丸善丸の内で慶應図書館が「江戸の文人と書物」展、林羅山ら

【銀座新聞ニュース=2022年10月4日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は10月5日から11日まで4階ギャラリーで「第34回慶應義塾図書館貴重書展示会『文人の書と書物ー江戸時代の漢詩文に遊ぶ』」を開く。

丸善・丸の内本店で10月5日から11日まで開かれる「第34回慶応義塾図書館貴重書展示会『文人の書と書物ー江戸時代の漢詩文に遊ぶ』」のフライヤー。

「慶應義塾図書館貴重書展示会」は、慶應義塾図書館が所蔵する数ある貴重書を各回テーマに沿って展示し、通常は閲覧が制限される貴重書を無料公開している。

今回は、慶應義塾図書館が所蔵する江戸時代の儒学者・漢詩人の自筆本や自筆書簡などを展示する。「文人」とは、儒学を学び、その知識を世の中に役立てようと政治や学問に携わる一方、漢詩や書画など文学や芸術の分野でも活躍した人々をいう。そういった人々が残した著作や筆跡類を、全9部に分けて時代を追って見られるようにする。

対象となる主な文人は、朱子学派儒学者で林家の祖、林羅山(1583-1657)、旗本、政治家、朱子学者で、6代将軍・徳川家宣(いえのぶ、1662-1712)の侍講として幕政を実質的に主導し、「正徳の治」と呼ばれる一時代をもたらした新井白石(1657-1725)、儒学者の荻生徂徠(1666-1728)。

儒学者の中根東里(1694-1765)、儒者で亀門学の亀井家(南冥=なんめい、1743-1814、昭陽=1773-1836、少琴=1798-1857)、儒者の古賀家(「寛政の三博士」の1人、精里=1750-1817、同庵=1788-1847、謹堂=1816-1884)、

漢詩人の山梨稲川(とうせん、1771-1826)、儒者、漢学者の安井家(息軒=そっけん、1799-1876、小太郎=1858-1938)、小説家で陸軍軍医の森鴎外(1862-1922)、小説家の永井荷風(1879-1959)を取り上げる。

慶應義塾大学の三田のみならず、日吉と信濃町のメディアセンター、また関連資料を多く所蔵する慶應義塾大学附属研究所斯道文庫の協力も得て、義塾全体のコレクションから選りすぐりのものを紹介する。

今回、紹介するのは、徳川家康(1543-1616)が晩年に臨済宗の僧で、側近の以心崇伝(いしんすうでん 1569-1633)と林羅山に命じて駿河で行った、金属活字を用いた出版、いわゆる駿河版(古活字本)の「大蔵一覧集(だいぞういちらんしゅう)」(1615(慶長20)年刊)を初公開する。

徳川家康は、漢籍・和書を幅広く収集し、幕府の蔵書の充実に努めるとともに、書物の出版を通して「知」の普及をめざし、武力だけでなく文化においても日本をリードする存在になろうとした。そういう政策には、林羅山のような幅広い知識を持った学者が必要で、今回は、古くから収蔵されているもう一つの駿河版「群書治要(ぐんしょちよう)」(唐代初期に、治世のための参考書として編まれた書籍。日本では1616年に徳川家康が刊行)と合わせて展示する。

また、「新井白石日記」(1693(元禄6)年から1723(享保8)年までの写本)は6代将軍徳川家宣のもとで、政治・経済・外交など多方面にわたる改革を推進した新井白石が残した日記で、展示する。ごく一部に別人の筆跡が混じっているが、ほとんどが自筆とされている。

まだ、甲府藩主だった徳川家宣(当時は綱豊)に初めて仕えた1693(元禄6)年から始まり、8代将軍徳川吉宗(1684-1751)の就任に伴って失脚する1716(享保元)年までの公務上の出来事が簡潔に記されている。それ以降の記事はほとんどない。本書は新井白石の子孫およびその関係者によって戦前まで所蔵されていたが、戦後に慶應義塾図書館の所蔵となり、「大日本古記録」に翻刻された。

