山野楽器で土橋一夫、長門芳郎が夢街名曲堂、マン&ワイル

【銀座新聞ニュース=2017年7月21日】大手楽器、音楽ソフトなどの販売会社の山野楽器(中央区銀座4-5-6)が運営する山野楽器銀座本店(中央区銀座4-5-6、03-3562-5051)は7月27日に地下1階特設スペースで「夢街名曲堂」presents「第4回ようこそMagical Pop Loungeへ!」を開く。

山野楽器銀座本店で7月27日に開かれる「夢街名曲堂」プレゼンツ(presents)「第4回ようこそマジカル・ポップ・ラウンジ(Magical Pop Lounge)へ!」に出演する左から土橋一夫さんと長門芳郎さん。

2001年4月からFM番組で放送されている「ようこそ夢街名曲堂へ!」の「店長」で、音楽ライターの土橋一夫(どばし・かずお)さんと音楽プロデューサーの長門芳郎(ながと・よしろう)さんが音楽イベントとして「夢街名曲堂(ゆめまち・めいきょくどう)」が提供する形で「ようこそマジカル・ポップ・ラウンジ(Magical Pop Lounge)へ!」を山野楽器銀座本店で再現する。

今回のテーマは、アメリカの作曲家、バリー・マン(Barry Mann、1939年生まれ)さんとアメリカ人で、妻、作詞家のシンシア・ワイル(Cynthia Weil、1940年生まれ)さん夫婦を取り上げる。

アメリカのソングライター・コンビ、「バリー・マン&シンシア・ワイル」監修の未発表プライベート・レコーディング集「プライベート・トレジャーズ」(ヴィヴィド・サウンド、税込3888円)が7月26日に発売されるのを記念して、このCDの解説を担当した長門芳郎さんと共に、土橋一夫さんが聴きどころや発売までのエピソード、CDやアナログ盤音源を交えながら紹介する。

ウイキペディアによると、バリー・マンさんは1939年にニューヨーク市ブルックリン生まれ、1959年に「ダイアモンヅ(The Diamonds)」が歌った「シー・セイ(She Say、Oom Dooby Doom)」がトップ20にランクされ、1961年に「パリス・シスターズ(The Paris Sisters)」が歌った「アイ・ラブ・ハウ・ユー・ラブ・ミー(I Love How You Love Me)」が5位にランクされた。同年に、ノベルティー・ソング「フー・プット・ザ・ボンプ(Who Put the Bomp、in the Bomp,Bomp,Bomp)」を自ら歌ってトップ40にランクされた。

1961年にシンシア・ワイルさんと結婚し、その後はソングライティングに専念し、1965年に「ライチャス・ブラザーズ (The Righteous Brothers) 」に提供した「ふられた気持ち」が大ヒットした。さらに、「クリスタルズ (The Crystals)」の「アップタウン(Uptown)」、アニマルズ「朝日のない街(We Gotta Get out of This Place)」、「ヴォーグス(Vogue’s)」の「マジック・タウン(Magic Town)」、「ポール・リヴィアー&レイダース(Revere,Paul&The Raiders)」の「キックス(Kicks)」などで、ブリル・ビルディング時代の歌作りに社会意識を持ち込んだ。

バリー・マンさんの作品は635曲に及び、アメリカBMI(放送音楽協会)から56回も表彰され、曲がラジオで100万回以上再生されたとして ミリオネア・アワーズ(Millionaire Awards)を46回受賞した。1964年のライチャス・ブラザーズの「ふられた気持ち(You’ve Lost That Lovin’ Feelin’)」は1400万回以上ラジオ放送され、20世紀最多再生数曲となった。

映画主題歌も作り、1986年のスピルバーグ(Steven Allan Spielberg)さん制作のアニメ映画「アメリカ物語」の主題歌「サムウエア・アウト・ゼア(Somewhere Out There)」がビルボード2位・ゴールド(50万枚)となり、1987年にグラミー賞の「ソング・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。

1987年にバリー・マンさんとシンシア・ワイルさんはソングライターの殿堂入りし、2011年にジョニー・マーサー賞を受賞し、2010年にロックの殿堂のアーメット・アーティガン賞を受賞している。

シンシア・ワイルさんは1940年ニューヨーク生まれ、女優やダンサーとして訓練を受けたが、作詞の才能が認められ、ロック草創期に数々のヒット曲を生み、1961年にバリー・マンさんと結婚、マンさんと共作し、夫婦で音楽出版社「ダイアード・ミュージック(Dyad Music)」を経営している。

土橋一夫さんは 1966年埼玉県生まれ、1990年にテイチク・レコードに入社し、ジャニーズ系レコード会社の営業、販促、制作を経て、1998年に「バックトゥーモノプロディクションズ(Back To MONO Productions)」、1999年に「シャイグランス」を立ち上げ、無料紙「グルービン(Groovin)」を創刊、編集長も務めている。2004年からデザイン事務所を立ち上げ、クラブDJや、CDのリイシュー企画なども行っている。

長門芳郎さんは1970年代初期に東京・四谷のロック喫茶「ディスク・チャート」で店員をしていたが、1973年から「シュガー・ベイブ」や「ティン・パン・アレー」のマネージャーとして、コンサートやレコード制作に携わり、1970年代末から1980年代末には南青山の輸入レコード店「パイド・パイパー・ハウス」の店長を続けながら、「ピチカート・ファイヴ」のマネージメント、海外音楽家のコンサートなどをプロデュースし、初来日ツアーを手がける。

1980年代末に「ヴィレッジ・グリーン・レーベル」をスタートし、海外音楽家のレコード制作に携わり、 1998年からは「ドリームズヴィル・レーベル」のプロデューサーとしてアルバム制作を行なっている。

時間は18時30分からで、入場は無料。当日は予約なしで入場できるが、満員の場合は、入れないこともある。