増上寺でミャンマー祭り、安倍昭恵、中田英寿らがシンポなど

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【銀座新聞ニュース=2013年11月13日】ミャンマー祭り実行委員会(事務局・港区芝公園4-7-4、明照会館、公益財団法人「浄土宗ともいき財団」内、03-3436-3353)などは11月17日に増上寺(港区芝公園4-7-35)で「ミャンマー祭り2013」を開く。

11月17日に増上寺で開催される「ミャンマー祭り2013」のポスター。

11月17日に増上寺で開催される「ミャンマー祭り2013」のポスター。

ミャンマー祭り実行委員会、NPO法人「メコン総合研究所」(千葉県松戸市松戸1339-1-503、047-710-0926)、駐日ミャンマー大使館(品川区北品川4-8-26、03-3441-9291)、公益財団法人浄土宗ともいき財団が共催する初のイベントで、2014年に日本とミャンマーの外交関係樹立60周年を迎えることから、両国の交流を一層、深め、激動するミャンマーの現在や、「知、衣、食、文化、経済」を紹介し、「メコン総合研究所」が進めているミャンマーでの寺子屋教育支援などが目的だ。

「メコン総合研究所」名誉顧問で、首相の安倍晋三(あべ・しんぞう)さんの妻、安倍昭恵(あべ・あきえ)さんらによる「こんにちは、ミャンマー」をテーマにしたシンポジウムや「日本・ミャンマー交流写真展」、ミャンマー市場などを開く。

「ミャンマー祭り2013」を共催し、シンポジウムに出演する安倍昭恵さん(左から2人目)。。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程を修了した際の修士論文は「ミャンマーの寺子屋教育と社会生活—NGOの寺子屋教育支援」で、自ら実践している活動を論文にした。

「ミャンマー祭り2013」を共催し、シンポジウムに出演する安倍昭恵さん(左から2人目)。。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程を修了した際の修士論文は「ミャンマーの寺子屋教育と社会生活—NGOの寺子屋教育支援」で、自ら実践している活動を論文にした。

ウイキペディアなどによると、ミャンマーはインドシナ (フランス語で「Indochine」と呼ばれ、インドと中国に挟まれている地理的特徴からフランスによって名付けられた)にある共和制国家で、首都がネピドー(旧首都はヤンゴン)、多民族国家であり、ビルマ族(人口の6割)の他、カレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、ヤカイン族、シャン族などの少数民族が住んでいる。

面積が日本の1.8倍の67万6578平方キロメートルで、国際通貨基金(IMF)の推定によると、人口が6367万人(2012年)、GDPが540億ドル(2012年、約5兆4000億円)、経済成長率が5.0パーセント(2012年度)。2010年の貿易額は輸出が約81億ドル(約8100億円)で日本向けが中国などに次いで5位(238億円)、輸入が約77億ドル(約7700億円)で日本からが中国に次いで4位(363億円)を占めている。

1948年から1974年までビルマ連邦、1974年から1988年までビルマ連邦社会主義共和国、1988年から1989年までビルマ連邦、1989年から2010年までミャンマー連邦、現在は「ミャンマー連邦共和国」としている。

遺跡からビルマ民族の存在が確実視されるのはパガン朝(11世紀から13世紀)以降で、ビルマ族の起源は中国青海省付近に住んでいたチベット系のテイ族と考えられている。8世紀に南詔(なんしょう)の支配下にあったビルマ族が1044年にエーヤーワディー平原へ侵入して「パガン王朝」を樹立した。

パガン王朝は13世紀にモンゴルの侵攻を受け、1314年に滅びた。下ビルマには、モン族がペグー王朝(1287年から1539年)を建国し、上ビルマではミャンマー東北部に住むタイ系のシャン族がピンヤ朝(1312年から1364年)とアヴァ王朝(1364年から1555年)を開き、1385年から40年戦争が起こり、1486年にパガン王朝のビルマ族遺民による「タウングー王朝」が建国された。その後、ペグーとアヴァ王朝を併合し、西インドのマニプールも併合した。

17世紀にタウングー王朝が衰亡し、再びモン族・シャン族が「再興ペグー王朝」を興したが、アラウンパヤー王(1714-1760)が「再興ペグー王朝軍」を滅ぼして1754年にビルマを再統一し、「コンバウン王朝」を樹立した。ビルマは、イギリス領インドに対する武力侵略を発端として、1824年から3度にわたる「イギリス・ビルマ(英緬)戦争」を起こし、第1次(1824年から1826年)、第2次(1852年)でイギリスに敗れ、ビルマは国土の半分を失い、インド人が金融を、華僑が商売を、山岳民族が軍と警察を握り、ビルマ人は最下層の農奴にされ、その上、穀倉地帯を失い、清国からコメを輸入した。

