インドで隔離、母の最期看取れずも、郷里の1周忌に感無量(114、前編)

(著者がインドから帰国したので、タイトルを「インドからの帰国記」としています。連載の回数はそのまま継続しています)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2022年12月9日】9月25日に郷里福井の菩提寺(寮町の勝縁寺=浄土真宗で、山号は龍燈山)で、母の命日10月9日(享年91、法名釈静楽)より2週間早い、1周忌法要が執り行われた。

石段を上がって、大谷本廟の山門へ。郷里福井の菩提寺で母の1周忌法要を終えた翌日、本寺に納骨するため京都を訪れた。

参列したのは長女の私と長弟夫婦、福井在住の次弟と末弟、叔父(亡母の末弟)のみの近親者6人で、立派な金尽くしの大仏壇が安置された本堂に、母の遺影を飾ってもらい、ありがたいお経を2人のお坊さんにあげてもらった。

長男から始まって順にご焼香、終わった後も念仏が済むまで、木の長椅子に腰掛けて一同数珠を手に祈りを捧げた。南無阿弥陀仏のお経に、既に天界に旅立った母が喜んでいるような気がした。

ひと月ほど前だったか、夢の中に現れた母は若返って、輝くばかりの美しさ、俗人を寄せつけぬ気高い美顔に、私ははっと息を呑んで、天界に行ったのだとの直感に打たれたものだ。おかっぱ髪に髷を高々と上げた不思議な髪型をしており、もう私の母ではなく、菩薩、仏に化身していた。俗界の人間が近づけない神々しさに恐れおののきながら、女神に昇華した母を、呆然と傍観していた。

目覚めて、昇天を慶びながらも、一抹の寂しさの裏で、仏となった元母に、御加護をお願いするばかりだった。

コロナ禍でインドから帰るに帰れず、母との最期の対面はおろか、葬儀にも参列叶わなかった私だけに、1年遅れとはいえ、母の慰霊の儀式に参列できて感無量であった。

菩提寺での法要がつつがなく終了して、「かくれ庵」(福井市下馬2丁目)というそばの名店で会食後は、次弟の車で末弟や叔父を除いた4人で京都に向かうことになった。大谷本廟にお骨の一部を納めるためだ。勝縁寺の住職さんには、紹介状を書いてもらい、掌に収まる骨箱ももらっていた。

京都で家族と泊まった「ベッセルホテルカンパーナ京都五条」(京都1号店)の外観。

日曜だったが、帰路はともかくも、往路ゆえ、渋滞はほとんどなく、3時間ほどで京都の予約したホテルに着いた。

「ベッセルホテルカンパーナ京都五条」は、2015年9月に開業したホテルで(広島県福山市に本社のあるベッセルが経営)、まだ新しく清潔で気持ちよかった。京都らしく和のデザインも採り入れられ、部屋は広めでバスタブのサイズも大きく、ゆったりできた(サウナ付大浴場もあったが、私はパス)。7階の窓からは、通りのビルが見渡せた。

全国31チェーン展開しているホテルで、次弟が那覇で泊まって快適だったため、京都でも同系列を選んだという(シングル8000、ツイン1万2000円だが、福井在住者には割引+クーポンあり。ただし、日曜キャンペーンとかで、金沢在住でも1人3000円のクーポン券付)。

京都には、インド移住以降も帰国時にはしばしば訪れており、いつも便利な駅近辺に宿をとっていた私にとって、五条界隈に泊まるのは初めてだったが、後刻散歩に出て、マンションやホテル、オフィスビルの多い地域とわかった。

18時30分にロビーで待ち合わせ、その夜の会食は、ホテル脇の路地を徒歩で駅方向に15分ほど行った隠れ家的鉄板焼き店「結(むすび)」(京都市下京区)だった。道すがら、淡い紫にライトアップされた京都タワーが彼方に伸び上がり、4年ぶりになるのか、懐かしい郷愁を覚えた。

「結」は、カウンターだけのこぢんまりとした店で、キッチンでは若い女性スタッフ2人が立ち働いていたが、オーナーシェフの姿は見当たらなかった。黒で統一された、京都らしい粋でモダンなインテリアだった。

お任せのフルコース料理は、洒落た陶器に盛られ、オードブルから始まり、香ばしい伊勢海老や、長野産の和牛ステーキなどメイン料理は、柔らかく口中でとろけるおいしさだった。が、ビールの後の白のグラスワインがお気に召さなかったワイン通の長弟は、赤ワインを1本オーダーした。次弟はシャンパン、私はボトルの赤を少しシェアした。

