インドから帰着、国指定の隔離ホテルの3日間、食事に閉口(98)

(著者がインドから帰国したので、タイトルを「インドからの帰国記」としています。連載の回数はそのまま継続しています)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2022年6月3日】3月11日朝、無事成田空港に帰着し、各種手続きによる長時間の待機後、政府指定の隔離ホテルに専用シャトルバスで向かった。

マロウド・インターナショナルホテル成田の10階の部屋は広めで高級ムード、長旅の疲れを癒すにはもってこいだった。

10分後到着した「マロウド・インターナショナルホテル成田」は、地上13階建ての大型ホテルだった(801室)。壮大なビルディングは凹型に前庭を抱えながら開けていた。ゴージャスな黄金(こがね)のシャンデリアのきらめく吹き抜けの空間、洒落たロビーで1人1人チェックイン、いくつか椅子と小テーブルが並べられ、順番に呼ばれる。

ホテルに入ってからも、たっぷり1時間以上待たされた。インド人対応の片言の日本語が話せる現地人スタッフが何人かいて、どうやら隔離インド人御用達のホテルらしかった。
私は、同宿者がほとんどインド人であることを懸念し、インド人向けの辛い弁当は食べられないから、日本人の私向けに和食をお願いするのを忘れなかった。部屋のキーとカード、体温計を手渡され、エレベーターで10階の部屋に上がった。

16時か、それ以上か、夕刻に近くなっていたと思う。空港に降りたってかれこれ7時間、帰国者の体験動画で5時間から7時間の待機との情報は前もって得ていたので、驚かなかったが、まるでインドのレッドテープ、官僚的形式主義並みの煩雑な手続きには参った。

これでは、外国人の入国者に辟易されて文句を言われてもしかたない。まるっきり後進国、もう少し簡素化できないものだろうか。隔離ホテルのアレンジを待っている際、昔バングラデシュ航空で帰ったとき、ダッカで1泊、エアラインがアレンジしてくれるホテルに泊まるわけだが、やたらめったら待たされたもので、重ね合わせて思い出さずにはいられなかった。バングラデシュならわかるが、先進国の日本でこの対応には呆れた。

部屋自体は小綺麗で設備は普通のビジネスホテルと変わらないが、やや広めで高級ムード、目隠しの戸を開けると、大きな窓が現れ、はからずも滑走路が俯瞰(ふかん)できた。白いサギのような飛行機が滑走路を滑るように走っている。

10階の窓からは、成田空港の滑走路が俯瞰でき、発着の飛行機が目撃できた。

これはいい、私は小躍りした。後でネットで調べて、ここマロウド・インターナショナルホテル成田は、窓越しに滑走路から離着陸する飛行機を目撃できることで、飛行機ファンには人気のホテルであることがわかった。

が、その日の夕食は危惧した通り、インドカレー弁当、私には食べられず、内線で苦情、カップラーメンを2つオーダする羽目に陥らされた。機内食も辛くで食べられず、やっと和食弁当が食べられるかと楽しみにしてきたのに、よもや日本のホテルでマサラ(インドのカレー粉の通称)弁当を出されようとは。私は日本人だ、同乗のインド人と一緒にしないでくれ、まともな和食を食わせろと、誰にともなく、毒づいていた。

2年3カ月、自炊を強いられ、日本食とはほど遠い洋食まがいで誤魔化してきた粗食の日々、国に帰ってようやく真正の和食が食べれるかと喜んでいたのに、私の期待はあえなく裏切られた。

2日目の朝、室外の椅子の上に届いた弁当を開けて、カレーの匂いがぷんと流れてきたときはさすがに切れた。パンも丸い小型のものは素朴な無味でバターを塗って食べれたが、長いねじりパンは中が赤みがかっていて嫌な予感がした。案の定、ひと口かじったら辛かった。しょうがない、カレーはダメでも、添え物のポテトなら大丈夫だろうと食べだしたら、これもカレー味、完全に切れた。

カレー弁当一色にうんざり、業を煮やして苦情を漏らしたら、レトルト食品が袋ごとどっさり届いた(写真はインド人並みに主張して勝ち取った戦利品)。

内線で日本語の下手なインド女性担当者に苦情を漏らし、彼女が代わりに勧めるレトルトの鮭粥をゲットする。部屋には日本茶しか備えられておらず、持参のネスカフェがあったが、試しにコーヒーやティー、ジュース、ヨーグルトなどもオーダーすると、受諾された。ついでにカップヌードル味噌味もオーダー、レトルトの戦利品がどっさり袋ごと届けられ、部屋の円(まる)テーブルを占拠した。

昼も中華風で油っこい。インスタントスープもスパイシー。私は半ば諦めかけていた。隔離も後1日半、インスタントのヌードルやお粥で我慢するしかないかと思った。部屋は快適だし、毎日たっぷりのホットバスに浸かって、折に触れ、窓外を見下ろし、グレーの流麗な機体や、白サギのように美しい飛行機を目撃して、旅情に浸れるだけでも充分だ。

WiFi(ワイファイ)の接続が今ひとつだったが(建物が大きいせいか?)、東京都内の友人にメール越しに連絡も取れる。スマホのアプリによる健康報告も1度やっただけで、あとはホテル任せ(毎朝体温と健康状態を電話報告しているので、厚労省への報告義務にはあまり神経質にならなくてもよいと言われた)、そのうち、弁当のひどさを漏らした旧友からのメル返に、別のホテルでのことだが、シンガポール帰りの邦人がやはり弁当問題で受付にきつく苦情を漏らし、和食に替えてもらえたから、強く言ってみたらとあって、諦めかけていた気持ちが翻った。

