「銀座金沢」で港町・大野の作品展、市川篤、中村夫婦、宅間祐子ら

【銀座新聞ニュース=2017年2月9日】石川県金沢市(石川県金沢市広坂1-1-1、076-220-2111)は2月8日から27日まで「dining gallery 銀座の金沢」(中央区銀座1-8-19、キラリトギンザ、03-6228-7733)で「『金沢の港町・大野の作り手展』VOL.2」を開く。

2月27日まで「ダイニング・ギャラリー(dining gallery)銀座の金沢」で開催中の「『金沢の港町・大野の作り手展』VOL.2」のフライヤー。

金沢市が2016年2月に開いた「金沢の港町・大野の作り手展」の第2回目で、金沢市大野町に工房を構えるガラス造形家の市川篤(いちかわ・あつし)さんら5人の作品展が開かれ、大野町の風景写真とともに展示された。第1回目は市川篤さんのほか、陶芸作家の中村博光(なかむら・ひろみつ)さんと中村多喜美(なかむら・たきみ)さん夫婦、陶芸作家の岩崎晴彦(いわさき・はるひこ)さん、陶芸作家の宅間祐子(たくま・ゆうこ)さんが出品した。

今回はその第2回目で、ガラス工房「スタジオ・プラス(STUDIO plus)G」を運営する市川篤さん、工房兼ギャラリー「ガイロメ」を運営する岩崎晴彦さん、「たくまポタリー」を運営する宅間祐子さん、陶芸作家で工房とカフェ「ぎゃるり・いっかん」を夫婦で運営する中村多喜美さんと中村博光さん、親子で大人の日常着とアクセサリーを制作する「ボンボン(BONBON)」、骨董、草木染、盆栽などを制作する「かたかご庵」が出品している。

金沢市大野町は石川県石川郡に位置していた町で、1935年に金沢市に編入合併され、金沢市北西部にあり、大野川河口の地域で日本海に面する港町である。西隣に隣接している宮腰(現在の金石地区)とともに「北前船(きたまえぶね、江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した主に買積みの北国廻船の名称)」の寄港地として繁栄した。

大野町の歴史は鎌倉時代に遡り、鎌倉期以降に存在した大野荘(荘園)が町名の由来となり、当時の「大野村」が加賀藩に町格への昇格を申し続け、1856年11月に宮腰町奉行の支配の下で「大野町」となる。隣接する宮腰港は加賀藩の外港として優遇を受け、大野港にも外港機能があり、大野町と宮腰町の間で利害が対立し、戦国時代から江戸時代初期にかけて近接する犀川河口の宮腰の繁栄に押されたが、北前航路の隆盛にともない享保の頃には金沢の外港としての地位を築いた。これを見かねた加賀藩は宮腰町と大野町を地域として融合させようと1866年に合併させた。

新しい町名として「固いこと金石(きんせき)の交わり」(固い約束の意味)から「金石(かないわ)町」を採用した。宮腰地域が金石町本町(1889年に石川郡上金石町に改称)、大野地域が金石町庄町(1871年に石川県金石町、1889年に石川郡下金石町に改称)となるも、金石町庄町となった大野町は一般的には大野町と通用することが多く、金石は宮腰地域として認知された。

このため、大野町は不都合が生じ、当時の石川県庁や明治政府に町名変更を請願し、1898年3月12日に大野地域(当時の下金石町)が「大野町」に改称された。1923年に金石電気鉄道の金石と大野港間が開業され、1935年12月16日に金沢市に編入合併された。

また、元和年間(1615年から1624年)に直江屋伊兵衛(なおえや・いへえ)によって始められたしょう油の生産地としても知られ、江戸時代のしょう油5大生産地(銚子、野田、小豆島、竜野)となっている。金沢市編入前までは大野町は11の大字に分かれていたが、編入後は「大野町」が継承され、編入後に11の町名は大野町1丁目から7丁目に再編された。1970年11月1日に金沢港が開港し、1971年12月16日に北陸鉄道金石線が全線で廃止され、1996年2月に金沢市の「こまちなみ保存区域」の指定を受けた。

開場時間は11時から21時まで。