パナソニック、奈良交が奈良大和路コンテスト入賞展

【銀座新聞ニュース=2017年9月8日】大手家電メーカーのパナソニック(東京支社・港区東新橋1-5-1、パナソニック東京汐留ビル)が運営する写真コミュニティ「LUMIX CLUB PicMate」は9月6日から10月16日までフォトギャラリー「LUMIX CLUB PicMate PHOTO GALLERY」(千代田区丸の内3-3-1、新東京ビル、03-6273-4125)で「バス旅でめぐる 奈良大和路の魅力フォトコンテスト」を開いている。

「ルミックスクラブ ピックメートフォトギャラリー(LUMIX CLUB PicMate PHOTO GALLERY)」で10月16日まで開かれている「バス旅でめぐる 奈良大和路の魅力フォトコンテスト」の「バスのある奈良の風景部門」で奈良交通特別賞を受賞した「ディアフレンド(DearFriend)」さんの「葛城山を後にして」。

今回は奈良交通株式会社(奈良県奈良市大宮町1-1-25)と共同開催で、奈良県で最初の乗合バスが1917(大正6)年5月25日に松山(現大宇陀)と桜井間を運行開始して以来、2017年で100周年を迎えることを記念して、開かれた「バス旅でめぐる 奈良大和路の魅力フォトコンテスト」の受賞作品16点を展示する。また、審査を担当した佐藤仁重(さとう・よしえ)さんの作品8点も展示している。

「バス旅でめぐる 奈良大和路の魅力フォトコンテスト」は4月から6月に公募し、写真家の佐藤仁重(さとう・よしえ)さんと奈良交通が審査して、「バスのある奈良の風景部門」と「みんなに知らせたい“もう1つの”奈良大和路部門」で、それぞれ8点、計16点が入賞した。

「バスのある奈良の風景」部門では、最優秀賞の奈良特別賞は「ディアフレンド(DearFriend)」さんの「葛城山を後にして」、金賞は「ボンネットバス1867」さんの「古い街並み」、銀賞は「鹿かちょー」さんの「銀杏街道」、「うずら提督」さんの「軌跡」が受賞した。ほかに銅賞が4点選ばれた。

「みんなに知らせたい“もう1つの”奈良大和路」部門では、奈良特別賞は「MF8783」さんの「谷瀬の吊り橋横断中!」、金賞は「レーザーパパ(laserpapa)」さんの「昇竜」、銀賞は「昭和エクスプレス」さんの「観相窓からの大仏様」、「テル(teru)194041」さんの「光芒走る」が受賞した。ほかに銅賞が4点選ばれた。

奈良特別賞は「バスのある奈良の風景」部門が奈良若草万葉の宿「三笠」(奈良市)ペア宿泊券、定期観光バスペア乗車券(1コース)、近鉄グループ商品券(5万円)、「みんなに知らせたい“もう1つの”奈良大和路」部門がホテル昴(十津川村)ペア宿泊券、八木新宮特急バスペア試乗券(往復)、近鉄グループ商品券(5万円)がもらえる。

金賞は「バスのある奈良の風景」部門がパナソニック「ミラーレス一眼カメラLUMIX GX7 Mark2」、「みんなに知らせたい“もう1つの”奈良大和路」部門がパナソニック「ミラーレス一眼カメラLUMIX GF9」をもらえる。

銀賞はクラブ・パナソニック・コイン5000コイン、銅賞は同じく1000コイン。

ウイキペディアによると、奈良交通は1929年1月創業の奈良自動車株式会社を中心に、1943年に戦時交通統合により誕生したバス会社で、奈良県内に散在するバス事業者を統合したため、設立より現在に至るまで、奈良県の路線バス事業をほぼ独占しており、近畿地区のバス会社では最大手となっている。

直接のルーツは奈良自動車だが、奈良県内における乗合自動車(路線バス)の運行は、1917年5月25日に桜井駅と大宇陀(おおうだ)を結ぶ路線として松山自動車商会により運行されたことに端を発している。

これは、関西本線の前身である関西鉄道の駅から山間部への路線として開通したものである。当時、大阪電気軌道(大軌)や吉野鉄道などが次々と開業しているが、奈良市内におけるバスの運行開始は郡部よりも遅く、1927年に奈良市長により設立され、1928年1月1日より奈良駅と春日大社を結ぶ路線を定員10人、シボレー5台により運行開始した「奈良市街自動車」がはじまりとなっている。

古来より奈良は観光地として栄えてきたが、奈良市に隣接する春日奥山には明治時代に周遊探勝路が開設されていた。これを奈良県が自動車の通行を可能にするために整備したが、大軌はこの整備費用の大半を寄付した上で、1929年5月25日より「春日奥山周遊バス」の運行を開始、これが奈良定期観光バスの始まりであり、観光地周遊バスの原型ともいえる。

この時期、奈良県内には鉄道路線が相次いで開業、ネットワークを構築していったが、同時にバス路線も次々と開設され、1933年に「自動車交通事業法」が施行された時点では28社が路線バスを運行していたが、1936年に奈良市内のバスは大軌(大軌吉野線自動車)に一元化された。

1938年に「陸上交通事業調整法」が公布されると、県北部の統合主体は奈良自動車が指定され、1942年までに合計8社を合併した。一方、県南部では大軌吉野線自動車をはじめとする4社が存在し、1942年11月に吉野郡の株式をすべて関西急行鉄道(関急)が取得し、関急ではこの3社の経営を吉野宇陀交通(大軌吉野線自動車の後継会社)に委ねた。

1942年の「陸運統制令」に基づく運輸省通牒では、奈良県は全県1社に統合されることになり、1943年7月1日に奈良自動車が他社を合併し、7月23日には社名変更により「奈良交通」が発足した。統合により、奈良交通は路線キロ合計が1000キロを超える大事業者となったが、1945年時点で営業していた路線キロ数は506.8キロで、稼動可能な車両も119台中72台しかなかった。

その後、復興が軌道に乗り、1953年に事業区域は奈良県内全体に拡大され、1988年には和歌山県太地町の南紀開発がバス事業を廃止し、奈良交通が路線バスと貸切バス事業を継承し、1988年には高速バス事業に参入し、関東バスとの共同運行による夜行高速バス「やまと号」を運行開始するなど、1990年までに首都圏へ4路線を新設、1994年には関西国際空港へのリムジンバスの運行にも参入し、1998年には伊丹空港への路線も開設した。

2007年10月1日からは近鉄バス、奈良観光バスと共に、近畿日本鉄道が設立した中間持株会社(連結子会社)の「けいはんなバスホールディングス(現近鉄バスホールディングス)」の傘下に移った。

開場時間は10時から20時(土曜日は17時)。入場は無料。日曜日、祝日、日曜日は休み。