永谷商事、神田すずとマンガ家の聖地「トキワ荘」を歩く

【銀座新聞ニュース=2017年5月20日】永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)は5月25日に神田すずさんによる「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開く。

5月25日に開かれる「講談師と一緒に歩く 歴史と文化の散歩ラリー」で、「マンガの聖地-昭和のマンガ家たちの暮らしたトキワ荘」を案内する神田すずさん。

「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」は永谷商事が毎月2、3回程度定期的に開いている、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回り、その後、寄席で講談や落語などを鑑賞する企画だ。

今回は「マンガの聖地-昭和のマンガ家たちの暮らしたトキワ荘」と題して、二ツ目の講談師、神田(かんだ)すずさんの案内により、都営地下鉄大江戸線「落合南長崎駅」から「トキワ荘通り」(トキワ荘は豊島区南長崎3-16-6、各所に記念碑)から「トキワ荘通りお休み処」を散歩して、お江戸日本橋亭に移り、「お江戸寄席」を観賞する。

ウイキペディアによると、トキワ荘は1952年から1982年にかけて存在した木造アパートで、手塚治虫(てづか・おさむ、1928-1989)ら多くのマンガ家が居住していた。上棟式は1952年12月6日で、老朽化により1982年11月29日に解体された。

賃貸された部屋のうち2階部分は10室あり、すべて4畳半(押入れと入り口部分のスペースを除く)で、共同の調理場、トイレなどが存在した。手塚治虫は1952年に上京して、最初は新宿区四谷の八百屋の2階に下宿していたが、昼夜を問わぬ編集者の出入りの激しさについて八百屋の主人から苦情を言われた。

そこで、学童社の「漫画編集」(1947年創刊、1955年に休刊)の編集長だった加藤謙一(かとう・けんいち、1896-1975)の次男で、後に学童社の社長に就任する加藤宏泰(かとう・ひろやす)から、自分が住むアパート「トキワ荘」へ入居するように誘われて、1953年初頭に住人となった。

これ以降、学童社が、自社の雑誌に連載を持つマンガ家の多くをトキワ荘に入居させ、多い時期には7、8人のマンガ家が居住し、その仲間のマンガ家も出入りし、「マンガ荘」というニックネームが付けられた。マンガ家の寺田ヒロオ(てらだ・ひろお、1931-1992)がリーダー的な存在で、新人マンガ家の共同生活の場にしたいという思惑と、マンガ家が原稿を落としそうになった際、他の部屋からすぐに助っ人を呼べる環境が欲しい、という編集者側の思惑が一致して、多くのマンガ家が住んだ。

1955年5月にトキワ荘に住んだり、出入りしていたマンガ家で結成された「新漫画党」は、寺田ヒロオ(総裁)、藤子不二雄(藤子不二雄A=ふじこ・ふじお・えー、1934年生まれ=さん、藤子・F・不二雄=ふじこ・えふ・ふじお、1933-1996)、鈴木伸一(すずき・しんいち、1933年生まれ)さん、森安(もりやす)なおや(1957年に除名処分、1934-1999)、トキワ別に住んでいないが、出入りしていたつのだじろう(1936年生まれ)さん。

石ノ森章太郎(いしのもり・しょうたろう、1938-1998)、赤塚不二夫(あかつか・ふじお、1935-2008)、トキワ別に出入りしていた園山俊二(そのやま・しゅんじ、1935-1993)がメンバーで、当時かかっていたカーテンに各自、結成を祝ってマンガを描き、現在そのカーテンは、おもちゃコレクター・鑑定士の北原照久(きたはら・てるひさ)さんの所有となり、マンガ界の「釈迦の衣」と呼ばれている。

後にトキワ荘自体も著名な存在となり、マンガ家が全員退出してしまった後でも見学者がはとバスで訪れるといった聖地的な扱いをされた。トキワ荘が解体された1982年12月に新築され、バス・トイレ付きのアパートになり、赤塚不二夫作画の看板が掲げられた。しかし、バブル景気の最中に地上げに巻き込まれて更地化し、現在は日本加除出版の新館社屋となっている。

ほかに、トキワ荘に住んだことのあるマンガ家はよこたとくお(1936年生まれ)さん、水野英子(みずの・ひでこ、1939年生まれ)さん、山内ジョージ(やまうち・じょうじ、1940年生まれ)さん、元虫プロ社員の向(むかい)さすけさんがいる。

豊島区は1999年に南長崎三丁目第3児童遊園を拡張整備して、「南長崎花咲公園」とし、2009年4月に公園内に「トキワ荘のヒーローたち」の記念碑が建てられ、碑にはマンガ家たちの自筆の似顔絵やサインが入っている。

また、トキワ荘の跡地近くに2013年12月に休憩・案内施設「豊島区トキワ荘通りお休み処」が開設され、トキワ荘関係の展示やマンガの閲覧ができる。2016年12月に「マンガの聖地としま!モニュメント」が設置されている。

さらに、現在、「マンガの聖地としまミュージアム」(トキワ荘復元施設)の整備が進められている。そのほか、赤塚不二夫がトキワ荘と並行して部屋を借りた現存するアパート「紫雲荘」には、豊島区と地域でマンガ家をめざす若者支援に活用している。

神田すずさんは東京都東村山市生まれ、2006年に神田(かんだ)すみれさんに入門し、前座見習となり、2010年9月に「二つ目」に昇進した。

時間は10時に都営地下鉄大江戸線落合南長崎駅改札前に集合する。12時ころにお江戸日本橋亭に移り、13時30分から「日本橋お江戸寄席」を鑑賞する。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3000円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

また、「日本橋お江戸寄席」には前座の昔昔亭全太郎(せきせきてい・ぜんたろう)さん、二ツ目の三遊亭好吉(さんゆうてい・こうきち)さん、神田すずさん、真打の橘家竹蔵(たちばなや・たけぞう)さん、吹奏楽漫談のはたのぼるさん、真打の昔昔亭桃太郎(せきせきてい・ももたろう)さんが出演する。