨンストン (Johannes Jonstons、1603-1675)の「動物図説」(初版、全6巻4冊、1650年から1653年)。オランダの医学者・動物学者のヨンストンによ る、博物誌の代表作品のファクシミリ版で、ヨンストンはプロイセンのトルン、スコットランドのセント・アンドルーズの大学で植物学と医学を修めた後、 1632年にオランダのライデン大学で医学博士の学位を取得し、1642年に同大学の医学教授になった。

動物図説は、当時ヨーロッパ最高の 版画家集団と言われていたメリアン一族のマテウス・メーリアン・ジュニア(Matthaeus Merian, Jr.、1593-1650)による銅版画の豪華で精密な描写とともに、世界中で長く愛され、大ベストセラーとなった。初版は1649年から1653年に かけてフランクフルトで出版されたラテン語版で、後に英語、オランダ語、フランス語やドイツ語などに翻訳された。日本では、1663年にオランダ商館長か ら江戸幕府に献上されたオランダ語版が知られている。ただ、さまざまな動物が描かれており、中には実在しない動物の絵もある。

(日本は見て ないけれど・・・)オランダの宣教師、歴史学者のアルノルドゥス・モンタヌス(Arnoldus Montanus、1625-1683)の「東インド会社遣日使節紀行」(初版、1669年)。モンタヌスはオランダの宣教師で、日本に渡来したことはな かったが、日本で布教に従事したポルトガルやスペインのカトリック系宣教師の報告書をはじめ、オランダ東印度会社から日本に派遣された使節などの報告書、 平戸や出島のオランダ商館の記録などを参考にして本書を著したとされている。

内容は、ヨーロッパ人による地球一周などの大航海から説きはじ め、ポルトガル人による日本への初めての渡航及び本書が出版された数年前までの日本の地理、歴史、風俗、習慣などについて記述しており、特に、日本におけ るキリスト教の禁圧については紙幅をさき、その原因などについても細かな分析を加えている。

1669年にアムステルダムで原本であるオラン ダ語版が出版され、当時のヨーロッパにおけるもっともまとまった日本誌として好評で、同年、独訳本が刊行され、英語版、フランス語版も刊行され、近世初期 の日本を広く西欧諸国に紹介した。日本では1925年に和田万吉(わだ・まんきち)博士によって「モンタヌス日本誌」として訳出されている。

(回 収したのに再刷された・・・)ドイツ・ヴュルツブルク大学の医学部教授、博物学者のヨハン・ベリンガー(Johann Bartholomew Adam Beringer、1670-1740)の「ヴュルツブルクの化石」(初版第2刷、1726年)。ベリンガーが、自らの尊大な態度に腹を立てた同僚2人の 悪意ある悪戯に騙されたものだ。

地理と代数学の教授J・イグナッツ・ロデリックと大学の司書ヨハン・エックハルトが石灰岩を細工してトカゲ や鳥、カエル、ハチ、カタツムリ、巣を張ったクモなどの化石に似せ、さらには尾を引く彗星、三日月や顔のある太陽が輝く様子、ヤハウェを表す「YHWH」 をラテン文字やアラビア文字、ヘブライ文字で刻んだ化石までも作り、ベリンガーがよく化石採集に訪れていた近郊のアイフェルシュタットの山中に埋めておい た。

化石の起源について当時は生物の痕跡か無機的な作用によるものかで決着がついていなかったため、これらの「大発見」をベリンガーは本物 と信じ込み、21点の図版で紹介した「リトグラフィエ・ヴィルセブルゲンシス(Lithographia Wirceburgensis、ヴュルツブルクのリトグラフ)」なる著作を発表した。

ベリンガーは独自の解釈については石のうち少数が生物 の遺骸に由来するものだろうとし、あとの大部分は人々の信仰心を試すための「神の気まぐれないたずら」などとするに留め、考えられる他の可能性も提示して おくなど当時それなりに(贋物ではあったものの)厳密で科学的な検証を行っていた。有史以前の異教者たちによる彫刻とする説は、神の名を知っているはずが ないとして退けている。

一方、2人は悪戯の度が過ぎて収拾がつかなくなったと見るや実際に偽造してみせた石を送ってよこしたり、偽造の方法 まで明かしてベリンガーに警告したが、ベリンガーはこれを手柄を貶めるための中傷と考えて取り合わなかった。1934年に見つかった公文書記録によるとベ リンガーの名誉毀損の訴えに対して1726年4月に聴聞会の場が持たれ、2人はベリンガーが「我々に対しあまりにも横柄で見下した態度をとった」ため、ベ リンガーを陥れようとしたと述べている。

判決は残っていないが双方とも名誉が傷つけられただろうことが想像され、ロデリックはヴュルツブル クを離れざるをえなくなり、エックハルトも司書の地位を失った。また教訓話としてベリンガーは自分の名前がヘブライ文字で刻まれた石を見て贋作に気づいた とか、著作を買い戻そうとして貧困に陥ったなどの説も広く流布しているがいずれも証拠はなく、ベリンガーはその後も教職を続け1740年に亡くなってい る。著作は死後の1767年に第2版が出版され、石は「リューゲンシュタイン(lying stones、贋作化石)」として有名になり、現存するいくつかがオックスフォード大学自然史博物館に収められている。

