不二家が数寄屋橋の広告塔をリニューアル

【銀座新聞ニュース=2018年3月17日】国内のパン製造最大手、山崎製パン(千代田区岩本町3-10-1、03-3864-3111)傘下で、洋菓子の製造販売やレストランなどをフランチャイズ展開している不二家(文京区大塚2-15-6、ニッセイ音羽ビル、03-5978-8100)は3月20日に銀座クリスタルビル(中央区銀座4-2-12)屋上の広告塔をリニューアルし、点灯式を開く。

不二家が3月20日にリニューアルし、点灯式を開く銀座クリスタルビルの広告塔。

1982年に現在の銀座クリスタルビルが完成し、屋上に不二家の広告塔を設置して以来、初めての広告塔のリニューアルで、光源はLEDにして省電力化を図り、広告塔をビジョン化して映像による多様な表現も可能にする。通常は朝から24時まで点灯する。

通常は基本パターンで静止し、1時間に1回程度(放映頻度は変更の可能性あり)の間隔で、4種の映像パターンのうちの1種類が流れる。映像は「可愛らしいペコちゃん」や「ケーキ、チョコレート」をモチーフとしている。

不二家は1953年に鉄筋3階建て、2階と3階の喫茶室が総ガラス張りというデザインの「数寄屋橋店」を開店し、1957年に数寄屋橋店をリニューアルし、「フランスキャラメル」(現在は終売)の大看板が登場した。1963年に看板を大きなペコちゃんのネオンに変更し、1966年に数寄屋橋店を改築し、赤い瓦屋根と白壁の外観に変更した。

1982年に現在の銀座クリスタルビルが完成し、屋上に不二家の広告塔を設置し、1階が洋菓子売場、2階と3階が不二家レストラン(現在は2階のみ)へ生まれ変わった。この広告塔を36年ぶりにリニューアルした。

20日16時30分から17時まで点灯式を開く。出席するのは、不二家会長の山田憲典(やまだ・けんすけ)さん、社長の桜井康文(さくらい・やすふみ)さん、不二家フードサービス社長の木下常光(きのした・つねみつ)さん、銀座クリスタルビルの関係者など。点灯式当日は数寄屋橋店で点灯式記念商品を販売する。

不二家は1910年11月に藤井林右衛門(ふじい・りんえもん、1885-1968)が25歳で、現在の横浜市中区元町2-86(跡地は現在のエレガント=Elegant=洋装店)に洋菓子店を創業し、12月にクリスマスケーキを発売し、1914年に元町店の隣に喫茶店「ソーダ・ファウンテン」を開店、1922年1月に伊勢佐木町店を開店し、元町店で日本初のショートケーキ(1個8銭)を発売し、1923年に銀座6丁目店を開店し、東京に進出するも、9月23日の関東大震災で3店舗とも焼失し、1924年に銀座と伊勢佐木町店をバラック建てで再開した(元町店閉店)。

1930年3月に「合名会社不二家」を設立(1938年6月に株式会社第二不二家を設立し、9月に株式会社第二不二家が、合名会社不二家を吸収合併、12月に「株式会社不二家」に商号変更)、藤井林右衛門が社長に就任し、1946年8月に本社を東京都中央区銀座7-2-17に移転し、1948年に藤井誠司(藤井林右衛門の次男、ふじい・せいじ、1913-1997)が2代目社長に就任した(1969年まで)。

1950年に「ペコちゃん」をマスコットキャラクターに採用し、1951年に「ミルキー」を発売し、1953年10月に数寄屋橋店を開店、1956年2月に「バレンタインセール」を開始、10月に藤井食品合名会社が合名会社不二家(2代目)に商号変更(1958年11月に株式会社不二家が合名会社不二家(2代目)を吸収合併)、1962年6月に東証第2部などに上場(1965年12月に第1部に指定替え)、1963年10月からフランチャイズチェーン展開を始め、1964年に桃の飲料「不二家ネクター」を発売し、1969年に藤井総四郎(藤井林右衛門の4男、ふじい・そうしろう、1916年生まれ)が3代目社長に就任した(1985年まで)。

