ノエビア画廊で亀倉雄策のポスター展、東京五輪や大阪万博など

【銀座新聞ニュース=2017年9月6日】持ち株会社ノエビアホールディングス(兵庫県神戸市中央区港島中町6-13-1)傘下の中堅化粧品メーカー、ノエビア(東京本社・中央区銀座7-6-15、03-5568-0300)の運営するノエビア銀座ギャラリー(中央区銀座7-6-15、ノエビア銀座本社ビル1階)は9月4日から11月2日まで「亀倉雄策のポスター」を開いている。

ノエビア銀座ギャラリーで11月2日まで開かれている「亀倉雄策のポスター」のフライヤー。

ノエビアが1987年より11年間にわたってグラフィックデザイナーの鶴田一郎(つるた・いちろう)さんのイラストで展開した広告「コスメティック ルネッサンス」はグラフィックデザイナーの亀倉雄策(かめくら・ゆうさく、1915-1997)がアートディレクションを担当した。

亀倉雄策は1964年の東京オリンピックや1970年の大阪万国博覧会、1983年の「ヒロシマ・アピールズ」のポスター「燃え落ちる蝶」などを手掛け、日本のグラフィックデザイン界を代表するデザイナーとして活躍した。2017年は没後20年を迎えたのを記念して、亀倉雄策が手掛けたポスターの代表作を2期に分けて展示している。1期は9月30日まで、2期が10月2日から11月2日まで。

ウイキペディアによると、亀倉雄策は1915年新潟県西蒲原郡吉田町(現燕市)生まれ、1935年に新建築工芸学院に進学、バウハウスの構成理論などを学び、1938年に日本工房に入社、アートディレクターとして雑誌のアートディレクションやエディトリアルデザインを手がけ、1949年に総合アメリカ研究所のアートディレクターに就任、1951年に日本宣伝美術会(日宣美)の創設メンバーに加わり、1954年にニッポン放送のロゴマークを制作(1986年まで使用)した。

1957年に通産省(現経産省)のグッドデザイン賞のロゴマークを手がけ、1959年にフジテレビジョンのロゴマークを制作(1986年まで使用)、1960年に日本デザインセンター創立に参加、専務に就任、1962年に「亀倉デザイン研究室」を創設、1964年に東京オリンピックの公式ポスターを制作(大会エンブレムも)、1965年に東京電気化学工業(現TDK)のロゴマークを制作した。

1966年に「サンケイアトムズ(現ヤクルト)」のロゴを制作、1970年に講談社出版文化賞ブックデザイン賞、1978年に日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)創立に参加し、初代会長に就任、1980年に紫綬褒章、1985年に日本電信電話(NTT)のロゴマークを制作、株式会社リクルートに入社、取締役に就任、1985年にJapan Prize(日本国際賞)のロゴマークを制作、1991年に文化功労者、1996年にワルシャワ美術アカデミーより名誉博士号を授与、1997年5月11日に心不全のため死去、享年82歳。

開場時間は10時から18時(土・日曜日、祝日は17時)まで。入場は無料。10月1日は展示物を入れ替えるため休み。