(自分で書い た・・・)スコットランドの作家、詩人、文芸収集家、政治家のジェイムズ・マクファーソン (James Macpherson、1736-1796)の「フィンガル」(第2版、ブレアの「オシアンの歌批評」の初版合冊、1762年から1763年)。マク ファーソンは、古代の盲目の詩人オシアン(オシァン)が詩作したハイランド地方を物語の舞台とするスコットランド・ゲール語の長編叙事詩 (epic) を発見したと称し、その「翻訳」だとする英語の散文作品を、「フィンガル」(1762年)、「テモラ」(1763年)などの題名で、段階的に発表した。

こ れは当時、ヨーロッパ大陸の文壇で一世を風靡し、若かりし日々のドイツのロマン派作家たちに少なからず影響を及ぼした。一方で、発表まもなく、これら作品 は、正真正銘の古歌ではない、マクファーソンがでっちあげたものだという批判がわきあがった。いわゆる「オシァン関係論争 (Ossianic Controversy)」といわれている。

現在では、いわゆる「オシアン詩集」は、言い伝えや古謡などをもとに、あらかたマクファーソン が創作した近代作品とみなされており、そのゲール語詩も前後して創作された文学とみるのが趨勢とされている。ケルト文学における偽書の例として「ヨロ・モ ルガヌグ」と並び称されている。一方で、純正のケルト文学の古典名作がまだ世に紹介されていない時代、とりあえずゲール語文学として注目を集め、後のケル ト文学の考証伝承や写本の採集・研究を触発したと評価する意見もある。

(チャタートン贋作典拠の・・・)バレット(William Barrett、1733–1789)「ブリストル市の歴史と遺物」(初版、1789年)。英国の詩人で、ブリストル市生まれのトーマス・チャタートン (Thomas Chatterton、1752-1770)は中世詩を贋作したことで知られる詩人で、困窮し、わずか17歳で自殺してしまった。この詩人と生前、出会っ たバレットは、チャタートンのブリストル市に関する偽造した記録を元に、町の歴史を書き、後にバレットの名声を傷つけることになった。

(編 者も協会も存在しないワイズ初の偽書・・・)(ワイズ=Thomas James Wise、1859‐1937)シーモア編/パーシー・B・シェリー(Percy Bysshe Shelley、1792-1822)の「詩とソネット」(同人限定30部、1887年)。書誌学者としての名声を悪用し、みずから作成した偽版を高価に 販売したのがワイズで、その中のひとつが英国の詩人の作品として刊行した本書といわれている。

ウイキペディアによると、偽書とは、制作者や 制作時期などの由来が偽られている文書や書物のことをいう。主として歴史学において(つまりはその文献の史的側面が問題とされる場合に)用いられる語で、 単に内容に虚偽を含むだけの文書は偽書と呼ばれることはない。偽書という概念は、美術的な書の贋作も含んでおり、英語でも「フォーゲリー (forgery)」は偽書、贋作のどちらの意味もある。

歴史書においては真偽を判断できない難しさもあって、偽書とされている史料が多い。真偽の判定にあたっては、他文献との内容の相違や矛盾よりも、その書の成立時期について主張されている場合が多く、その時期を検証することが史料批判の出発点となる。

日 本においては偽書目録が少なく、速見行道(はやみ・ゆきみち、1822-1896)の「偽書叢」(1853年)と伊勢貞丈(いせ・さだたけ、 1717-1784)撰の「偽撰の書目」が存在する程度で、「偽書叢」に掲載された偽書としては「甲陽軍鑑」、「三河後風土記」、「徳川歴代記」、「未来 記」などがある。「偽撰の書目」では「江源武鑑」、「三河後風土記」、「大成経」などがある。

ヨーロッパでの偽作事件ではピエール・ルイス (Pierre Louÿs、1870-1925)がフェニキアで発掘し翻訳したと偽った「ビリティスの歌」(潤色の一環と捉えられる)、フリードリヒ・ヴァーゲンフェル ト(Friedrich Wagenfeld、1810-1846)により偽作された「フェニキア史」(偽作の意図が不明)などが知られている。現代では20世紀末葉に現れた「万 歳三唱令」(原本の存在が確認されていない)などがある。

偽書として悪名高いのが「シオン賢者の議定書」(ユダヤ議定書)で、現在では元に なったと推測される文献まで特定されている明白な偽書であるが、かつては反ユダヤ主義の正当化に用いられ、ユダヤ陰謀論者には現在でも評価する者がいる。 陰謀論にまつわる偽書としては「田中上奏文」(田中メモランダム、1927年)などもある。偽史料のなかには「ヒトラーの日記(Hitler Diaries)」のように詐欺事件の種になったものもある。

開場時間は10時から20時(最終日は17時)まで。