永谷商事、一龍斎貞弥が「白金」散歩、覚林寺、八芳園など

【銀座新聞ニュース=2017年9月13日】不動産会社の永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町 1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸上野広小路亭」(台東区上野1-20-10、上野永谷ビル、03-3833-1789)は9月20日に一龍斎貞弥さんによる「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開催する。

9月20日に開かれる「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」で「都会のオアシス白金散歩」を案内する一龍斎貞弥さん。

不動産会社で都内で寄席を運営する永谷商事が毎月1回から2回程度、定期的に開催している「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回り、その後、お江戸上野広小路亭で寄席を鑑賞する。

今 回は二ツ目の女流講談師、一龍斎貞弥(いちりゅうさい・ていや)さんが「都会のオアシス白金散歩」と題して、「覚林寺(かくりんじ、清正公)」(港区白金台1-1-47)、「八芳園(はっぽうえん)」(外観、港区白金台1-1-1)、「古地老稲荷神社(こじろう・いなりじんじゃ)」(港区白金台1-5)、「自然教育園」を案内する。その後、お江戸上野広小路亭に移 り、昼食後に「しのばず寄席」を鑑賞する。

ウイキペディアによると、「白金」は応永年間(1394年から1427年)に南朝の国司であった柳下上総介(やぎした・かずさのすけ)が当地を開墾し、白金村を開いたのがはじまりだが、「白金村」は武蔵国豊島郡と荏原郡の境界線上にあり、長いこと所属が定まらず、江戸時代は入会地とされた。

1651(慶安4)年に白金村より白金台町1丁目から11丁目と白金猿町が分離され、1868(明治元)年に東京府成立にともない、白金村は東京府の所属となった。1869年に白金氷川社門前などの寺社地を合併して、新たに「白金錦町」が起立され、1872年に武家地に白金志田町・白金上三光町・白金下三光町が、寺社地に白金丹波町が新たに起立された。

明治11年(1878年)、芝区の成立に際して、白金猿町・白金台町・白金丹波町・白金志田町が芝区の所属となる。
明治12年(1879年)、白金村に隣接する荏原郡今里村・白金上三光町・白金下三光町・白金錦町が、白金村に編入される。
明治22年(1889年)、白金村が芝区に編入され、東京市成立にともない東京市芝区白金村となる。

覚林寺は日蓮宗の寺院で、山号は最正山、加藤清正(かとう・きよまさ、1562-1611)の位牌や像が祀られており、清正公(せいしょうこう)と通称される。付近の住民からは「清正公さま」と呼ばれ、勝負祈願の寺として信仰を集めている。

この地はかつて肥後熊本藩細川家の中屋敷で、1631(寛永8)年に誕生寺18世可観院日延(かかんいん・にちえん)の隠居寺として開山された。日延は李氏朝鮮第14代国王宣祖(おう・そんじょ、1552-1608)の長男、臨海君(いむ・へぐん、1572-1609)の子であり、文禄・慶長の役の際に清正によって日本へ連れてこられた人物だった。

1845(弘化2)年に火災により全焼し、現在の山門は1856(安政3)年に、清正公堂の拝殿・幣殿は1865(慶応元)年に再建された。江戸最初の七福神巡りとされる元祖山手七福神の一つで、毘沙門天を祀っている。毎年5月4日と5日に「清正公大祭」が開かれ、清正公像が開帳され、菖蒲の入った勝守りが授けられる。

八芳園は1万2000坪(3万9600平方メートル)の敷地内に庭園のあるレストラン、結婚式場であり、明治学院大学、シェラトン都ホテル東京と近接している。庭園の名称は「四方八方どこを見ても美しい」に由来する。

江戸時代前期には譜代の江戸幕府旗本・大久保忠教(彦左衛門、おおくぼ・ただたか、ひこざえもん、1560-1639)の屋敷(現在の園全域ではなく一部が彦左衛門の屋敷だった)だったが、その後、薩摩藩の抱屋敷、島津氏(松平薩摩守)の下屋敷を経て、明治時代に渋沢栄一(しぶさわ・えいいち、1840-1931)の従兄、渋沢喜作(しぶさわ・きさく、1838-1912)の手に渡る。
1915(大正4)年に実業家・久原房之助(くはら・ふさのすけ、1869-1965)邸宅時に現在の建物と庭園が整備され、戦後に久原房之助(当時公職追放中)が、銀座や築地で料亭など手がけていた長谷敏司(はせ・さとし)に、海外からの旅行者(賓客)向けに、日本庭園を生かした本格的な料亭の共同経営を持ちかけ、自ら「八芳園」と命名し、1943年に創業した。

数年後、全面的に長谷側の所有となり、経営が本格化し、1952年に「株式会社八芳園」を設立し、現在は長谷敏司の孫、1977年生まれ、2000年に成城大学経済学部を卒業した長谷晴義(はせ・はるよし)さんが2002年に入社し、2015年に社長に就任している。

古地老稲荷神社は1772(明和9)年に目黒行人坂の大円寺より出火した火災により周辺一帯が大きな被害を受け、人々の心理に不安感を植え付け、これを宗教的な解決策で解消する試みが提案され、1829(文政12)年に神社の前身である「古地郎稲荷」が日吉坂上に設置された。

設置後は周辺地域に火事が起こらなくなるという偶然が起こり、これが同神社の霊験として住民に理解されるようになり、その後、火伏せの稲荷として見なされるようになった。

この境内に1915(大正4)年6月に遷宮され、1923(大正12)年9月1日の関東大震災、大東亜戦争の大空襲時にも火災を免れ、1945年までは神前に神楽、余興を奉納し、盛況だったという。

一龍斎貞弥さんは大分県生まれ、日本女子大学文学部を卒業、1990年に青二塾東京校を卒業、10期生、1991年にアニメ「キテレツ大百科」の声優でデビュー、その後声優として活躍し、2007年10月に講談師の一龍斎貞花(いちりゅうさい・ていか)さんに入門し、12月に講談協会前座見習い、「一龍斎貞弥」の号を受け、2008年に前座、2011年10月二ツ目に昇進した。

時間は10時から16時で、10時に東京メトロ南北線「白金高輪駅」に集合し、昼までにお江戸上野広小路亭に移り、13時から「広小路亭講談会」を鑑賞する。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3000円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

しのばず寄席は前座の三遊亭遊七(さんゆうてい・ゆうしち)さん、二ツ目の三遊亭遊子(さんゆうてい・ゆうこ)さん、真打の3代目桂枝太郎(かつら・えだたろう)さん、カレンダー漫談のこてっちゃん馬場(ばば)さん、真打の2代目柳家蝠丸(やなぎや・ふくまる)さん、一龍斎貞弥さん、太神楽(だいかぐら)の丸一小助(まるいち・こすけ)さん、小時(ことき)さん、真打の三遊亭鳳楽(さんゆうてい・ほうらく)さんが出演する予定。