丸善日本橋で長谷川潔「黒の版画」展、吉田博、浜口陽三らも

【銀座新聞ニュース=2021年6月8日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は6月9日から15日まで3階ギャラリーで「長谷川潔生誕130年ー長谷川潔と創作画展」を開く。

丸善・日本橋店で6月9日から15日まで開かれる「長谷川潔生誕130年ー長谷川潔と創作画展」に出品される「アカリョムの前の草花」(マニエール・ノワール、1969年)。

孤高に生きた版画家で、1918(大正7)年に27歳でフランスにわたって以来、一度も帰国しなかった長谷川潔(はせがわ・きよし、1891-1980)は、フランスで廃れていたマニエール・ノワール(メゾチント)という古い技法を復活させた。その「静ひつで深い哲学的な画風」で知られた作品を展示する。

長谷川潔は「黒の版画家」と呼ばれ、自ら「黒には7色ある」とした。また、摺(す)っていたのは摺師、ケネヴィル(Kenevir、?-1970)で、1970年にケネヴィルが亡くなると、「横顔」という作品を最後に、長谷川潔は制作を止めた。

今回は、長谷川潔と同時代に生きた画家、浜口陽三(1909-2000)、洋画家で自然と写実、詩情を重視した作風で、風景画家の第一人者とされた吉田博(1876-1950)、日本を代表する板画(版画)家で、「仏」を題材にした作品で知られる棟方志功(1903-1975)、星座や雪、樹などを題材とした木版画を手掛けた星襄一(じょういち、1913-1979)らの作品も展示する。

ウイキペディアなどによると、長谷川潔は1891年神奈川県横浜市生まれ、1910年に麻布中学校を卒業、葵橋洋画研究所や本郷洋画研究所で学び、素描、油彩、エッチング技法の指導を受けた。その後、1913年に文芸同人誌「仮面」に参加、表紙や口絵を木版画で制作し、堀口大学(1892-1981)らの書籍の装幀などを担当した。

1918年に版画技術の習得のためフランスへ渡航し、1919年4月4日にパリに到着、虚弱体質だったため、静養目的で10月から南フランスに約3年間滞在し、その後パリに戻り、1923年からサロン・ドートンヌなどのサロンや展覧会に出品、1925年に初の版画の個展を開き、1926年にサロン・ドートンヌ版画部の会員となった。1935年にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受章した。

1939年に第2次世界大戦が勃発すると、生活が一変し、フランスに留まるも、パリを離れ、サルト県にある斎藤豊作(とよさく、1880-1951)邸に疎開し、その後、ボルドー、ビアリッツなどを転々とした。一時、パリに戻り、1943年にミシェリーヌ・M・ビアンキ(Micheline M.Bianchi)と結婚し、1945年にパリ中央監獄、ドランシー収容所に収監されるが、約1カ月後に解放される。

戦後、再び創作を再開し、銅版画に没頭、最後には自らが復活させたメゾチントで制作した。1980年12月13日にパリの自宅で老衰により死去した。89歳。フランスにわたってから1度も日本へ帰ることはなかった。1964年にフランス芸術院コレスポンダン会員、1966年にフランス文化勲章、現代日本美術展で特賞、1967年に勲三等瑞宝章を授与される。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)、入場は無料。