銀座三越で「あいぱく」アイス100種以上、アイスマンらライブ

【銀座新聞ニュース=2018年4月25日】国内最大手の百貨店、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1、03-3352-1111)が運営する銀座三越(中央区銀座4-6-16、03-3562-1111)は4月25日から5月7日まで7階催物会場と9階銀座テラスで「アイスクリーム万博『あいぱくTOKYO』in 銀座三越」を開いている。

銀座三越で5月7日まで開かれている「アイスクリーム万博『あいぱくトウキョウ(TOKYO)』イン(in)銀座三越」に出品される桔梗屋の「桔梗信玄ソフト+」(500円)。

「アイスクリーム万博(あいぱく)」は2014年3月に設立された一般社団法人「アイスマニア協会」(港区芝3-23-1、セレスティン芝三井ビルディング、03-4571-2536)が主催するイベントで、2015年から「あいぱく」をはじめ、2016年1月1日から12月31日までに開いた「あいぱく」に出品された商品を候補として、2017年3月に「あいぱくアワード2016」を開いて、6商品が選ばれている。

最高金賞が桔梗屋(山梨県笛吹市)の「桔梗信玄ソフト」、金賞がニューヨーク堂(長崎県長崎市)の「長崎カステラアイス」、銀賞がスマイルクリエイト(広島県福山市)の「揚げもみじアイス」、特別賞(3点)がとりみカフェ(兵庫県神戸市)の「すずめチュンアイス」、カスターノ(castano、鹿児島県奄美諸島)の「奄美塩ジェラート」、京都利休園(京都府京都市)の「宇治抹茶アイス80」が選ばれた。

今回の銀座三越での「あいぱくトウキョウ(TOKYO)」では、桔梗屋(山梨県笛吹市)の「桔梗信玄ソフト」(500円)と「桔梗信玄ソフト吟造り+恋い抹茶」(540円)、「オリジナル桔梗信玄餅アイス」(330円)、「桔梗信玄餅アイス 抹茶」(350円)、京都利休園の「極濃抹茶アイス・ほうじ茶アイス」を濃い抹茶、極み抹茶、神抹茶の3段階で提供する「シングル」(濃い・極みが500円、神が600円)、「ダブル」(濃い・極みが700円、神が800円)、「黒ほうじ、玄米茶、朝宮紅茶アイス」(各410円)、「プレミアム宇治抹茶3段階」(410円から470円)。

同じく販売されるマンハッタンロールの「マンハッタンロールアイス」(各850円)。

ニューヨーク堂の「長崎カステラ生ソフト」(プレーン、抹茶各540円)、マンハッタンロール(東京都渋谷区)の「マンハッタンロールアイス」(各850円、限定メロンのみ1000円)、コールド・ストーン・クリーマリー(東京都中央区)の「ミント・ミント・ミント」(カップ、コーンとも550円)、カスターノの「奄美塩、奄美黒糖、喜界島の白ごま、さとうきび酢、奄美の天然水チョコシャーベット、宇検村たまごバニラ」(各320円)、「メリメロジェラート 練乳入りパッションシャーベット」(320円)など100種類以上が登場する。

日本アイスクリーム協会によると、アイスクリームは乳成分の量によって、アイスクリーム、アイスミルク、ラクトアイス、氷菓の4つに分けられる。これらの定義と成分規格は、食品衛生法にもとづく「乳及び乳製品の成分規格に関する省令」と「食品、添加物等の規格基準」の2つの法律によって定められている。

アイスクリームは乳固形分15.0%以上で、うち乳脂肪分8.0%以上をいう。乳固形分と乳脂肪分がもっとも多く含まれており、ミルクの風味が豊かに感じられる。アイスミルクは乳固形分10.0%以上、うち乳脂肪分3.0%以上で、乳固形分と乳脂肪分はアイスクリームに比べて少なが、牛乳と同じくらいの乳成分を含んでいる。植物油脂が使われることもある。

ラクトアイスは乳固形分3.0%以上で、乳脂肪分は含まれていない。ほかに比べて、乳固形分が少なく、植物油脂が使われることもある。上記3種類以外のものを氷菓といい、乳固形分はほとんどなく、果汁などを凍らせたアイスキャンディーやかき氷などがあたる。