第3次(1885年)で王朝が滅亡し、1886年にビルマはイギリス領インドに併合された。ビルマ人の対イギリス独立運動は第1次世界大戦中に始まり、1937年にインドから独立してイギリス連邦内の自治領となり、1939年にビルマ共産党 (CPB)が結成され、1942年にアウンサン(Aung San、1915-1947)が「ビルマ独立義勇軍」を率い、日本軍とともに戦い、1943年に日本の後押しでバー・モウ(Ba Maw、1893-1977)を元首とするビルマ国が建国された。

しかし、1944年のインパール作戦の失敗など日本の敗色が濃厚となると、反ファシスト人民自由連盟(AFPFL、1945年から1962年)、ビルマ共産党、ビルマ国民軍などの三派合同が実現し、1945年3月にビルマ国民軍が日本とその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こし、イギリス側に寝返った。

連合軍がビルマを奪回すると、ビルマ国政府は日本に亡命したが、イギリスは独立を許さず、再びイギリス領とされ、1948年にようやくイギリス連邦を離脱して「ビルマ連邦」として独立した。1958年にネ・ウィン将軍(Ne Win、1911-2002)のもとで暫定内閣(1958年から1960年)が組閣され、1962年にネ・ウィン将軍が軍事クーデターを起こし、ビルマ社会主義計画党を結成して大統領(1962年3月2日から1981年11月9日)となり、ビルマ式社会主義を掲げた。

1981年にネ・ウィンが大統領職を辞した後も、1988年までは軍事独裁体制を維持したが、経済政策の失敗から深刻なインフレを招くなど、ミャンマーの経済状況を悪化させた。1988年に政権を離反した軍部が再度クーデターにより、政権を掌握し、再度ビルマ連邦へ改名した。その後も軍政が続き、「国家平和発展評議会 (SPDC) 」議長が国家元首となっていた。軍出身のテイン・セイン(Thein Sein)さんが2007年10月に首相に就任、軍政主導の政治体制の改革が開始された。

2008年に新憲法案についての国民投票が実施・可決され、2010年11月に新憲法に基づく総選挙が実施され、2011年3月にテイン・セインさんが大統領に就任し、国家平和発展評議会 (SPDC) が解散し、その権限は新政府に移譲されている。日本は1954年に平和条約を締結し、2014年に外交関係樹立60周年を迎えることになる。

シンポジウムは2部方式で、第1部では安倍昭恵さんと「今泉記念ビルマ奨学会」会長 の今泉清詞(いまいずみ・きよし)さんがそれぞれミャンマーについて語る。第2部では安倍昭恵さんと一般財団法人「テイク・アクション・ファンデーション(TAKE ACTION FOUNDATION)」代表理事で、観光庁の「アドバイザリー・ボード」メンバーの中田英寿(なかだ・ひでとし)さん、ミャンマー生まれで、2006年に日本に帰化した「メコン総合研究所」副所長兼事務局長の岩城良生(いわき・よしお)さんがミャンマーについて語る。

「日本・ミャンマー交流写真展」は一般公募した写真展で、480点の応募作品の中から、大賞(10万円)をはじめ、ミャンマー大使特別賞、審査員特別賞、安倍昭恵賞などが選ばれ、入選作品が展示される。

「ミャンマー市場」は「ノング・インレイ」や「オリエンタルキッチン マリカ」、「ミャンマー料理 ミンガラバー」など主に高田馬場にある12店が伝統的なミャンマー料理やスイーツなどを提供する。ビルマ族、シャン族、カチン族、モン族などの店員がそれぞれの出身地の民族衣装を着て、ミャンマー式カレーやモヒンガー、揚げ豆腐などの料理を500円から1000円程度で販売する。

ミャンマーの男女の日常着「ロンジー(巻きスカート)」の試着コーナー、タナカの木をすりつぶして粉状にした伝統的な化粧品「タナカ」をつけての写真撮影コーナー、籐で編んだボールを蹴り合う伝統的なスポーツ「チンロン」の実演コーナーなどもあり、体験でき、ミャンマーの民族音楽や舞踊、陶芸や漆塗りなどの伝統工芸品の展示販売もある。

このほか、ミャンマーとの交流を重ねてきたNGO団体、NPO法人、企業も出展する。大妻女子大学「お茶大学」によるミャンマー茶の試飲と販売、ミャンマーで人気のあるミルクティーミックス「ハイティー(HI-TEA)」、ミャンマービール、ミャンマーで生産している雑貨なども販売する。

開場時間は10時から17時で、入場は無料。