【銀座新聞ニュース=2024年3月21日】書籍、映画配給事業、ネットワークエンタテインメントなどを運営するKADOKAWA(千代田区富士見2-13-3、03-5216-8212)は3月22日から4月4日まで角川シネマ有楽町(千代田区有楽町1-11-1、読売会館、03-6268-0015)で「松田優作生誕75周年記念『角川シネマコレクション 松田優作の狂気』」を開く。
俳優の松田優作(1949-1989)が生誕75年を迎えるのを記念して、KADOKAWAが松田優作生誕75周年記念特集上映 「角川シネマコレクション 松田優作の狂気」を開き、「蘇える金狼 4Kデジタル修復版」(1979年)、「野獣死すべし」(1980年)、「人間の証明 4Kデジタル修復版」(1977年)、「探偵物語 4Kデジタル修復版」(1983年)、「嵐が丘」(1988年)、「ひとごろし」(1976年)の6作を上映する。
また、「蘇える金狼 4Kデジタル修復版」の上映に際して、3月23日と3月30日にトークショーを開く。23日15時50分の回上映終了後に、松田優作の元妻で女優、写真家の松田美由紀さんが出演し、30日10時45分の回上映終了後、タイミングの小椋俊一さん、フィルムの修復作業に携わった「Imagica(イマジカ)EMS」の水戸遼平さんが出演する。
公式サイトによると、「蘇える金狼 4Kデジタル修復版」(監督は村川透さん)の物語は、東和油脂に勤める朝倉哲也(松田優作)は、会社では真面目で地味な社員を装っていたが、私利私欲を貪る経営陣に代わって、会社の乗っ取りを企てる一匹狼の反逆者だった。密かに体を鍛え、銃の腕を磨いた彼は、銀行の金を強奪し、情報源として上司の愛人を手懐ける。
「野獣死すべし」(監督は村川透さん)の物語は、優れた頭脳と射撃の腕を持つ伊達邦彦(松田優作)は、通信社の記者として世界各地の戦場を渡り歩いた後、退社した今は優雅な生活を送っていた。ある日、大学の同窓会に出席した彼は、ウェイターの青年・真田に自分と同じ野獣の血を感じ、銀行襲撃計画の仲間に誘う。
「人間の証明 4Kデジタル修復版」(監督は佐藤純彌=1932-2019)の物語は高級ホテルのエレベーターの中で、黒人青年が死亡した。その日、最上階では、有名デザイナー八杉恭子のファッションショーが開かれていた。棟居刑事(松田優作)は、被害者が残した「ストウハ」という謎の言葉と古びた「西條八十詩集」を手がかりに事件の真相を追う。
「探偵物語 4Kデジタル修復版」(監督は根岸吉太郎さん)の物語は父親が待つアメリカへの出発を1週間後に控えた女子大生・新井直美。彼女の前に、出発までのボディガード兼監視役として雇われた私立探偵・辻山(松田優作)が現れる。ある日、2人は殺人事件に巻き込まれ、犯人探しに奔走するうちに、2人の関係も変化していく…。
「嵐が丘」の物語(監督は吉田喜重=1933-2022)は火の神を祀る山部一族の東の荘の当主・高丸は、都から異様な容貌の童子・鬼丸(松田優作)を連れて帰る。下男として仕える鬼丸に、高丸の嫡子・秀丸が嫉妬する一方、秀丸の妹・絹は惹かれていく。だが、絹は巫女となる運命を覆し、西の荘の嫡子・光彦に嫁いでしまう。
「ひとごろし」の物語(監督は大洲齊=1928-1991)は武芸はまるでダメ、饅頭が好物で犬嫌い、ひどく臆病な福井藩の若侍・双子六兵衛(松田優作)。そんな彼が一念発起して、誰も引き受けない上意討ちの旅に出る。藩お抱えの武芸者で、剣と槍の達人、仁藤昂軒を相手に、どう見ても勝ち目のない六兵衛が取った奇策とは?あらしがおか
ウイキペディアによると、松田優作は1949年山口県下関市で日本人の父と当時、質屋を営む韓国人(在日1世)の母との間に非嫡出子として生まれた。山口県立下関第一高等学校を2年で中退し、渡米し、カリフォルニア州モントレー郡シーサイド市のシーサイド高校に入学するも、言葉のギャップなどに悩み、1968年9月に母に無断でシーサイド高校を中退し、芝居をやりたいと思い帰国、長兄一家の東京都豊島区のアパートに居候し、私立豊南高等学校夜間部普通科の4年生に途中編入し、1970年に関東学院大学文学部に入学した。
1971年3月に劇団「文学座」の入所試験を受けるも筆記試験で不合格、5月に金子信雄(1923-1995)主宰の劇団「新演劇人クラブ・マールイ」に入団し、ここで最初の妻となる美智子さんと知り合う。1972年4月に文学座付属演技研究所12期生となり、役者に専念するために、6月に大学に退学届を出す。
1969年頃の無名時代に新宿駅東口のトリスバー「ロック」でバーテンダーを務め、1973年に刑事ドラマ「太陽にほえろ!」にジーパン刑事としてレギュラー出演、東宝「狼の紋章」にて映画に初出演した。1974年に時代劇映画「竜馬暗殺」に時代劇初出演、1974年11月公開の映画「あばよダチ公」で初主演した。1976年1月31日、1975年7月19日に行なわれた「俺たちの勲章」の鹿児島ロケ打ち上げの際、19歳の予備校生に対して共演者と共に暴力を振るい、警視庁新宿警察署に逮捕され、1976年2月5日、東京地方検察庁は傷害容疑で松田優作を起訴、3月10日に東京地裁で懲役10月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。
1976年に東映「暴力教室」により映画に復帰、同年の時代劇「ひとごろし」で時代劇初主演、同年7月25日にはアルバム「まつりうた」で歌手デビュー、1977年に刑事ドラマ「大都会 PARTⅡ」でテレビに復帰した。1979年に「蘇える金狼」で主演、「俺達に墓はない」で主演、テレビドラマ「探偵物語」に主演した。1980年に映画「野獣死すべし」で主演、1981年に文学作品「陽炎座」に主演、「ヨコハマBJブルース」に主演した。
また「新・事件 ドクターストップ」以降、「新・夢千代日記」などNHKドラマへの出演が続き、1982年に向田邦子(1929-1981)ドラマ「春が来た」で桃井かおりさんと共演した。
1986年に映画「ア・ホーマンス」の製作途中で、作品の方向性に関して意見が食い違い、監督の小池要之助(1941-2010)が降板し、松田優作が初めて監督した。
1988年に「華の乱」で主役、その後、遺作となった1989年のアメリカ映画「ブラック・レイン」に出演し、ハリウッドデビューを飾った。1989年10月7日に東京都武蔵野市にある西窪病院 (現在の武蔵野陽和会病院)に入院、11月6日18時45分に西窪病院で膀胱癌の腰部転移により死去した。享年41。
チケットはですに窓口で販売中で、料金は一般1700円、シニア1300円、大学生・高校生・中学生・小学生1000円。4月1日と水曜は一般1300円。日程は公式サイト(https://www.kadokawa-cinema.jp/theaters/yurakucho/news/61/)で確認を。