可食部100グラム当たりのカロリーはアイスクリームが乳脂肪分が12%の場合212キロカロリー、8%の場合、180キロカロリー、アイスミルクが167キロカロリー、ラクトアイスが高脂肪で224キロカロリー、低脂肪で108キロカロリー、氷菓(シャーベット)が127キロカロリーとなっている。

国内の市場(4種類の合計)は2010年に4000億円を突破し、2012年から増え続けており、2014年が前年比0.9%増の4369億円(うち、アイスクリームが1365億円、ラクトアイスが1430億円)、2015年が同6.4%増の4647億円(同1427億円、1515億円)、2016年が同6.3%増の4939億円(同1546億円、1566億円)と5000億円に近付いている。

古代のアイスクリームは今のシャーベットのようなもので、お菓子としてではなく疲れた体を元気にする「健康食品」として利用され、アラブでは古代ギリシャやローマで、中国でもこの甘い氷菓は次第に人々の心をとらえ、王侯貴族や裕福な人たちに嗜好品として愛された。

氷雪は、はじめは食品を保存するために利用され、やがて雪や氷を冬に貯蔵しておき、夏に食べるようになった。しかし、当初は兵の指揮を鼓舞し、肉体を元気づける健康食品として利用され、この氷や雪を「健康食品」としてではなく、純粋に嗜好品として求めたのが古代ローマ、共和政ローマ期の政治家、ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar、BC100-BC44)だ。

彼は若者をアペニン山脈に走らせ、そこから氷や雪を運ばせて、乳や蜜、ワインなどを混ぜて飲んでいたと伝えられている。ローマ帝国の皇帝ネロ(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus、37-68)はアルプスから奴隷に万年雪を運ばせ、バラやスミレの花水、果汁、蜂蜜、樹液などをブレンドして作った氷菓「ドルチェ・ビータ」を愛飲していたと言われている。

ローマの将軍クイントゥス・マキシマス・グルゲオ(Quintus Maximus Gurgeo)の文献には氷菓の製法が記され、これが最古のアイスクリームのレシピといわれている。古代ギリシャのアレクサンドロス3世(大王、Alexander The Great Bust、BC356-BC323)は奴隷たちに山から氷雪を運ばせ、果汁に糖蜜を加えた飲み物を好んだといわれている。

3000年以上に中国で作られた菓子であるとベネチア共和国の商人、マルコ・ポーロ(Marco Polo、1254-1324)は伝えている。1295年にマルコ・ポーロは父と叔父との25年間のアジア横断の旅を終え、ベネチアに帰還するが、ジェノヴァとの間で戦争が起こり、捕らえられて投獄されてしまう。獄中で口述したのが「東方見聞録」で、マルコ・ポーロは北京で乳を凍らせた「ミルクアイス」を味わい、その製法をヨーロッパに持ち帰ったといわれている。

ウイキペディアによると、16世紀初頭にパドヴァ大学のイタリアの学者、マルク・アントニウス・ジマラ(Marcantonio Zimara、1475-1535)が常温の水に多量の硝石を溶かすと溶解熱により吸熱し、冷却することを発見した。16世紀中ごろにはイタリアの舞台デザイナー、建築家、ベルナルド・ブオンタレンティ(Bernardo Buontalenti、1531-1608)が氷に硝石を加えることでマイナス20度程度まで温度が下がることを発見した。この原理を利用して人工的に食品を凍結させるという技術が可能となり、その水溶液から硝石は何度でも回収できた。

現在のアイスクリームの原型は16世紀中ごろ、フィレンツェでブオンタレンティがメディチ家のために創作したセミフレッドのズコットとされている。フランスのオルレアン侯アンリ(後のアンリ2世、Henri2 de France、1519-1559)に嫁いだメディチ家のカテリーナ・デ・メディチ(Caterina de’Medici、1519-1589)が、菓子職人とともにフランスに持ち込んだとも言われるが、根拠がないという意見もある。

1686年シチリア出身のフランチェスコ・プロコピオ・ディ・コルテッリ(Francesco Procopio dei Coltelli、仏名フランソワ・プロコープ、Francois Procope、1651-1727)がパリでカフェ「ル・プロコープ」を開店し、1720年、シチリアの氷菓グラニータをアレンジしたグラス・ア・ラ・シャンティ(glace a la chantilly)を売り出した。これはホイップクリームを凍らせた氷菓であったが、アイスクリームの商業的成功の最初の例と見なされている。

