丸善日本橋で歌麿、広重、北斎、国貞ら浮世絵版画展

(過去の記事については店舗名、個人名などを検索すると見られます)
【銀座新聞ニュース=2014年4月7日】丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は4月9日から15日まで3階ギャラリーで「江戸の風-丸善浮世絵版画展」を開催する。

丸善・日本橋店で4月9日から15日まで開催される「江戸の風-丸善浮世絵版画展」に出品される作品。

丸善・日本橋店で4月9日から15日まで開催される「江戸の風-丸善浮世絵版画展」に出品される作品。

美人画の大家、喜多川歌麿(きたがわ・うたまろ、1753?-1806)ら江戸末期から明治期に制作された浮世絵版画約200点を展示販売する。今回、展示販売するのは、喜多川歌麿のほか、役者絵、美人画の菊川英山(きくかわ・えいざん、1787-1867)、役者絵、武者絵、美人画、名所絵(風景画)から戯画、春画まで幅広く描いた歌川国芳(うたがわ・くによし、1798-1861)。

役者絵、美人画、花鳥図などで知られ、独特の藍「ヒロシゲブルー」で19世紀後半のヨーロッパの印象派の画家や、アール・ヌーボーの画家に影響を与えたとされる歌川広重(うたがわ・ひろしげ、1797-1858)、森羅万象を描き、「葛飾派」の祖となり、ヨーロッパの印象派の芸術家をはじめ、工芸家や音楽家にも影響を与え、1999年にアメリカの雑誌「ライフ」が企画した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクされた葛飾北斎(かつしか・ほくさい、1760?-1849)。

歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵などを描いた月岡芳年(つきおか・よしとし、1839-1892)、美人画、役者絵で知られる歌川国貞(うたがわ・くにさだ、3代目歌川豊国、1786-1865)らの作品だ。

ウイキペディアなどによると、「浮世絵」は江戸時代に成立した絵画のジャンルで、「錦絵」ともいう。演劇、古典文学、和歌、風俗、地域の伝説と奇談、肖像、静物、風景、文明開化、皇室、宗教など多彩な題材があり、「浮世」という言葉には「現代風」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。

大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを多く描いている。現在では「浮世絵」といえば、多色刷りの木版画いわゆる錦絵を想起される場合が多いが、巻物などの肉筆浮世絵も含まれる。

肉筆浮世絵は、形式上、屏風絵、絵巻、画帖、掛け物、扇絵、絵馬、画稿、版下絵の8種類に大別される。浮世絵師は和装本のさし絵、表紙の仕事も並行して手がけた。引き札も浮世絵の一種である。 さらにこて絵、泥絵、ガラス絵、凧絵、ねぶた絵なども浮世絵の一種といえる。版画、絵画と肉筆画があり、絵画と肉筆画は1点もので、高価だったが、木版画は同じ絵柄のものを多く刷り上げることができ安価だった。

はっきりした図柄と大胆な構図、影の表現を持たないことなどが表現上の特徴で、遠近法も取り入れられた。遠景の人物を逆に大きく描く葛飾北斎の「釣の名人」のように、意図的に遠近をずらされたものもある。

始期は天文末期から明暦の大火(1657年)の頃で、木版の発生前であり、肉筆画が主で、厳密には浮世絵とはいえないかもしれないが、肉筆によって岩佐又兵衛(いわさ・またべえ、1578-1650)らが当時の風俗画を描いている。初期は明暦の大火から宝暦の頃で、肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵=すみずりえ=)が主である。その後、墨摺絵に赤い顔料で着色した丹絵(たんえ)、紅絵(べにえ)、紅絵の黒い部分に膠(にかわ)を塗って光沢を出した漆絵(うるしえ)が登場した。

中期は明和2(1765)年から文化3(1806)年頃で、鮮やかな多色刷りの東錦絵(吾妻錦絵、江戸絵)が編み出され、浮世絵文化が開花する。下絵師、彫師、摺師の分業体制が整っていく。後期が文化4(1807)年から安政5(1858)年頃で、美人画、役者絵、武者絵のほか、旅行ブームに伴い名所絵(風景画)が発達した。終期は安政6(1859)年から明治45(1912)年頃で、幕末から明治にかけて、横浜絵、開化絵、錦絵新聞、皇室を描いた絵など、新しい時代の世情紹介に浮世絵が大きな役割を果たしたが、やがて浮世絵は、新聞、写真など他のメディアに押されて衰退した。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)。入場は無料。