会食代は1人頭2万円弱と結構なお値段だったが、酒代込みだし、金沢でこの量と味なら、きっともっと値は張るだろう。ボリュームたっぷりで、デザートまで文句なしの美味、大満足であった。

京都の鉄板焼き店「結」で供された伊勢海老は、香ばしくてぷりぷり、超美味だった。

翌朝は、次弟の車で大谷本廟へ。ここは親鸞聖人(1173-1263)のご廟所(墓所)で、祖廟とも呼ばれ、古来大谷本廟へ納骨することが真宗門徒の嗜みとして脈々と受け継がれてきたのである。

本廟の駐車場が閉まっていて、清水寺に向かう坂の下の有料駐車場に停めて、徒歩で本寺に向かった。石段を上がって山門を潜り、小高いところにある受付けの建物(本廟会館)でお布施(一座経懇志)を払い(檀家のため1万円で済んだ。ちなみに福井の勝縁寺は6万円)、エレベーターで6階の無量寿堂の納骨堂へ。

受付で渡された指定番号のロッカー前で待っていると、ほどなく僧が現れ、お経を唱えながらの、福井から持参したお骨を六角形の骨壷に収める儀式が始まった。長女の私を筆頭に、それぞれが母の石灰化してもろくなったお骨を砕いて、小さな骨壷に収め、いっぱいになったものを福井の勝縁寺専用のロッカーに収めた。ロッカーは骨壷だらけかと思ったが、まだ余裕があった。

近年、京都の本寺に遺骨を納める人は減っているそうだが、わが一族は、43年前に父が急逝したときも、1年後に家族で京都に訪れ、本寺に納骨したものだ。時8月、宿の屋上からは、大文字の送り火が見えて、感慨深かったものである。

すべてが終了した後は、清水寺の麓まで行き、クーポン券が使える土産物屋を探し当て、坂の下のところの蕎麦屋に入って締めた。ちょうど修学旅行の団体とぶつかり、清水寺界隈は感染を懸念するほど混雑していたが、このその名もずばり「坂」という蕎麦屋だけは比較的空いていて、しかもおいしかった。裏に「そば終了」の貼り紙がしてあったせいかもしれない。昨日のものだったらしく、店員は慌てて剥がしていた。

前日の予定では納骨後、高雄に行くことになっていたが、既に14時と遅く、取り止め、私1人だけ延泊にして、残りの家族は帰ることになった。

駅近くのホテルまで送ってもらい、家族と別れた。ネットで見つけた「エムズホテル京都駅KASUGA」は、2019年12月にオープンした新しい造りのマンションタイプ(2014年創立の京都に本社のあるホテルエムズが経営、京都市内に17チェーン展開)。入居には、前もって教えてもらった暗証番号を押して入る。チェックインの16時までに間があるので、電話で指示された通り、入口の両脇に設置された金属バーに鍵付きの輪っかがあるのに、荷物を通し、身軽になって外に出た。

京都駅八条口から徒歩7分で便利な「エムズホテル京都駅KASUGA」。玄関脇の暗証番号を押して入るマンション仕様になっている。

いつもは烏丸口に泊まるので、八条口が初めての私は勝手が違い戸惑ったが、烏丸口までてくてく歩いて見慣れたエリアへ。「ベローチェ」でアイスコーヒーを飲んで、時間つぶしした。

16時過ぎホテルに戻ると、狭いカウンターに1人スタッフがいて、タブレットでチェックインした。部屋の鍵の暗証番号が出て、3階にエレベーターで上がり、プッシュ方式でドアを開けて入室。部屋は洒落たデザインで(デザイナーズホテルと銘打っているだけのことはあった)、いわゆる一般のビジネスホテルと比べても遜色ない。

最新の壁掛けテレビに丸型のバスタブ、むしろ、上等なくらいだ。これで、1泊3300円ちょっととは格安、感激した。ベッセルホテルのように、広いロビーや無料コーヒー、温泉などの設備はないけど、慣れてしまえば、プッシュ式で入れるのは便利、スタッフを最小限にして人件費を抑えているので、安値で提供できるわけだ。

おまけに、ホテルの近くにイオンモールがあったため、食料の買い出しにも便利だった。同じ京都駅でも、反対側の八条口に泊まったことで、京都の別の一面を見ることになり、新鮮でもあった。

バス停の向こうに見える京都駅のシンボル、京都タワーの中空に伸び上がる塔の白さが目に染みた。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からインドからの「脱出記」で随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2022年11月29日現在、世界の感染者数は6億4159万8675人、死者は663万0817人(回復者は未公表)です。インドは感染者数が4467万3078人、死亡者数が53万0614人(回復者は未公表)、アメリカに次いで2位になっています。編集注は筆者と関係ありません)