豊橋市が豊洲で手筒花火、和太鼓も、「炎の祭典」PRで

【銀座新聞ニュース=2017年7月14日】愛知県豊橋市(愛知県豊橋市今橋町1、0532-51-2111)は7月15日に「アーバンドックららぽーと豊洲」(江東区豊洲2-4-9)で「お江戸の夜は『手筒花火』でええじゃないかin豊洲」を開く。

豊橋市が7月15日に「ららぽーと豊洲」で実施する「お江戸の夜は『手筒花火』でええじゃないかin豊洲」で揚げられる手筒花火。揚げ手が上から降り注ぐ火の粉を浴びながら手に持って放揚する。最後に底が爆発して轟音を発する。

愛知県豊橋市が毎年9月の第2土曜日(2017年は9月9日)に開く「炎の祭典」を首都圏でPRするためのイベントで、和太鼓演奏を披露した後に、手作りの「手筒花火(てづつはなび)」を揚げる。

「手筒花火」は打ち上げ式ではなく、吹き上げ式の花火で、その火柱は大きいものだと10数メートルにもなる。愛知県豊橋市の吉田神社が手筒花火の発祥の地とも、豊川市の進雄神社が発祥の地ともいわれる。豊橋市のある愛知県東三河地方と静岡県の遠州地方西部で特に盛んに上げられている。

手筒花火は1メートルほどの竹筒に火薬を詰め、それを人が抱えながら行う花火で、「宮中秘策」(1741年)によると、1613年に徳川家康(とくがわ・いえやす、1543-1616)が江戸城内で花火を見物したが、この花火の1種が、手筒花火とされている。

通常の打ち上げ花火と違い、花火師が製造するのではなく、資格を取った地元の男衆が、「自分の手筒は自分で作る」という昔からの風習に習い、揚げ手が約1カ月を費やして自らの手筒を作る。竹林へ手筒花火に適した竹を取りに行くところから、竹の節を取り除く「節抜き」、噴出口を作る「鏡入れ」、筒に荒縄を巻く「繩巻」、火薬を詰める「手筒込み」まで、すべての工程を自分の手で仕上げる。

点火すると、轟音と共にオレンジ色の火柱が上がり、仁王立ちの状態で放揚する。手筒花火の火薬が強さを増しながら燃焼していき、筒の中の圧力が最大となったとき、「はね粉」と呼ばれる火薬に火が付き、豪快なさく裂音を轟かせながら、筒の底が抜けて揚げ手の足元で爆発する。その時の轟音と揚げ手の足元に広がる炎が、手筒花火の最大の特徴とされている。

「炎の祭典」は愛知県豊橋市で行われるイベントで、1996年に市制施行90周年記念事業としてスタートし、毎年9月第2土曜日に開かれている。最大の見所は23本(23人)の手筒花火がいっせいに放揚されるところとされている。

当日は19時から30分程度、「大崎文化保存会しおかぜ太鼓」による和太鼓演奏を行い、19時30分から20時まで手筒花火を披露する。鑑賞は無料。