1972年に英国ロントリー・マッキントッシュ社(1988年にネスレに買収された)と提携し(1989年6月に解消)、キットカットを発売、1973年12月にアメリカ・バスキン・ロビンス社との合弁会社で「ビー・アールジャパン株式会社」(現B-Rサーティワン アイスクリーム株式会社)を設立し、アイスクリームチェーン「サーティワン アイスクリーム」の国内展開を開始した。1975年1月に不二家銀座ビル(旧本社)が完成した。

1976年にアメリカ・ペプシコ社と合弁で「不二家フリトレー」(1990年に解消)を設立、1978年3月に子会社の株式会社不二家ロードサイドレストランを設立し、1982年 にフランス・パリの洋菓子店「ソシエテ・ヌーベル・ダロワイヨ」とライセンス契約し、1985年に藤井和郎(藤井林右衛門の6男、ふじい・かずお、1919年生まれ)が4代目社長(1989年まで)、藤井五郎(藤井林右衛門の5男、ふじい・ごろう)が会長に就任した(1989年まで)。

1989年に藤井俊一(藤井五郎の息子、ふじい・しゅんいち、1941年生まれ)さんが5代目社長に就任(1995年まで)、1989年6月にネスレ社との菓子製造販売の合弁会社として「ネスレマッキントッシュ株式会社」(2000年10月に株式売却)を設立、1989年10月に完全子会社の「株式会社ダロワイヨジャポン」を設立した。

1995年に3月期決算(2010年に12月期決算に変更)で経常赤字の責任をとって藤井俊一さん(1996年3月ネスレマッキントッシュ社長、2001年1月ネスレ日本社長、4月ネスレジャパングループC.E.O.、ネスレジャパンホールディング社長、2003年7月スレジャパンホールディング会長、2006年2月ネスレ日本相談役、2010年6月株式会社アスク社外取締役、2015年1月ツネイシホールディングス社外取締役)が辞任し、藤井林太郎(藤井誠司の息子、ふじい・りんたろう、1942年生まれ)さんが6代目社長に就任した(2007年まで)。

2004年に株式会社不二家ロードサイドレストランが不二家の外食部門を統合し、「株式会社不二家フードサービス」(初代)に商号変更、2005年に藤井隆三(藤井和郎の息子、ふじい・りゅうぞう、1955年生まれ)さんが不二家フードサービスの社長に就任、2007年1月11日に消費期限切れの材料で一部洋菓子の製造が行なわれていたことが発覚し、すべての洋菓子製品の製造販売を休止した。1月15日に期限切れ原材料使用問題で藤井林太郎が社長辞任を表明、1月22日に取締役の桜井康文さんが7代目社長に就任した。

2007年3月26日に山崎製パンと資本業務提携し、4月11日に山崎製パンに対して第三者割当増資を実施し、同社の持分法適用会社(35%出資)となる。2007年8月1日に株式会社不二家フードサービス(初代)がレストラン事業について会社分割を行い、株式会社エフアンドビイが事業承継し、同時に株式会社エフアンドビイが株式会社不二家フードサービス(2代目)に、株式会社不二家フードサービス(初代)が株式会社FFSにそれぞれ商号変更した。

2008年7月1日に1946年以来使用していた銀座の本社ビルを売却し、現在のニッセイ音羽ビルに移転、11月7日に山崎製パンと新たに資本業務提携し、11月27日に山崎製パンの子会社(51%出資)となり、2010年11月に創業100年、ペコちゃん生誕60年の企画として、新衣装を決定し、8月26日より全国の店頭のペコちゃんが一斉に新衣装となった。

2011年8月22日にミルキー発売60周年を記念して「ペコちゃんミュージアム ミルキータウン2011」が銀座6丁目の不二家銀座ビルに9月4日まで開かれた。2014年4月1日 にタカラブネやスイートガーデンを展開する「スイートガーデン」をプレシアホールディングスから9億5000万円で取得し完全子会社化した。