内線で日本人スタッフを呼び出し、かなり強い口調で苦情を漏らしたところ、アレルギー用の日本食弁当があると言うので、それにトライしてみることにした。レトルト食品もさらに追加され、蟹味や鶏味の雑炊、豚汁、白桃、五目ご飯などが追加で届いた。やはり、強く言うと、態度が変わる。声を出した方が勝ち、である。片言の日本語しか喋れないインド女性スタッフでは、埒が明かない。

アレルギー用の日本食弁当に替えてもらったが、フルーツ・サラダ付きはよかったものの、味・量とも不合格、まずいことには変わりなかった。

しかし、アレルギー用の弁当はいくらかマシという程度で、まずいことには変わりなかった。唯一、サラダやフルーツが付いてくることが救い。まあ、どっさりあるレトルト食で埋め合わせするしかない。明日の朝には唾液検査があるし、今少しの辛抱だ。

黄昏から夜の初めにかけてのサンセット飛行を目撃できるのは、ノスタルジックでよかったし、禁酒だが、インド航空で出された白ワインのプチボトルが少しだけ残っていたので、出窓に頬杖をついて、紙コップを傾けながら、夜の滑走路に尾翼をオレンジに点滅させて滑るように走る飛行機を眺めながら、風呂上がりの1杯を楽しんた。

3日目、6時前と早々に目覚める。唾液検査の1時間前は歯磨きは愚か、飲食も禁止なのだが、まだ間があるかと、コーヒーを1杯だけ飲んだ。7時30分頃から唾液採取の容器が配られ、中に引き上げた。弁当配布前と同様、アナウンスが入るのだが、10階のせいか音声が小さく、まあ、おかげでうるさくなくてよかったが、だいたい部屋の外の気配でわかるので、いつもアナウンス前に引き上げていた。

ベッドの桟(さん)に枕2つをクッション代わりに重ねてリラックスするのが、インド本宅来の私の癖で、スマホチェックはいつもこの方式、ネットで梅干しの画像を出し、凝視しながら唾液を口中に溜め、容器に流し続けたが、容器の必要ラインまで入ったかどうか判然とせず、せっせと流し続けて、気がつくと、唾か溢れるほど満杯になっていた。

看護師さんが引き上げに来たのは、1時間30分かそこらの後のことで(それまで冷蔵)、容器にフルの唾液を見ると、こんなに要らないと言うので、室内の洗面所で捨ててもらった。

苦情のせいで仲良くなった?インド女性担当者が特別に早めに結果を知らせてくれることになっており、お昼頃には陰性とわかったが、送迎バスが出たのは、2時間近く後だった。

電話がかかってきて、すでにまとめてあった荷物を持って、キーとカードと体温計を手に部屋を出た。今から成田だと、東京駅に向かって新幹線に乗り、直帰する金沢には19時過ぎになるなと概算、都内の友人連中とも会いたかったが、自身は陰性でも、万が一濃厚接触者になった場合を考慮して、迷惑をかけることになるので、誰とも会わずに、直帰を決めたのだ。

北陸新幹線は初乗りだったが、別にどうということもなく、軽井沢の雪山がきれいだったけど、各駅停車の「はくたか」の所要時間は3時間で(「かがやき」だと2時間30分だが、「はくたか」の自由席券は1万3850円とやや安め。「かがやき」は1万4120円)、長く感ぜられた。

ルートとしては、昔上野から長々と時間をかけて金沢入りした上越経路と同じで、ここまで所要時間が短縮されたことは画期的だったが、パンデミック(世界的大流行)下でなければ、別に夜行バスでも問題なく、値段が3分の1(JR高速バスで4000円前後)と格安なことを思うと、メリット大、ただし、時間を大幅に節約でき、肉体に負担がかからないという意味では、高いけど、これから新幹線も折に触れて利用してみようかという気になった。

1度、小松から飛行機で東京に飛んでみたい。小松空港(石川県)からは、上海行き便が出ており、そこを経由してインドに帰ることも可能なのだ。が、それは終息後ということで、ウイルスが跋扈(ばっこ)しているうちは直行便が安全性の観点からも1番だ。まだ先の話とはいえ、インドの居住地プリー(Puri)も、国際空港新設の計画案が進められており、もしそうなったら、日本との距離もぐっと縮まるだろう。

成田空港駅から東京駅(京成バスが200円値上がりして1200円だった)、そこから新幹線で金沢、金沢駅から市内バスで自宅マンションまでの道程は、ほとんど待ち時間のないスムーズな乗り継ぎで、まるで誰かに守られているかのようだった。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からインドからの「脱出記」で随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2022年5月25日現在、世界の感染者数は5億2733万9770人、死者は628万3025人(回復者は未公表)です。インドは感染者数が4314万4820人、死亡者数が52万4525人(回復者は未公表)、アメリカに次いで2位になっています。編集注は筆者と関係ありません)。

編集注:「マロウド・インターナショナルホテル成田」は東都自動車グループの使用するブランド「ホテルマロウドチェーン」の1つで、1995年5月に開業し、グループの「東都観光企業総轄本社」が運営する。部屋数は801室(シングル378室、ツイン402室、スイート5室)で、駐車場も801台が止められる。

ホテルマロウドチェーンはシティホテルが4カ所(マロウドインターナショナルホテル成田もその1つ)、リゾートホテルが3カ所、ビジネスホテルが4カ所、カプセルホテルが1カ所と計12カ所のホテルを運営している。