福井再発見の旅、世久見湾の絶景に感激、24年新幹線に期待(137-2)

(終わりに北陸新幹線について、2024年3月16日に開業する敦賀駅までの簡単な説明を加えました)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2023年9月19日】8月12日、盆の墓参りついでに、郷里・福井県南西部にある小浜市に1泊して、温泉や料理を満喫したところまでお伝えした(https://ginzanews.net/?page_id=64396)。

古い宿場町の名残りが味わい深い熊川宿。瓦葺、真壁造り(柱や梁を露出させる工法)、塗籠造り(柱や軒も含め外壁を土壁で覆う)、紅殻格子の旧家と疏水、山が迫り、自然と融合した保存地区だ。

翌朝、早起きして、昨日の1人観光の続き、浜まで出て反対方向に歩き、漁村の端まで散策、それから来た道を戻り、逗留宿「せくみ屋」(福井県小浜市小浜白鬚113、0770-52-0020)前を過ぎて直進、商店街を通り抜けて小浜駅まで行ってみた。

童話に出てきそうな可愛らしい駅舎で、昨日車で通過したときから気になっていたのだ。早朝で商店街はまだ閉まっており、人気もなく、がらんとしていた。宿前から歩いて10分ほどで駅に着き、中に入ってみたが、小さな待合室があるだけでなんの変哲もない。三角屋根が連なる外観は愛らしいが、中は何もない。外のトイレを借りて、戻った。

また、浜のほうに出て、西組(伝統建造物群保存地区)を再度抜けて帰ってきた。まだ7時30分だったが、早めの朝食を摂りに7階のダイニングルームに降りた。バイキングかと思ったら、純和食。テーブルごとにお膳が並べられており、2組ほどが食事しているが、空席が目立つ。朝食時間は7時から9時までなので、宿泊客はまだ寝ているか、温泉だろう。

係の女性にどのテーブルを選んでもいいと言われたので、窓際の小浜湾を見下ろす見晴らしのいい席を陣取った。眺望を楽しみながらの、ひと散歩のあとの空腹を満たし、食後のコーヒーを飲んだ。2杯目は部屋に持ち帰り、室内で寛ぎながら、飲むことに。1人だけ先駆けして朝食を済ませ、部屋に戻った。

インドにいる息子に再度電話することになっており、何度か「WhatsApp(ホワッツ・アップ)」でトライしたが、アンサーがない。諦めて、ロビーの集合時刻9時45分まで、温泉にも行かず、バルコニーに出たり、ネットサーフィンしたり、部屋でのんびり過ごした(後でわかったことだが、インドと日本は3時間30分の時差があるのだが、勘違いしてインドの方が遅いと思い込んでいたため、8時30分にかけたら、現地時間はお昼でなく5時、息子は就寝中だった)。

逗留宿せくみ屋の豪勢な和朝食。7階の食堂からは小浜湾が見下ろせ、朝の海を眺めながら食べる定食は絶品。コーヒーも飲み放題だ。

10時前に宿を出て、蘇洞門(そとも)への遊覧船が出るのはお昼というので、まず車で若狭の熊川宿(旧宿場町、詳細は末尾1)に向かう。30分ほどで着いて、瓦葺き、紅殻格子(べんがらこうし)の旧家が軒を並べる街道筋を歩き出すも、暑いので、古民家を改造した喫茶店(Sol’s Coffee Laboratory=ソルズ・コーヒー・ラボラトリー、オーナーは東京人で蔵前にも店所有)に逃げ込む。

天井に黒い梁が剥き出しになった風情ある喫茶店で、自家焙煎のアイスカフェラテを飲んで涼んだ。外の溝を流れる用水(前川)には小さな水車がカラカラと音を立てて回っている。空がいくらか翳った機会を逃さず、私は素早く席を立って独り界隈を散策、写真を撮りまくった。しかし、有名な飛騨高山はじめ、名古屋、高岡、盛岡、小浜まで去年来訪ねたどこでもこの種の伝統的建造物群保存地区とかがあり、さすがに食傷気味、流行りなのかもしれないが、画一的で飽きてくる。

