資生堂パーラーで「都電7000形」イメージしたババロア

【銀座新聞ニュース=2017年3月29日】国内最大の化粧品メーカーの資生堂(中央区銀座7-5-5、03-3572-5111)グループの資生堂パーラー(中央区銀座8-8-3、0120-471-004)は3月23日から4月30日まで銀座本店サロン・ド・カフェ(中央区銀座8-8-3、東京銀座資生堂ビル、03-5537-6231)で「花模様のいちごババロア」を提供している。

資生堂パーラーの銀座本店サロン・ド・カフェで4月30日まで提供されている「花模様のいちごババロア」(イメージ)。オレンジスライスを車輪に見立てている。

三ノ輪橋と早稲田間を運行している都電都電荒川線(停留所は30カ所)で使用されている「7000形」が2017年春で運行を終了するのに伴い、3月24日から26日まで、かつては「都電1系統(品川駅と上野駅)」のうち、停留所があった銀座と日本橋間を都営バスにラッピングした「さよなら都電7000形記念バス」が特別運行した。

これを記念して、資生堂パーラーでは伝統あるレシピによるいちごのババロアに、路面電車の車輪に見立てたオレンジスライスチップを添えてある。いちごとミルクのマーブルアイスクリーム、いちごとオレンジのソースなどで飾ったデザートとしている。

かつて街中を運行した7000形車両。

銀座中央通り(日本橋と銀座と新橋間)は都電がもっとも多く走り抜けた街のひとつで、都電7000形が走っていた当時は資生堂パーラーには桃、ヨーグルト、カシスなどさまざまなババロアメニューがあり、もっとも人気だったのがいちごだったことから、今回いちごババロアとして復活させた。

資生堂パーラーは1902年に資生堂発祥の地である銀座8丁目(現東京銀座資生堂ビル)の資生堂薬局の一角に、日本初のソーダ水の販売やアイスクリームの製造・販売を行う「ソーダファウンテン」として誕生し、1928年に本格的なレストランを開業し、西洋料理の草分け的存在として、銀座のシンボルとして知られる。

1967年当時の資生堂前の都電の停車場(左)と廃止された本通線。

ウイキペディアによると、都営電車は1882年に開業した「東京馬車鉄道」が前身で、新橋と日本橋間で開業した。1903年から1904年にかけて東京馬車鉄道が路線を電化して誕生した東京電車鉄道(1900年に東京馬車鉄道を改称、1903年に品川と新橋間)、新規開業の東京市街鉄道(1903年に数寄屋橋と神田橋間)、東京電気鉄道(土橋と御茶ノ水間)の3社によって相次いで路面電車が建設された。

その後3社は1906年に合併して「東京鉄道」となり、1911年に当時の東京市が同社を買収して「東京市電」、1943年の東京都制施行によって「都電」となった。1955年頃には営業距離は約213キロ、40の運転系統を擁し、1日約175万人が利用する日本最大の路面電車だったが、モータリゼーションの進展や営団地下鉄、都営地下鉄の発達によって採算性が悪化していった。

1967年に東京都交通局が財政再建団体に指定されると再建策の一環として1972年までに都営本通線などが廃止されることになったが、1974年に荒川線の恒久的な存続が決定した。

銀座地域を運行する都電の廃止(名称は最終運行時)は1971年3月18日に「本通線」(新橋・銀座7丁目・銀座4丁目・京橋・通3丁目・日本橋・室町3丁目・神田駅前・須田町)、「築地線」(日比谷公園・数寄屋橋・銀座4丁目・三原橋・築地・桜橋・茅場町)。

都電「7000形」は1954年から運行を開始し、都電(路面電車)1系統(品川駅から上野駅)を含め多くの路線で運行し、1967年以降、都電の系統廃止が進み、1972年11月以降は、現在の都電荒川線のみで運行してきた。

ワンマン運転の実施に伴う車体改修においては、乗降時の段差解消と車イスのスペースの導入が評価され、1978年に「鉄道友の会ローレル賞」を受賞した。2017年春までに運行終了する予定で、8両の車体や一部の装置類(冷暖房装置など)については、都電7700形で再利用している。

営業時間は11時30分から21時(日曜日、祝日は20時)。ババロアはコーヒーまたは紅茶が付いて1980円(税込)。月曜日は休み(祝日の場合は営業)。