ミキモトが真珠の首飾り展、モンローの愛用品も

【銀座新聞ニュース=2017年7月14日】大手宝飾品メーカーのミキモト(江東区豊洲5-5-13)は7月14日から8月28日まで銀座4丁目本店(中央区銀座4-5-5、03-3535-4611)7階のミキモトホールで、「世界中の女性を輝かせる THE PEARL NECKLACE」を開いている。

ミキモトが8月28日まで銀座4丁目本店で開く「世界中の女性を輝かせる パール・ネックレス(THE PEARL NECKLACE)」のフライヤー。

2016年10月に真珠のネックレスに焦点を当てたビジュアルブック「パール・ネックレス(真珠の首飾り、THE PEARL NECKLACE)」を刊行され、ミキモトはアメリカ・ニューヨーク、英国・ロンドン、フランス・パリ、香港などのミキモトの海外店舗で、本の出版記念としてイベントを開いてきた。

今回はそのイベントの締めくくりとして、6月1日に全面開業したミキモト銀座4丁目本店で「世界中の女性を輝かせる 真珠の首飾り(パール・ネックレス、THE PEARL NECKLACE)」を開いている。

会場では本に登場するパール・ネックレスに魅了された人々の写真やネックレスを紹介する。また、アメリカの女優、マリリン・モンロー(Marilyn Monroe、1926-1962)が生前愛用していたミキモトのパール・ネックレスを特別に展示している。さらに、ミキモトを代表する100のネックレスのスタイル「ミキモト・100首飾り(MIKIMOTO The 100 Necklaces)」をデジタルや実物で紹介する。

ネットの「LATTE/FASHION」によると、「ネックレス(首飾り)」はアクセサリーの中でもっとも古い歴史を持つといわれており、石器時代に貝殻や動物の牙や骨、角などを植物で作った縄のようなものに通した装飾品を作って身につけていたのが、ネックレスのはじまりという。古代エジプト時代には、ピラミッドの王族が、宝石のついたネックレスを身につけ、ローマ時代には、貴族の女性が、金の枠に色鮮やかな宝石をはめ込んだネックレスを飾っていた。

人々の生活が豊かになるにつれて、権力者や身分の高い者が富と権力の象徴として身につけ、ネックレスの素材も多種多様化している。胸元の空いたドレスが主流になると、胸元のアクセサリーとしてネックレスやペンダントが流行した。18世紀頃には、フランスの宝飾技術(宝石の研磨やカットなど)が急速に発達し、ヨーロッパ全土に広まった。ヨーロッパの上流階級では、胸元が大きく開いたドレスとともに、花やリボンのモチーフペンダントが人気となった。

ウイキペディアによると、日本において、装身具は呪術的な意味を持つシンボルとして縄文時代から古墳時代にかけて広く普及し、指輪、耳飾、腕輪、首飾、足飾など多数の形状の装身具が各地の墳墓より出土している。

古墳時代には翡翠(ひすい)や瑪瑙(めのう)、水晶、碧玉(へきぎょく)などを使ったネックレスを、男女を問わず身につけていた。古墳から発見された宝石の形が勾玉(まがたま)だったことや、聖徳太子(しょうとくたいし、厩戸皇子=うまやどのみこ、574-622)も身につけていたとされる勾玉は、権力の象徴として使われたり、お守りの代わりとして利用された。

しかし、奈良時代以降、明治時代に至るまでの約1100年間、これらの装身具はすたれた。7世紀に入るころには、副葬品は、埴輪の消滅とともに玉類の装身具が消滅していくが、原因としては複数の説が取り沙汰されており、明確には解明されていない。海外からの文化移入という形で復活を果たした装身具は明治時代から次第に装飾品として広まった。

開場時間は11時から19時、入場は無料。