山に囲まれた熊川宿(くまがわじゅく)は、飛騨高山のようにちまちま密集しておらず、通りも広く、周囲の自然と溶け合った旧家街の美しさがよかったが、既に小浜の西組も見学済で、またかとの感を拭いきれず、猛暑もあってざっと巡ったのみ、神社もたくさんあったが、ひとつお参りしただけで、車に戻り、1本ずれた裏路地の町家改造の宿街を抜けて、来た道を戻り、蘇洞門(海食洞、詳細は前号末尾の注参照)観光の遊覧船乗り場に向かった。

熊川宿で避暑に逃げ込んだ古民家改造の洒落た喫茶店Sol’s Coffee Laboratory(ソルズ・コーヒー・ラボラトリー)は、東京蔵前にも店を持つオーナーが開店、自家焙煎の香り高い本格コーヒーが楽しめる。

空席があるか次弟だけが降りて問い合わせると、生憎満席だった。予約ができないため、行き当たりばったりで買うしかなかったのだが、1席余すのみで売り切れだったという。お盆で宿も満室のようだったし、釣り客や海水浴客も群れていたから、しかたない。さて、どうするとなって、長弟がまたネットで調べて、常神半島(つねがみはんとう、詳細は末尾2)方面までドライブしようということになった。

蘇洞門が見学できなかったのは残念だが、まだ時間もあるし、せっかくここまで来たのだから、小浜から若狭にかけてのリアス式海岸を楽しまない手はない。何やら常神のソテツとかいう名所があるらしく(国指定天然記念物、詳細は末尾3)、大昔、漂流して流れ着いたインド人が植えた樹齢1300年の巨大ソテツがあるという。

車はつづら折りの崖を迂回しながら登り、途上、世久見湾との標識がある絶景地に差し掛かった(世久見展望台は夕日の絶品スポットでもある。詳細は末尾4)。一同降りて、濃い青に染まる湾を見下ろす。越前海岸辺りまではドライブしたことがあり、日本海はこんなもんだと思っていた私のありきたりな印象は覆された。手付かずという意味では、石川の能登を凌ぐ絶景、神々しい自然美だ。みんな感激して見下ろし、せくみ屋の名前の由来を知った。

福井県人といっても、福井在住の次弟ですら、こんな素晴らしい穴場があることを知らないのである。海の青さが染まりそうなほど深くて透明感があり、ただただ美しく見とれるばかりて感嘆の息が漏れる。

来年には新幹線も来るし、県はこんな素晴らしい財産を持ちながら、宝の持ち腐れとなっている事態を重く鑑み、もっと観光促進に勤しむべきではないかと思った。ほんと、福井市内の人達は小浜や若狭の海岸の美しさを存外、知らぬのである。

さらに、海水が透き通るように美しい穴場の海水浴場をいくつか過ぎて、ひなびた漁村の常神半島に到着。常神のソテツの標識があったが、車では行けない入り組んだ路地の奥のようだ。下車して徒歩で向かう。矢印の道しるべに沿って細い路を行くと、右折した突き当たりの裏手の民家の庭にくだんのインドゆかりのソテツはあった。

車が世久見湾に差し掛かり、日本海の絶景を見下ろす地点で停車、青く染まりそうな湾に緑の小島(烏辺島=うべじま、周囲1キロ、標高95メートルの無人島)、美景にため息が漏れた。

もっと巨大なものを想像していた一同は、意外にちゃっちいのに拍子抜け、でも、株がいくつも枝分かれしているらしい。漂着したインド人はその後、どうなったのだろう。この地に帰化し、村人たちとの共同生活を送ったのだろうか。移植したソテツを見るたび、故国を偲び、涙を流したのかもしれない。

ちなみに、ソテツは水に晒して毒抜きすれば、救荒食(きゅうこうしょく、異常気象や災害、戦争に伴う飢餓に備え備蓄される代用食)で貴重なタンパク源となるため、漂流した船に備蓄されていたのかもしれない。