「徂徠集稿本」(江戸中期写本)は荻生徂徠の漢詩文集で、没後門人たちが共同作業で編集し、全30巻として刊行した。この本は、その編集過程を教えてくれる稿本で、30巻のうち5巻が欠けているが、別に1巻が慶應義塾図書館に収蔵されていて、合計26巻になる。版本では削除された作品なども収められていて、荻生徂徠研究の重要な資料とされている。

もともとは荻生徂徠が仕えていた柳沢吉保(1658-1714)の子孫、大和郡山藩主の柳沢家に伝来したものだが、江戸後期に個人蔵となり、戦後に慶應義塾図書館に収蔵された。また、欠けている4巻のうち2巻は東北大学図書館狩野文庫に現存するという。

「同庵日記鈔(とうあんにっきしょう)」(江戸後期写本)も展示される。「寛政の三博士」と呼ばれる幕府儒官のひとり、古賀精里の3男で、父の跡を継いで幕府儒官となった同庵の日記のうち、1808(文化5)年から1827(文政10)年までの20年分を自ら抄出した本という。

この間、1809(文化6)年に儒者見習として昌平坂学問所に初めて出仕、1817(文化14年)に古賀精里が死去して儒者に昇進している。新井白石の日記とは異なり、公務以外のさまざまな記事が豊富で、多彩な交友関係が知られている。戦前に義塾図書館に入った大量の古賀家関係資料のうちの一つで、今回は他にも書簡類などをいくつか展示する。

「歳寒堂遺稿(さいかんどういこう)」(幕末写本写、斯道文庫蔵)も出品される。森鴎外の小説「北条霞亭(かてい)」の主人公、漢詩人の北条霞亭(1780-1823)の漢詩文を没後に養子の北条悔堂(かいどう、1808-1865)が編集したもの。北条霞亭は備後神辺の儒学者、漢詩人の菅茶山(1748-1827)の後継者として私塾を継承し、また福山藩儒として藩に仕えた。

福山出身の漢学者で近世学芸史の研究も行っていた浜野知三郞(1870-1941)は北条霞亭の資料を多数収集していて、それらを森鴎外に提供、この本も森鴎外に貸し出されていたもので、付箋に森鴎外が作品の年代などをメモしている。今回は森鴎外が作品のなかで引用している北条霞亭宛の書簡なども展示する。

慶應義塾図書館は1907年に慶応義塾創立50周年を迎えた記念事業として1908年に起工され、1912年に竣工された。設計は曽祢中條(そねなかじょう)建築事務所、施工は戸田組で、1969年に国の重要文化財に指定された。1981年に新図書館が完成したのに伴い、本館は記念図書館、研究図書館として改修再生され、現在、旧館には福沢研究センター、斯道文庫(しどうぶんこ)、泉鏡花展示室、大会議室、小会議室がある。

7日18時、9日14時から慶應義塾大学附属研究所斯道文庫教授の堀川貴司さんによるギャラリートークを開く。要予約(https://libguides.lib.keio.ac.jp/mit_annual_exhibition)、各回20人、入場無料。

堀川貴司さんは1962年大阪府生まれ、1985年に東京大学文学部国文学専修課程を卒業、1987年に同大学大学院人文科学研究科国語国文学専門課程を修了、1990年に同大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻博士課程の単位取得後退学、1990年から1995年まで東京大学文学部助手。

1995年から1996年まで帝京平成大学情報学部講師、1996年から1999年まで愛知県立女子短期大学・愛知県立大学文学部助教授、1999年から2004年まで国文学研究資料館研究情報部助教授、2004年から2010年まで鶴見大学文学部教授、2010年から現在まで慶應義塾大学附属研究所斯道文庫教授。第23回日本古典文学会賞を受賞している。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)。入場は無料。

編集注:亀井小琴の「王」の下は正しくは「木」です。

古賀同庵の「同」は正しくは左に「にんべん」がつきます。