M84で「近代写真の父」E・アジェの「20世紀前後のパリ」展

【銀座新聞ニュース=2024年6月9日】Art Gallery M84(中央区銀座4-11-3、ウインド銀座ビル、03-3248-8454)は6月10日から7月6日までウジェーヌ・アジェによる写真展「Ⅳシュルレアリスム」を開く。

Art Gallery M84(アート・ギャラリー・エムハッシー)で6月10日から7月6日まで開かれるウジェーヌ・アジェの写真展「Ⅳシュルレアリスム」に展示される「A l’Homme Arme, 25,rue des Blancs Manteaux(ブラン・マントー通り25番地にあるロム・アルメ)」(1908年、(C)Eugene Atget)。

フランスの素朴派の画家、アンリ・ルソー(Henri J.F.Rousseau、1844-1910)とともにシュルレアリスムの先駆者に数えられた、フランスの写真家で「写真家の税関吏ルソー」と呼ばれたウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugene Atget、1857-1927)の個展「シュルレアリスム」を、2018年9月から10月に開き、2022年5月から7月まで2回目、3回目を2023年8月から9月に開いたのに続き、今回4回目を開く。

ウジェーヌ・アジェは41歳のときから30年間に約8000枚の写真を残し、20世紀前後のパリの建築物、室内家具など失われる古きパリのイメージを撮影した。パリ市歴史図書館などの購入者が決まっており、テーマを決めて計画的に撮影した。

今回の写真展「Ⅳシュルレアリスム」は、フランス国家が管理しているウジェーヌ・アジェが撮影したガラス乾板からプリントした作品など約35点を展示販売する。

ウジェーヌ・アジェは33歳の頃に画家をめざすも断念し、その後、職業写真家を志し、芸術家や装飾家の制作の資料となる写真やパリの街並みや職人の姿、郊外の風景を撮影した。歴史的建造物、古い街並、店先、庭園、そこに住まう人々など、変わりゆく「古きパリ」を丹念に撮影し、それらの写真は、パリの貴重な記録として、図書館や博物館に収められた。

貴族の館から下層社会の人々の生活まで撮影し、率直で素朴な目で現実を捉え、現実を超えた世界を引き出した芸術家とみなされた。この事態のきっかけは、アジェとアメリカの写真家、マン・レイ(Man Ray、1890-1976)との偶然の出逢いで、アジェの近所に居を構えていたマン・レイは、その写真の魅力を見抜いて機関紙「シュルレアリスム革命」に掲載し、前衛芸術家の仲間たちへ写真を広めた。

この頃から、アジェの作家性にスポットライトが当たりはじめ、 この後、マン・レイのアシスタントを務めていたアメリカの写真家、ベレニス・アボット(Berenice Abbott、1898-1991)によりアジェの存在は世界に波及していく。

また、アジェの死後、散逸の危機にあったプリントやガラス乾板を、もうひとりの貢献者であるニューヨークのギャラリスト、ジュリアン・レヴィ(Julien Levy、1906-1981)の助けを借りて買い取り、アメリカでアジェの芸術性を広めていき、「近代写真の父」と称された。

ウジェーヌ・アジェは1857年フランス南西部ボルドー近くの町リブルヌ生まれ、1863年に両親が亡くなり、叔父に引きとられてパリに移り住み、神学校に通うものの中退し、商船の給仕となってヨーロッパ各地、北アフリカ、南アメリカを旅した。1879年にフランス国立高等演劇学校に合格するも、兵役のため中退した。

1881年に地方回りの役者になり、1886年に伴侶となる女優ヴァランティーヌ・ドラフォス(Valentine Delafosse、1847-1926)に出会い、2人はいっしょに旅回りを続け、グルノーブル、ディジョン、パリ郊外で公演、1897年から1902年の間、ヴァランティーヌはラ・ロッシュで公演した。1898年にウジェーヌ・アジェは劇団を解雇され、1人パリに戻り、41歳で画家になろうとし、風景画を描き、印象派風の木を描いた油絵画が残されている。

しばらくして画家の道を断念し、この少し前から写真を撮り始め、18×24センチのガラス乾板を使う木製の暗箱カメラでレンズボードを上下にあおれるものを使用、最初に手がけたシリーズは路上で商いをする人々の写真だった。

1899年10月にモンパルナスのカンパーニュ・プルミエール街17番地に引っ越し(死ぬまで住む)、アパートのドアに手書きの「芸術家の資料(documents pour artistes)」という看板を掲げ、芸術家に写真を売る生活をはじめた。画家を志した際に多くの画家が作品の資料となる写真を求めていることを知り、生活のために写真をはじめ、初期の路上の物売りシリーズを除いて、建物を正確に撮ろうとすると、人や馬車がじゃまになるため朝に撮影した。

アルバムは次の7つがある。1898年から1900年がパリの生活と仕事(146枚)、1910年にパリの乗り物(57枚)とパリの屋内:芸術的、絵画的、中産階級(54枚)、1912年にパリの仕事、店、ショーウィンドウ(59枚)、1913年に古きパリの看板、古い店(58枚)、1913年にパリを囲む城壁跡(56枚)、1913年から1914年にパリの旧軍用地帯の住人の様子とその典型(62枚)。

1927年にシュルレアリスムの若い前衛芸術家の強い関心を惹きつけ、素朴派の画家、アンリ・ルソー(Henri Julien Felix Rousseau、1844-1910)とともにシュルレアリスムの先駆者に数えられ、「写真家の税関吏ルソー」と呼ばれ、1927年8月にパリにて死去した。

開場時間は10時30分から18時30分(最終日は17時)まで。入場料は800円。日曜日は休館。作品はすべて販売する。