昼食は三方五湖のうなぎにしようという話になったが、天然うなぎの幟(のぼり
)を掲げているドライブインはどこも駐車場が満杯で(三方五湖産うなぎは脂のノリがよく、栄養価が高い高級食材として京にも運ばれていた。老舗だとうな重5000円前後)、諦めて南条サービスエリア(福井県南条郡南越前町)まで走り、中の食堂で、おろし蕎麦や、ひつまぶし(うなぎは中国製て今ひとつだったようだ)、私は天丼と割子そばのセットを戴いた。

帰途、福井市帆谷町(ほだにちょう)にある叔父の旧家(戦災を免れ築100年)に立ち寄りごあいさつ、丹精された庭園に臨む瀟洒な応接間で初物の梨やマスカット、わらび餅にアイスコーヒーをご馳走になって、中新町のFモータースに丸一昼夜駐車してあった長弟の車に乗り換え、次弟に別れを告げて、一路金沢へ。高速の渋滞を懸念し、道の駅尼御前でトイレを済ませたが、予想外に混雑もなく、1時間30分で帰着した。

当初は墓参りのみの日帰りのつもりでいた私は思いがけず、日本海の絶景を堪能できて感激、まさに「福井再発見の旅」となった。貴重な機会をご褒美のように授けてくれたご先祖様に感謝するばかりだった。

約1300年前、インド人の漂流者が持ち込んだとの伝説がある「常神のソテツ」。根元からの樹高が4.5メートルから6.5メートルの高い5本の支幹と、樹高1.5メートルから3メートルの低い3本の支幹の、合計8本の幹が枝分かれしており、根元周りは5.2メートルに達している。それにしても、北陸の厳冬を耐えてよく生き残ったものだ。

※脚注(ウィキペディアから一部抜粋)
1.熊川宿は、福井県三方上中郡若狭町にある若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場。若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。また、2015年4月24日、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群-御食国(みけつくに)若狭と鯖街道-」の構成文化財として日本遺産に認定される。

室町時代(1336年から1573年)に沼田氏が山城を築いた地にあり、1589(天正17)年に小浜城主浅野長政(1547-1611)が近江と若狭を結ぶ鯖街道(若狭街道)の宿場町として整備した。熊川宿は近江との国境近く、小浜と今津のほぼ中間点に位置し、江戸時代を通して鯖街道随一の宿場町として繁栄した。

近代以降は鉄道の開通やモータリゼーションの影響で旧街道は衰退し、近年の戸数はピークである江戸時代中期の約半分になった。そのため当地域は再開発されることなく古い町並みが残り、1996年に重要伝統的建造物群保存地区として選定された。地区内には瓦葺き、真壁造または塗籠造の伝統的建築物が多数残る。

また、旧街道に沿って前川という水量豊かな水路が流れ、石橋や「かわと」という水利施設などの工作物とともに歴史的景観を残している。 古建築を活用した資料館、食事処、喫茶店、雑貨店、また道の駅若狭熊川宿が開設された。

2.常神半島は、福井県三方郡美浜町と同県三方上中郡若狭町にまたがる半島。敦賀半島と共に若狭湾に突出することで美浜湾を分けている。花崗岩からなる半島で、若狭湾の支湾である美浜湾の西端を固める。若狭湾国定公園の一部であり、三方五湖や三方五湖レインボーラインが近くにあるため観光スポットとしても人気がある。半島先端の常神岬には常神岬灯台が建っている。

3.世久見湾は、福井県若狭町の湾で、若狭湾の支湾。西側に突出する黒崎半島(別名:田烏半島)獅子ヶ崎から東側の常神半島常神岬により、若狭湾と区切られる。若狭湾国定公園の一部で、透明度が20メートルあり、三方海中公園に指定されている。若狭町中部のリアス式海岸で、背後の山地がそのまま岬や崎を形成している。湾岸を国道162号が数本のトンネルで繋ぎ、三方五湖や常神半島に出る。