英国には1624年、カトリーヌの孫アンリエット・マリー(Henrietta Maria of France、1609-1669)がチャールズ1世(Charles 1、1600-1649)の元に嫁いだときにジェラート(アイスクリーム)職人を伴い、伝わったとされる。チャールズ1世の宴会でフランスの料理人ド・ミレオによって作られ、賞揚されたという。チャールズ1世は、アイスクリームの製法を秘密にし、王にだけアイスクリームを提供する見返りに、アイスクリーム職人に一生年金を与えたという伝説がある。

しかし、この逸話は19世紀以前の文献には現れず、アイスクリーム売りによる創作とされている。このころまでのアイスクリームにはまだ乳製品をほとんど使用してなく、代わりにメレンゲを使用したシャーベットに近いものであった。

初期のアイスクリームは、冷たいボウルの中で手によって造られた。このため、製造は大変に困難で、これを改良する発明は主に18世紀に移民によってアイスクリームが伝わったアメリカで生まれた。

1846年、アメリカのナンシー・ジョンソン(Nancy Johnson) という主婦によって「手回し式アイスクリームフリーザー」というかく拌機が発明された。1851年にはメリーランド州ボルチモア市の牛乳屋ヤコブ・フッセル(Jacob Fussell、1819-1912)が余った生クリームを処理するために世界初のアイスクリーム製造工場を造った。

この後、アイスクリームは量産品と、生洋菓子に分かれ、量産品のアイスクリーム製造は、アメリカがさかんで、一方、1867年にドイツで製氷機が発明されると、この冷凍技術と酪農の発達に伴い、アイスクリームの工場生産時代を迎えた。

日本人で初めてアイスクリームを食べたのは1860年(万延元年)に咸臨丸で渡米した遣米使節団であるとされている。

日本初のアイスクリームとしては、1869(明治2)年6月(旧暦)、遣米使節団のメンバーであった町田房蔵(まちだ・ふさぞう)がアメリカに密航した後に帰国した出島松蔵(でじま・まつぞう)から製法を教わり、横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で製造・販売している。「あいすくりん」という名称で、1人前の値段は2分(現在価で約8000円)と大変高価な物であったため、民衆に敬遠され、なかなか浸透しなかった。

原料は、生乳、砂糖、卵黄といたってシンプルなもので、これはいまは「カスタードアイス」とも呼ばれている。横浜沿革誌によると、1869年は大赤字となり、一時休業したが、1870年4月の横浜総鎮守伊勢山皇大神宮創建の祭に際して再開したところ、祭礼の賑わいと初夏の日差しにより「頗る繁盛を極め、因て前年の失敗を快復」したとある。

1899(明治32)年7月に東京銀座の資生堂でも売り出し、人気メニューとなり、その後、日本でアイスクリームの工業生産がスタートしたのは1920(大正9)年だった。また、「アイスクリームの日」とされる「5月9日」は当時の東京アイスクリーム協会(現日本アイスクリーム協会)が1964年5月9日に、アイスクリームシーズンとなる連休明けの時期であるこの日に記念事業を行い、諸施設へアイスクリームをプレゼントしたことから、翌1965年に「アイスクリームの日」と制定した。

期間中、9階銀座テラスなどでライブが開かれる。
28日、29日、30日、5日、6日の15時から、1973年東京都足立区生まれ、2010年からコンビニアイス評論家として活動をはじめ、その後「アイスマニア協会」を設立して代表理事を務めるアイスマン福留(あいすまん・ふくとめ)さんによるトークショーを開く。

28日13時と16時の2回、劇団「ワハハ(WAHAHA)本舗」に所属するコミックバンド「ポカスカジャン」によるライブを開く。

5月3日13時と15時の2回、福井県生まれ、筑波大学卒業、リクルートを経て、2013年秋から活動しているせりかなさんいよるライブを開く。

5日14時に、「メイクスマイルアーティスト」のミワンダフルさんがメイク術を披露する。

営業時間は10時30分から20時。

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