丸善日本橋で寺田豊「京絞り」展、藤井健三トーク、木耶ラも

【銀座新聞ニュース=2017年11月13日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は11月15日から21日まで3階ギャラリーで「京絞りの源流を探る7 京絞り寺田展-現代に蘇る小袖の世界」を開く。

丸善・日本橋店で11月15日から21日まで開かれる「京絞りの源流を探る7 京絞り寺田展-現代に蘇る小袖の世界」のフライヤー。

「有限会社 京絞り寺田」(京都市下京区新町通綾小路下る船鉾町391、075-353-0535)を運営する4代目京絞り作家の寺田豊(てらだ・ゆたか)さんが2011年以来7年続いて「京絞りの源流を探る」と題して、先人の絞り技法を学び、現代の素材、技術を加えた絞り訪問着、付け下げ、小紋、コート、小物、ショールなど新作を展示販売する。また、京都西陣織の「帯屋捨松」の帯もあわせて出品する。

「京絞り寺田」は1813(文化10)年に初代井筒屋治助(いづつや・じすけ)が京都寺町仏光寺で木版彫刻美術出版業として創業、1923年に6代寺田熊太郎(てらだ・くまたろう)が京鹿の子絞り製造卸「寺田商店」を設立、その後現社名に改称している。

「帯屋捨松」は江戸時代の1854(安政元)年に創業し、「木村捨織物所(きむらすておりものしょ)」として帯を生産してきたが、昭和30年代に5代目木村四郎(きむら・しろう)が図案家、織匠、染色家の故徳田義三(とくがわ・よしぞう)に弟子入りし、指導を受け、その後を引き継いだ6代目木村弥次郎(きむら・やじろう)さんも故徳田義三に弟子入りし、1978年に独立し、曾祖父の木村捨松(きむら・すてまつ)の名前をとって屋号を「帯屋捨松」と改称した。

その後、7代目の木村博之(きむら・ひろゆき)さんが社長に就任し、10数人のスタッフで運営し、週2回の勉強会によりすべての従業員が織りの技術を学んでいる。また、帯屋捨松では分業体制をとらず、企画、意匠、デザインから生産まですべてを自社内で一貫生産しており、2012年より東京芸術大学大学院絵画専攻油画の学生が帯屋捨松で「帯」について実地で学んでいる。

寺田豊さんは1958年京都府京都市生まれ、1994年にフランス・パリ市主催フランスオートクチュール組合後援により「バガテル城美術館」の「燦功工房展」に招待出品、東京で個展を開催、1996年にフランス・パリ国立ギメ美術館が「雪に萩」を買い上げ、2002年に「布結人の会」を設立した。

イタリア・ミラノの美術学校と交流、2007年に歌舞伎役者の中村芝雀(なかむら・しばじゃく)さんの「人魚の恋椿」の衣装を制作し、2008年に京都絞工芸展で知事賞と近畿経済産業局長賞、源氏物語千年紀「夢浮橋」の几帳を作成している。

18日16時から17時まで、元京都市繊維技術センター(京都市染織試験場)研究部長で、染色研究家の藤井健三(ふじい・けんぞう)さんが「絞り染めの世界」と題してギャラリートークを開く。日本における絞りの歴史は古く、6、7世紀頃には既に各地で絞り染めが行なわれ独自の技法が生まれた中で、今回は慶長期(1596年から1615年)、寛文(1661年から1673年)小袖の頃の資料を元に古代から現代に至るまでの「絞り染め」の歴史を紹介するとしている。

ウイキペディアによると、慶長小袖は元和・寛永年間(1615年から1644年)頃に流行したタイプの小袖で、かつては慶長年間頃の作とみなされていたことから、この名がある。地に紅、白、黒、黒茶などの色を用い、直線や曲線で抽象的な区画に染め分けた中に、おもに摺箔と刺しゅうによって小模様な柄を表す。色調が桃山小袖に比べて暗いのが特徴とされ、奈良県立美術館にある「伝淀殿像」に描かれている物が、代表的な慶長小袖とされている。

きもの用語大全によると、寛文小袖とは寛文期頃に流行した着物のことで、肩から右身頃にわたる大柄の文様を配してあり、左身頃はあきを設けてある。寛文小袖には、絞りや金糸を用いた刺しゅうが多く見られ、文字で文様を表したものなどもある。寛文小袖の特徴は、大胆に配された柄行と余白といえるとしている。

一説によると、寛文小袖の流行の元は徳川秀忠(とくがわ・ひでただ、1579-1632)の5女で、後水尾天皇(ごみずのお・てんのう、1596-1680)の中宮、明正天皇(めいしょう・てんのう、1624-1696)の生母だった徳川和子(とくがわ・まさこ/かずこ、1607-1678)といわれ、その御用達である「雁金屋」という呉服商を取り立てた。

宮中に小袖を着用する習慣を持ち込んだのは徳川和子といわれ、尾形光琳(おがた・こうりん、1658-1716)、尾形乾山(おがた・けんざん、1663-1743)兄弟の実家である雁金屋を取り立て、徳川和子の注文した小袖のデザインは後に年号から「寛文小袖」といわれるようになり、元禄文化の隆盛につながったとされている。

1666(寛文6)年刊行の小袖雛形本「御ひいながた」にこの様式の小袖が多く収録されることから、この名がある。

藤井健三さんは1946年生まれ、1970年に京都市立芸術大学美術学部染織科専攻を卒業、1972年に京都市染織試験場に入り、京都市繊維技術センター(京都市染織試験場)研究部長を務め、一般財団法人「西陣織物館」顧問、財団法人「京都祇園祭山鉾連合会」の新調懸装品専門委員、社団法人「日本図案家協会」意匠顧問、京都工芸繊維大学美術工芸資料館の染色品研究委員、財団法人「京染会」参与などを歴任している。

15日、17日、19日の15時から着物教室講師の木耶ラ(きやら)さんによる「魔法の親指体験 無料講演会と長襦袢のお話」として10分間講習会を開く。
木耶ラさんは航空会社のキャビンアテンダントを経て、京都で着物の着付けを学び、その後、専属講師となり、独立して、現在、倉敷大原美術館内新渓園を中心に各地で指導している。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)、入場は無料。