4.常神のソテツ
常神のソテツは、福井県三方上中郡若狭町常神にある国の天然記念物に指定されたソテツ(蘇鉄)の巨木である。国の天然記念物に指定されたソテツは日本全国に12件あり、自生地としてのものが2件、個体が10件で、自生地以外の個体は常神のソテツを含め、すべて植栽されたものと考えられている。

常神のソテツは北陸地方で唯一の国の天然記念物に指定されたソテツで、生育する北緯35度38分14秒は、国の天然記念物のソテツの中では最も北に位置している。推定される樹齢は約1300年、この地に漂着したインド人が植えたものと地元では伝えられており、北陸地方では有数のソテツの巨木として、1924(大正13)年12月9日に国の天然記念物に指定された。

常神のソテツは若狭湾に突き出した常神半島の先端近くの漁村である常神地区にあり、福井県道216号常神三方線終点付近の漁港沿いの車道から、山側に密集する民家の間の路地を入った個人宅の庭に生育している。常神のソテツは根元からの樹高が4.5メートルから6.5メートルの高い5本の支幹と、樹高1.5メートルから3メートルの低い3本の支幹の、合計8本の幹が枝分かれしており、根元周りは5.2メートルに達している。

目通り幹囲は大きい方から、1.45メートル、1.35メートル、1.30メートル、1.25メートル、1.20メートル、0.95メートル×2本、0.90メートル。5メートルを超える高さのものは8本中4本あり、もっとも高いものが6.5メートルで、東側へ湾曲する1本を除いて、残りはすべて直立している。

江戸時代中期の1700年代中頃に火災を受けたというが樹勢は旺盛で、1924(大正13)年12月9日に国の天然記念物に指定された。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載します。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。また、息子の「Rapper Big Deal」はラッパーとしては、インドを代表するスターです。

2023年9月4日現在(CoronaBoardによる)、世界の感染者数は6億9026万1873人(前日比2万1761人増)、死亡者数が690万6476人(74人増)、回復者数は6億2043万5634人(7861人増)。インドは感染者数が4499万7173人、死亡者数が53万1930人、回復者数が4446万3717人、アメリカに次いで2位になっています。

ちなみにアメリカの感染者数は1億0812万6837人(2万1561人増)、死亡者数が117万3819人(74人増)、回復者数は1億0599万0681人(7699人増)。日本は5月8日以降は1医療機関あたりの全国平均になっています。編集注は筆者と関係ありません)

編集注:ウイキペディアによると、北陸新幹線は整備新幹線5路線のひとつで、1997年10月に高崎駅と長野駅間が整備新幹線として開業し、2015年3月に長野駅と金沢駅間が開業した。鉄道建設・運輸施設整備支援機構が鉄道施設を建設・保有し、高崎駅と上越妙高駅間はJR東日本、上越妙高駅と金沢駅間はJR西日本が運営している。金沢駅までの最高速度は時速260キロ。また、東京駅から大宮駅までは、北陸新幹線、上越新幹線と共用し、大宮駅と高崎駅間は上越新幹線と共用している。

両社の施設管理境界は上越妙高駅の金沢方、高崎起点177キロ950メートル地点である。金沢駅と敦賀駅間は2012年に着工され、2024年3月16日に開業する予定。未着工区間である敦賀駅と新大阪駅間については、2019年5月に環境アセスメントのための概略ルートが公表されている。

高崎駅から安中榛名駅までは群馬県、軽井沢駅から飯山駅までは長野県、上越妙高駅から糸魚川駅までは新潟県、黒部宇奈月温泉駅から新高岡駅までは富山県、現在の終点の金沢駅は石川県。2024年3月16日に開業する小松駅、加賀温泉駅は石川県、芦原温泉駅、福井駅、越前たけふ駅、終点の敦賀駅は福井県。

これに伴い、在来平行線の金沢駅から敦賀駅までの路線はJR西から経営分離され、石川県の部分は「IRいしかわ鉄道」、福井県の部分は「ハピラインふくい」に移管される。両社の境界駅は「大聖寺駅」となる。