ノエビアギャラリーで田沼武能、熊切圭介、斎藤康一「文化人」展

【銀座新聞ニュース=2016年9月29日】化粧品メーカーのノエビア(東京本社・中央区銀座7-6-15、03-5568-0300)の運営するノエビア銀座ギャラリー(中央区銀座7-6-15、ノエビア銀座本社ビル1階)は9月5日から11月4日まで田沼武能さん、熊切圭介さん、斎藤康一さんによる写真展「時代の風貌」を開いている。

ノエビア銀座ギャラリーで11月4日まで開いている田沼武能さん、熊切圭介さん、斎藤康一さんの写真展「時代の風貌」のフライヤー。

ノエビア銀座ギャラリーで11月4日まで開いている田沼武能さん、熊切圭介さん、斎藤康一さんの写真展「時代の風貌」のフライヤー。

ポートレイト写真家の田沼武能(たぬま・たけよし)さん、熊切圭介(くまきり・けいすけ)さん、斎藤康一(さいとう・こういち)さんの3人が撮影した小説家、美術家、映画監督など文化を創りあげた人物の肖像写真を展示している。

田沼武能さんは60年以上文化人を撮り続け、熊切圭介さんは週刊誌を中心にグラビアページを40年も担当し、斎藤康一さんは2000人以上の人物を撮影している。3人の撮影した人物写真について「存在感に満ちた風貌からは、表現者としての内面はもちろん、彼らが生きた時代の空気まで感じ」とれるとしている。

田沼武能さんは1929年東京都台東区浅草生まれ、家が写真館で、1949年に東京写真工業専門学校(現東京工芸大学)を卒業、サンニュースフォトスに入社、木村伊兵衛(きむら・いへい、1901-1974)と出会い、師事し、1950年に日本写真家協会の設立に参加、1953年にサン通信社へ移り、一方、1951年から新潮社の嘱託となり(1959年まで)、「芸術新潮」と「新潮」のため、芸術院会員や作家のポートレイトを撮影し、以後、文化人を撮り続けた。

1959年にフリーで活動、1965年から世界の子どもを撮影し始め、1974年5月31日に木村伊兵衛が死去した際にそのデスマスクを撮影し、1984年から2014年まで、黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)さんがユニセフ親善大使に就任し、その親善訪問に毎回同行し、子どもの姿を撮影、1990年に紫綬褒章を受章、1995年から2015年まで日本写真家協会会長を務め、2003年に文化功労者に選ばれる。1995年から東京工芸大学芸術学部写真学科教授を務め、現在、名誉教授。

1975年に第25回日本写真協会年度賞、1979年にモービル児童文化賞、1985年に第33回菊池寛賞、1988年に第38回日本写真協会年度賞、1994年に第44回日本写真協会年度賞などを受賞している。

熊切圭介さんは1934年東京都生まれ、1958年に日本大学芸術学部写真学科を卒業、即フリーとして活動し、丹野章(たんの・あきら、1925-2015)に師事し、週刊誌や月刊誌、グラフ誌のグラビアページを担当し、報道写真を中心に、美術全集収録の写真撮影などもたずさわり、三重県名張市でおきた毒ぶどう酒事件の遺児を記録した「母なき新入生」で、1961年に講談社写真賞などを受賞し、公害や開発にともなう環境破壊など、高度経済成長の裏で噴出したさまざまな社会問題を記録している。2015年から日本写真家協会会長。

斎藤康一さんは1935年東京都品川区生まれ、1959年に日本大学芸術学部写真学科を卒業、在学中より林忠彦(はやし・ただひこ、1918-1990)の助手、続いて秋山庄太郎(あきやま・しょうたろう、1920-2003)の助手を務め、卒業後はフリーとして活動、週刊誌、月刊誌のグラビアページのため2000人以上の人物を撮影した。被写体を自然な動きの中で捉え、素顔に迫る組写真を特徴としている。

1965年に第1回日中青年大交流に日本写真家協会より参加し、以後、80回も中国各地を訪問して撮影する。1976年に第7回講談社出版文化賞を受賞、1988年に日本写真協会年度賞、2014年に第9回飯田市藤本四八(ふじもと・としはち、1911-2006)写真文化賞などを受賞し、現在、日本写真家協会名誉会員、日本写真協会監事。

開場時間は10時から18時(土・日曜日、祝日は17時)まで。入場は無料。